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Concerts/Live ShowsNo. 240

#1005 高橋悠治ピアノリサイタル「余韻と手移り」

2018年3月2日 浜離宮朝日ホール

text by Shuhei Hosokawa  細川周平

 

高橋悠治(ピアノ)

<プログラム>

J.S. Bach (1785-1850) Suite in c BWV. 997
バッハ 組曲ハ短調

Oliver Knussen (1952-) Prayer Bell Sketch Op .29 (1998)
オリヴァー・ナッセン 祈りの鐘素描(武満徹追悼)

増本伎共子 (1937 -) 連歌 (2004)

高橋悠治 (1938-) 荒地花笠 (2018)(初演)

Claude Vivier (1948-1983)- Pianoforte (1975)
クロード・ヴィヴィエ ピアノフォルテ

石田秀実 (1950-) Frozen City II フローズン・シティⅡ

Domenico Cimarosa (1749-1801) Sonata in La min. C.55
ドメニコ・チマローザ ソナタ イ短調

<アンコール>
石田秀実 (1950-)  草の音楽


会場の浜離宮朝日ホールに向かう途中、装丁家平野甲賀の展覧会に偶然行き合った(「平野甲賀と晶文社展」ギンザ・グラフィック・ギャラリー)。当夜の良き幸先と一人決めして立ち寄った。というのも、馴染みの平野文字で「余韻と手移り」と記されたチラシに誘われて、築地へ向かっていたから。そこで懐かしい表紙の数々のなかに高橋悠治の第一エッセイ集『ことばをもって音をたちきれ』を見つけ、リサイタルへの予感は一段と高まった。

題の由来について彼自身プログラム解説に書いている。「余韻は音の共鳴と記憶。手移りは響きを残したまま、すこしづつ指を移していく笙の技法」。余韻とは音の尾を引く減衰のことで、韻の文字の力のおかげか、音響学に近い残響に比べ、比喩として豊かで感性・思弁の領域に意味が広がる。ピアノではペダルを使ってそれをだいぶ調整できるが、彼は最近ではペダルをあまり使わない演奏に向かっていると話す。代わりに指先に神経を尖らせる。鍵盤を叩く動作は笙の手移りとはずいぶん異なるが、余韻をたぐりながら呼吸の生理を含む音の移り変わりに近づこうという野心だ。鍵盤楽器の性能を試す現場に聴衆を誘い出す。

第一曲のバッハ「組曲ハ短調」は、元はリュート弦の鍵盤楽器ラウテンヴェルクのために作られたらしいとわざわざ解説されている。その楽器を聴いたことがない。ピアノの金属弦を使って、その羊腸の弦の柔らい音質に近づけないかと高橋悠治は工夫し(腸性音楽?)、ピアノらしい音響で弾きまくるたくさんのピアニストと一線を画した。近代的音響メカニズムの絶品であるピアノから、骨董的な弦楽器の弱い響きを引き出す楽しみ。三、四本の枝の絡んだ対位法やダンス・リズムのノリを、聴き慣れた円滑な流れとは反対の伸縮するテンポ、左右の不意を襲う強弱で試してみる。この楽譜はこうも弾けるという作品と楽器の潜在性を聴かせる。

普通、演奏家は日ごろの練習の成果として完成品を聴衆に聴かせようとする。反対に高橋悠治は完成させる途を聴衆と分かち合おうとする。「今こう弾いている」ことが何よりも大切で、ピアニストが楽器を試すのに立ち会うことに聴き手は喜びとスリルを覚える。彼は暗譜せず楽譜を凝視して弾く(めったに弾かない現代曲だけでなく、普通ならアンコールに弾かれるようなチマローザの小品でさえ)。眼から指へ指令を出すその姿は「リサイタル」の語が「呼び出す」「詠む」に由来することを連想させる。楽譜を詠み、その時その場の理で楽器に語らせる。作曲者に命じられたように音をつないで作品を組み立て、紙の上の作品を音の流れとして呼び出す。そのたびにゼロから始めるかのような危うさを感じさせる。指の慣れがない。音楽用語として熟した即興とは違うが、自由に(アド・リビウム)に楽譜を音に読み替えていく。

