#1025 ヨコスカ ジャズ ドリームス 2018
2018年 7月28日(土)よこすか芸術劇場 1995
text by Takashi Tannaka 淡中隆史
◆熱帯ジャズ楽団 ゲスト: 渡辺真知子(vo)
カルロス菅野(per) 森村 献(pf) 高橋ゲタ夫(b) 平川象士(ds) 美座良彦(timb) 岡本健太(conga) 佐々木史郎(tp) 鈴木正則(tp) 奥村 晶(tp) 松島啓之(tp) 中路英明(tb) 青木タイセイ(tb) 西田 幹(b.tb) 萱生昌樹(a.sax) アンディ・ウルフ(asax) 安川信彦(t.sax) スティーブ・サックス(b.sax)
◆寺井尚子クインテット ゲスト: 川嶋哲郎(sax)
寺井尚子(vl) 北島直樹(pf) 金子 健(b) 荒山 諒(ds) 松岡“matzz”高廣(per)
◆宮間利之ニューハード ゲスト: 北村英治(cl) 佐藤允彦(pf)
川村裕司(ts,cond,arr,comp) 竹田恒夫(tp) 牧原正洋(tp) 菊池成浩(tp) 伊勢秀一郎(tp) 三塚知貴(tb) 中 雅志(tb) 高橋英樹(tb) 朝里勝久(b.tb) 澤田一範(a.sax) 渡辺てつ(a.sax) 鈴木 圭(t.sax) 宮木謙介(b.sax) 松本全芸(pf) 坂田 稔(ds) 堀 剛(b) 山木幸三郎(gt,arr,comp)
台風12号の荒天の中で行われた「ヨコスカ ジャズ ドリームス2018」。終戦直後にジャズと接する貴重な場所だったEMクラブ(米海軍下士官兵集会所)が日本はジャズの原点のひとつであり「ジャズ発祥の地 横須賀」の根拠となっている。現在その跡地には丹下健三作のよこすか芸術劇場 (1994) が建つ。馬蹄形オペラハウス・タイプのホールとして国内での最高傑作だろう。見事な五層式の劇場では実際にオペラや歌舞伎、能なども上演されている。「ペルージャのテアトロ・モラッキでウンブリア・ジャズ・フェスティバルを観ている」という幻想にとらわれるような美しい空間だ。
32周年を迎える今年は熱帯ジャズ楽団、寺井尚子クインテット ゲスト:川嶋哲郎、宮間利之ニューハード ゲスト:北村英治、佐藤允彦の3グループが出演した。各々が幾度も「ヨコスカ ジャズ ドリームス」へ出演しているメンバーだ。
16:00に開演、終演が20:00過ぎというプログラムは日本のジャズを通史的に理解できるものでもあった。北村英治、ニューハード、佐藤允彦(1950年代~)そして寺井尚子、川嶋哲郎、熱帯ジャズ楽団(1980年代後半~)と全体を二つの世代に分けることも可能で各々が交流する充実した内容だった。
第三部はさらにニューハードのみの演奏、北村英治(クラリネット)をソロに迎えた部分、そして最後に佐藤允彦(作編曲、ピアノ)との共演で構成されたパートの三つに別れている。ここでは長大なオリジナルの全楽章を約15分に短縮したバージョンの『邪馬台賦』(やまたいふ)、Live Under the Sky 1990 のRandoogaが初出の『田の畔節』(たのくろぶし)の二曲が演奏されて驚くべき音楽を展開した。
1970年代前期の佐藤允彦とニューハードによる活動とは何だったのだろうか。今ではリアルタイムに体験した人も少なくなってしまったが、短期間に凝縮されたその活動の高みとは佐藤允彦の10年先輩である武満徹の70年代とも比肩しうるものだったと思う。当時佐藤允彦とニューハードでレコード化された作品に現在では入手困難なものがある。同じように各々のアルバムにも手に入れる事ができないものが多い。しかしそれらが現在に与えるインパクトは巨大なはずでこのようなライブ、フェスティバルでの「再現」で新たな世代の再評価を受ける事に今後も期待したい。
