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Concerts/Live ShowsNo. 235

#983 ロジャー・ターナー、喜多直毅、齋藤徹

2017年10月20日(金) 横濱エアジン

Report and photos by Akira Saito 齊藤聡

Roger Turner (ds)
Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)
Naoki Kita 喜多直毅 (vln)

イギリスのドラマー・パーカッショニストのロジャー・ターナーが再び来日した。多様なミュージシャンたちとの共演を繰り広げる中で、横濱エアジンでは、コントラバスの齋藤徹、ヴァイオリンの喜多直毅とのトリオで演奏した。

このトリオによる最初の共演は2015年2月15日のことであり、その1曲が『Six Trios Improvisations with Tetsu & Naoki』(Travessia)に収録されている。2度目は2016年9月11日、初回と同じ渋谷・公園通りクラシックスでの再演。同年10月6日には、大田区のいずるばにて、トリオにダンサーふたり(矢萩竜太郎、ジャッキー・ジョブ)が加わっての演奏がなされている。すなわち、今回は3年連続4回目である。

つねにターナーの音は極めて繊細である。そのためか、ただひとつの音が場でどのように響き、共演者や聴客にどのように届くのかを見極めるような船出。齋藤、喜多のふたりは抑制された擦音でその意図に応える。やがて、おのおのの色を空間に置いてゆくような印象となった。ターナーが細いスティックや針金やブラシやマレットや指で発する音は、先が限りなく削られ尖らされた<先端>そのものであり、あまりにも独自的で誰にも似ていない。シンバルはときにベルのように、また、ブラシは熱せられた鉄板の上の水滴のように響いた。

一方、喜多のヴァイオリンが絶えざる往復により延々と続く河の流れを創出した。齋藤のコントラバスは流れを下から擾乱し、ときには暗闇の街でデカルコマニーのように浮かび上がった。ターナーはこの日バスドラムを使わず、おそらくは大きな信頼のもとに大きな役割を齋藤のコントラバスに譲ったのであり、これが再演の醍醐味であると言えようか。音にならないほどの音を創りもするターナー、アジア的にも聴こえる共鳴を創る弦ふたり。石の河原を歩くような音によりシンクロする3人。音風景はおわりまで次々に変わり続けた。

セカンドセットは一転した。はじまりは、ターナーが重力に身を委ねてスティックを落とし叩き、齋藤がやはり慣性を見出すように指で弦を弾いた。ターナーが金属板を弓で擦り、揺らし、叩く。齋藤と喜多とが弓を振って風を生み出し、ターナーが音と音との間でそれを受け止める。3人のサウンドは明らかに静から動へとシフトし、速度を得た。齋藤はコントラバスを寝かせて力強い底流を創り出し、弦におけるコマの位置を変えることで音の色を何度も塗り替えた。喜多のヴァイオリンは下を這うようでもあり、ダイナミックなうねりを創る。

そしてターナーがスティックを口に咥えたことを機に、サウンドは、3人おのおのの肉体の中に吸収されていくように聴こえた。なにものかを弔うような哀しみがサウンドを支配し、演奏は暗黙のうちに終焉に向かう。齋藤が、最後まで息がとまるような細い擦音を発し続けた。それはこの演奏が終わってしまうことへの惜別だった。

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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