音楽学生時代の「先輩」と彼が呼ぶ増本伎共子(きくこ)の「連歌」(2004)は初めて聴く曲だった。この曲がもとづく少しずつ内容を変えながら字数の決まった句をつなぐ連歌の約束事が、自身が近ごろ応用する芭蕉連句の技法の源にあたるからと説明している。詩歌作りの規則として具体的なモデルの背後に、音楽作りにとっては高い抽象性を二人は見出し運用している。彼自身の新作は伊藤比呂美の熱帯植物詩にヒントを得た「荒地花笠verbena brasiliensis」で、異国的な形態描写を解説は引用している。もちろん〈ブラジルのバーベナ〉が聴こえてくるわけではない。覚えたての手移りとかいう作法を何かのかたちで折り込んでいるのだろうと、音とことばを無理につなげて耳をそばだてた。馴染みの響きさえ聴ければ、どんな素材でも構わないといえば、あられもないファンの告白だが。

アンコールでは石田秀実の「草の音楽」が選ばれた。プログラム中の石田作品「フローズン・シティⅡ」(1991)につなぐ(連句のいう「付ける」)配慮がはたらいていたのだろう(「荒地花笠」と植物としてつながるほかに)。これはオルガン用の原曲を鍵盤メカニズム以外はあまり通じるところのない、別の発音体の楽器ピアノに移す演奏で、ある低音部の鍵盤をたえず叩いて全体の響きを保ちながら(おそらくオルガン版ではペダルを使った通奏低音)、中高音部でゆっくりした旋律と音色の移り変わりを奏でた。上に引いた余韻と手移りの解説に最も適った演奏と聴こえた。実は石田秀実は昨年秋に亡くなった。こうしてリサイタル全体が彼の追悼に捧げられた。30年ほど前、中国古代哲学・医学者として「水牛通信」へ連載したのを高橋編集長は繰り返し読み、作曲からは「音に導かれて響きの空間のなかをさまよう音楽」を学んだという。

追悼曲はもう一曲、スコットランドのオリヴァー・ナッセンによる武満徹のための「祈りの鐘素描」(1998)が選ばれた(今年はその20周年)。ほかにカナダの作曲家、クロード・ヴィヴィエがコンテスト課題曲として書いた「ピアノフォルテ」(1975)が、高橋年表でいうなら『トランソニック』時代のピアノ技法の標準を振り返るかのように弾かれた。シュトックハウゼンとメシアンの語法に、ガムランや雅楽の響きを加えたと解説には要約されている。そういわれるとそう聴こえる貧しい耳を恥じる。ヴィヴィエは自作オペラの殺人場面そっくりの状況で男娼宿で殺され、今ではその猟奇的な死に方を思わずには聴けない。リサイタルの流れ全体が、解説の語る「黄昏の空気が冷えていく」のを意識させる。冷却のゆるい下降線のように「音楽はことばにならない時代の変化を映す」。ここでいう「時代」には、数世紀の楽器の歴史と数十年の自分の歴史と完成された瞬間の作品の歴史が折り重なっているだろう。

晶文社の時代、彼はもっと打楽器的にバッハや現代作品を解釈していたと記憶している(録音は生演奏の記憶を消してしまう。そのうえPCM録音の音質にその時期の記憶が設定されてしまう)。運動性を駆使した作品をよく演奏していた覚えがある。思えば引用してきた解説のいう「明け方の雲が色を変えていく」時代だったのかもしれない。チマローザとも死とも縁遠かった(青年ファンの興味でもなかった)。それから半世紀弱、黄昏と余韻がゆるく結び合うなかに今の高橋悠治がいる。作曲と演奏、古典と現代、ことばと音、西洋と東洋、指先と呼吸、各種の対比をなだめながら、どこにもない三昧の境地に達している。

 

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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