#975 クリス・ピッツィオコス JAPAN TOUR 2017 札幌公演『大友良英スペシャル3days』
Reviewed by 定淳志 Atsushi Joe
Photos by 小牧寿里 Yoshisato Komaki except * by 吉田野乃子 Nonoko Yoshida
クリス・ピッツィオコスがついに待望の来日ツアーを果たした。思い返せば、YouTube で彼の動画を初めて見つけてツイッターでつぶやいたのは、2013年8月2日のことであった(https://twitter.com/JOE_as/status/363267012400656384)。当時、日本語による彼の情報は、ほぼ皆無だったと記憶する。きわめて影響力の小さいツイートながら、すごいアルトサックスがいる、と誉め続けていたら、徐々に賛同者が増えていき、やがて吉田野乃子さんと友達であることも分かった。決定的だったのは同時期に剛田武さんが、自身のブログや JazzTokyo で大々的に紹介したことだろう。そこから瞬く間に火がついて、クリスの凄さがすぐ大勢の音楽ファンに伝わり、デビューアルバムから矢継ぎ早の参加作のリリース、そして今回の来日につながったわけである。もちろんクリス自身の音楽が持つ魅力の賜物であるわけだけれど、わずか4年にして、動画でしかお目にかかれなかったニューヨークの俊英を実際に生で拝むことができた。しかも昨今の来日ミュージシャンが滅多に越えることのない津軽海峡を渡ってきてくれたのだから、何とも感慨深い。
北海道から四国まで、14日間14公演という強行軍となったツアーは、多くのライブが吉田達也さんとの共演であったが、札幌での2日間(9月26、27日)は大友良英さんとの共演であり、いくぶんスペシャル感の強い2日間となった。
2017年9月26日(火) 札幌・PROVO
【大友良英 Specal 3days 1日目(札幌国際芸術祭2017クロージングウィーク)】
まず会場に着いて目に飛び込んできたのは、会場の四方に配置された4つの楽器。正面ステージ上にドラム、ステージに向かって左辺にギター、右辺にサックス、ステージの対角線上にサインウェーブ。演奏空間を形作る四角形の四辺の中点に各楽器が配され、観客席は四角形内に散らばっている構成。迷わずサックスの目の前、1メートルもない席に陣取った。4者のバランスを重視するなら対角線の交点周辺だろうが、とにかくクリスをできるだけ近くで観たかったのだ。
1st Set
・Filament:大友良英 (turntable)、Sachiko M (sine wave)
ライブは大友と Sachiko M による「Filament」からスタート。このデュオを生で体験するのは初めてだ。純音とノイズによる、語義矛盾を承知で言えば「森閑」を音で表現したような、微小で抑制された音が続く。やがてスクラッチノイズの増加とともに、リズムというか、ループというか、ある種のグルーヴと呼んでも差し支えないような心地よさの持続が来た。惜しむらくはエアコンの送風音が際立っていて、聴きようによっては第三の楽器のように聴こえなくもなかったが、それがどこまで演奏に作用していたのか、私には残念ながらよくわからない。
2nd Set
・大友良英 (g) × Chris Pitsiokos (as)
続いて、待望のクリスと大友のデュオ。クリスのサックスは、ネックコルク、オクターブキー、キーガード、ベル部の彫刻などに赤く彩色が施されていた。あとで聞いたところによれば、彼がマニキュアで塗ったとのこと。ちなみにオクターブキー部の「S(セルマー)マーク」も「CPマーク」に変えられていて、いわばセルフカスタムモデルなのだそうだ(理知的に見えて、こういう茶目っ気もあるようだ)。事前にスケジュールを眺めた際には、大友の師である高柳昌行と、クリスが時に擬せられる阿部薫が47年前に残した「解体的交感」のようになるのではとも想像したが、むしろ相対的交歓とでもいうか、互いを尊重し合うような、心温まるデュオとなった。初めて生音を聴くクリスのアルトサックス(クリスはマイクを使っているが、私はサックスのベルの目の前にいるので、直接耳に入ってくるのはほとんど生音である)からは、次から次へ抽斗を開けるように多彩な奏法による音色と響きが繰り出される。凄いのだけれど、凄さを全く感じさせないのが凄い。そして常音はもちろん、最低音から超高音まで、すべからく音が柔らかく涼しい。どの音も一切耳に刺さりはせず、鼓膜を優しく撫でるようだ。彼の周囲だけ室温が低く、静かで、時間の進み方も遅いようにすら感じられた。マイクも楽器と結合しているかのように使われた。クリスは大友のギターの音を拾い、模倣したり、先んじたり、ずらしたり、追いかけたり、とにかく楽しく戯れているようであり、大友のギターもまたそう聴こえた。しかし盛り上がりが一段落ついたもののまだ演奏が続きそうなところで、ある観客が「イエー!」と発したために、中断するように演奏が終了してしまった(ように見えた)のは非常に残念であるものの、仕切り直すかのようにもう一曲演奏されたから、よしとしようか。