当日はすでに演奏を終えた「若手」ミュージシャン達が舞台のソデや控え室のモニターでこの鬼気迫る音楽をあっけにとられて見入っていたのが印象に残る。久しぶりの両者の演奏に半世紀近く前、70年前半を共有できなかった彼等が「スゲェー」と驚くのも当然で見ていて痛快だった。それだけでもこの公演には大きな価値があったのかと思う。『邪馬台賦』では久しぶりに佐藤允彦の凄いピアノが聴けた。都内のライブハウスでリラックスしたデュオやトリオを聴かせている現在の姿も良いけれどここでの演奏はまるで別人だった。高校生の時に初めて『パラジウム』を聴いた戦慄、70年当時にピットインで佐藤允彦トリオを目の当たりにした感動がよみがえる。続いて指揮のみを行った『田の畔節』は佐藤允彦が日本の(ジャズビッグバンドというより)ジャズオーケストラで何を表現するのかが明解にわかるものだった。フリージャズや現代音楽には無縁のオーソドックスなビッグバンドジャズのミュージシャン達でもこのアレンジメントの独自な譜面と構造によって自然に佐藤允彦流のフリーフォームの世界にいざなわれて行くことになる。個々のミュージシャンによる「フリーな意思の総合体としてのオーケスラ」はかつても存在した。しかしこのように作曲と作品のフォーム自体が明解に楽譜化されていて個々を触発して内に宿るフリーフォームを表出する演奏に導くなどということは稀だと思う。ジャズのオーケストレーションとは最終的には個々のミュージシャンの「ジャズグルーヴ」に依存しているものなのだから。そしてそれこそが佐藤允彦の音楽の作編曲、指揮、ピアノの独自なあり方ともいえる。
1970年代前期の佐藤允彦とニューハードのアルバムは;
■『天秤座の詩/ニューハード+佐藤允彦』 (1970)
■『四つのジャズコンポジション』 (1970)
■『牡羊座の詩/ニューハード+富樫雅彦』 (1971)
■『ものみな壇ノ浦へ/ツトム・ヤマシタ&佐藤允彦』 (1971)
■『邪馬台賦』 (1972)
と三年ほどで集中的に制作された。続く1973年には記念碑的な2枚組のライブレコーディングアルバム「インスピレーション&パワー」の冒頭には『生還』が収録されていて一連のムーヴメントが集約されることになる。では、この時期に平行してニューハードは何をレコーディングしていたのかと調べてみる。彼等はテレビやコンサートへの出演など超多忙の日常の音楽活動の中で、
『軍歌/ニューハード・ダイナミック・サウンド』 (1970)
『イージー・ライダー組曲』 (1970)
『ビート・ポップス~明日に向かって撃て!』 (1970)
『狂熱のロック・ビート~監獄ロック』 (1971)
といった(当時流に)コマーシャルな、現在では(むしろ)愛すべき膨大な数のアルバムを3年間で30枚以上「ほぼ月一」で制作していたのでこれは驚くべきことだ。いかに「2チャンネル同時録音」の時代で「三大アレンジャー」がいたとはいえいったいどうやってアレンジし、(したのなら)リハーサルし、レコーディングしていたのだろうか。現代の制作感覚から比較するとまことに不思議な感動がある。佐藤允彦との作品群は「ジャズピアニスト」と「ジャズビッグバンド」が共演しながらジャズの領域を遥かに超えて別世界に越境していく音楽のようだ。時代の音楽でもあったフリージャズとも全く違う異形のコンポジションと即興、それらがどれほどに突出していて現在に通じる内容であるかに想いを馳せてしまう。
その後の両者は共演があっても新作は見あたらなくなってしまう。現在もし新たな作品によるアルバムを制作、ライブでの発表の機会があるとすればそれは永久保存にあたる貴重なものとなるはずだ。89歳の「パパ」山木幸三郎 (Gt,Arr,Comp) 以下ニューハードの歴戦のメンバー達も佐藤允彦も素晴らしかったのでどうしても新たな展開を期待してしまう。「再現」にとどまらず「発展」の記録を未来に残す事ができるのだろうか。