3rd Set
・大友良英 (g) × 山崎比呂志 (ds)
続くセットは大友と山崎のデュオ。山崎は、高柳昌行が亡くなるまで20年以上活動を共にしたというレジェンド。御年78歳。と、後で聞いた。山崎と大友は昨年、英国の Cafe OTO でエヴァン・パーカーと共演し、その記録はすばらしいデジタルアルバムとして残されている(https://www.cafeoto.co.uk/shop/yoshihide-yamazaki-parker-141116/)。特に山崎の一音一音の粒立ちは素晴らしく、だからこの夜は初めてライブを観る山崎にもとても注目していて、そしてその期待は裏切られなかった。ステージ上では怖いぐらいの殺気と切れ味、一音の重みで、大友ギターを挑発しまくっているように見えた。終演後、山崎に Cafe OTO の演奏の話をしたらすごく喜んでくれ、その物腰の柔らかい気さくな笑顔がとても好きになった。
4th Set
・大友良英 (g) × Sachiko M (sine wave) × 山崎比呂志 (ds) × Chris Pitsiokos (as)
最終セットは4人によるセッション。ギターとドラムが中心となった爆轟音の中、クリスは驚嘆すべき音群を放ったが、共演者一人一人の発する音とサウンド全体に真摯に耳を傾け、さらに自分の底から湧き上がってくる音に忠実であろうとしていたようだ。爆音の中で演奏を止めてしまった Sachiko M に、途中何度もスペースを与えようとしていた。と、後で知った。セッション終盤、クリスが吹き出したメカニカルカリプソとでも形容したくなるような、メジャーキーによる印象的な即興フレーズは、彼が最近関心のあるというオーネット・コールマンのプライム・タイム的アプローチだそうだ。彼はこの日、終始チェアに腰掛け、両足を台の上に載せ、やや窮屈そうに見える体勢で吹きまくった。
2017年9月27日(水) 札幌・くう
【大友良英 Specal 3days 2日目(札幌国際芸術祭2017クロージングウィーク)】
2日目。前夜に続き、開場時間よりも前に店に着いたら、すでに歩道上まで行列が延びていた。この夜はクリスの目の前は確保できず。真横か、真正面の3列目か、の2択に悩みぬいた挙句、前夜と趣向を変え、全体のバランスを重視して正面3列目に就くことにした。開演前、主催の NMA 沼山良明氏より、ライブは3部構成で、まずクリスのソロ、次にショローCLUB、そしてセッションと発表された。クリスによる「ロンリー・ウーマン」が聴けるのでは、という淡い期待は打ち砕かれたが、ソロが聴けるなら万々歳だ。
1st Set
・Chris Pitsiokos (as) ソロ
前夜のように椅子に腰かけたクリスは、静寂の中に一筋の音を放った。前夜の爆音の中でも感じたが、彼は音一発の迫力でこちらをノックアウトしてはくれないのだ。この店でこれまで、梅津和時、坂田明、林栄一、吉田野乃子、ネッド・ローゼンバーグといった人たちのアルトサックスのソロを聴いてきたが、これらの人たちは一音発した瞬間、ものすごい速度と質量を持って音が脳天めがけて突き刺さってきた(速度はともかく、音なのだから質量を持ってはいないけれど、そう錯覚させるのである)。しかし彼はそういうところでは勝負していないようだった(むしろだからこそ凄いと言える)。循環呼吸やらマルチフォニックやら高速タンギングやらあらゆる技法を駆使し、墨絵を描くように音の濃淡を変化させたかと思うと、空間に多彩な色を塗り立てるように轟音を満たした。決して技のショーケースにはならず、全ての技術が等価であり、常に理知的であり、ある種のフリーミュージックが持っているような「重力」から「自由」なのだと感じた。
2nd Set
・ショローCLUB : 大友良英 (g) 不破大輔 (b) 芳垣安洋 (ds)
1. ロンリー・ウーマン
2. ファースト・ソング
3. ラジオのように
4. 平和に生きる権利
クリスのソロが終わった後の休憩中、喫煙場所にふらりと現れた不破は心底感服したように、周囲の観客たちにしきりに「素晴らしかったですね」と言い続けながら、自らの感情を高ぶらせているように感じられた。開演直前、ステージに上がってきた大友は「クリスの演奏を聴いてわが身を反省しちゃったよ」とメンバーに告げた。表面上は冗談めかしながらも、心中では「負けられない」と思っていたことを、終演後に教えてくれた。1959年生まれの「初老」3人は、実はクリスの父親と同い年。親父の威厳を示さなくては、と思ったのかどうか、演奏開始と同時に3人は飛ばしに飛ばす。「ロンリー・ウーマン」から「ファースト・ソング〜ラジオのように」、「平和に生きる権利」まで、誰が何度どんな演奏をしようと色褪せることのない感動的なメロディーを持つ曲たちを、彼らならではの全力で極限まで壊すような演奏は凄まじく、クリスも時折楽屋から出てきては暗闇の中じっと目と耳を凝らしていたようだった。
3rd Set
・ショローCLUB × Chris Pitsiokos (as)
さあ札幌2日間の最終セットは、ショローCLUBとクリスのインプロセッションだ。クリスの椅子が片付けられているのに気づいた芳垣が心配そうな表情を見せたが、クリス自身が持ち去ったと教えられ、なるほどと頷いてスローンに腰かけた。2日間の演奏で初めて、クリスは大地に対して垂直に立った。大友のギターと芳垣のドラムが、クリスを両サイドから挟撃するようにぶっ飛ばす。クリスの後方、4人の重心の位置に立った不破もベースをかきむしり、突っ走る。クリスは前夜と同じように3人の音に反応し、とにかく音をよく拾いながら、信じられない速度とアイデアで固有の音とフレーズを紡いでいく。トリオになったりデュオになったり、4人はさまざまな形態変化を繰り返す。大友が時折ギターの手を止めながら、クリスを鋭い眼差しで見つめている。両端からの轟音に包まれ、クリスの音が(マイクがあるというのに)よく聴こえない瞬間もあった。そんな時クリスは、発せられる音自体はどこまでも冷徹にもかかわらず、体をくの字に折り曲げ、左足を持ち上げ、真っ赤な顔で吹きまくった。セッションが終わりそうな雰囲気になったところで、不破がブルースフィーリングたっぷりのベースを弾きだした。すばらしいひらめきだ。いや計算かもしれないが、どちらでもよろしい。むろん所謂ブルースになりはしない。クリスもここぞと抽象性の高いフレーズを繰り出し、まったく新鮮な感覚だ。これで本当に最後、と予感させてからのコレクティブインプロヴィゼーションで、ついにお仕舞い。最高だ!! 今回、個人的にはソロよりセッションのクリスのほうが好きだと感じた。
ついに生クリスを堪能した。2日間には、少し話をすることもできた。頓珍漢な疑問をぶつける私に困惑を見せつつ、真摯に応対してくれてとても感謝している。アルトサックスとともにあることが幼いころからの生活の一部であること、アルトサックスを主奏楽器としていることにそれ以上もそれ以下も理由はないこと、あらゆる楽器あらゆる音楽から影響を受けているがそれを表現する自分の手段がただアルトサックスなのであること、常に自分の内側を見つめ偶発性と底から湧き上がってくるものを大事にしていること、などの言葉が印象に残った。強行日程にやや疲れを見せつつも、日本ツアーを楽しんでくれたようで、来年も自分のバンドで来たいと語ったと聞く。ぜひとも実現してほしい。
最後に。文才のない一介のファンふぜいにこのような機会を与えてくれた剛田武さん、ライブ写真提供を快諾してくれ打ち上げにも招待していただいた主催者の NMA 沼山良明さん、連日すばらしい演奏を聴かせてくれたクリス・ピッツィオコスさん、大友良英さん、Sachiko M さん、山崎比呂志さん、不破大輔さん、芳垣安洋さんに感謝申し上げます。そしてクリスの札幌公演の立役者であり、彼のマネジャー役を務め、片言も英語をしゃべれない私のために通訳までかってくれた(すごく訳しにくかったと思う)吉田野乃子さんに最大の感謝を捧げます。今回はクリスとの共演を頑なに固辞されたけど、いつか目の前で二人が並んで演奏している姿を夢見ています。それから、2日目に私がクリスを観やすいようにと前列で体をずらしてくれていた野乃子さんのお父上(ごめんなさい。名前が分からない)にも謝辞を。
定 淳志 Atsushi Joe
1973年生。北海道在住。執筆協力に「聴いたら危険!ジャズ入門/田中啓文」(アスキー新書、2012年)。普段はすこぶるどうでもいい会社員。なお苗字は本来訓読みだが、ジャズ界隈では「音読み」になる。ブログ http://outwardbound. hatenablog.com/