#1046 シュリッペンバッハ・トリオ
text by Shinji Tamai 玉井新二
photo by Kenny Inaoka
2018年11月26日@新宿ピットイン
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ (piano)
エヴァン・パーカー (tenor sax)
ポール・リットン (drums)
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林 栄一 (as)
揺るぎない音世界を描き出す
「アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ・トリオ 日本ツアー」の最終日、新宿pit innは多勢の立ち見が出るほどの大盛況だった。そのステージは、アレックスのスローでやわらかい音の連なりから…。そして彼のきらめくような不協和音が散りばめられると、熱い魂を秘めたクールなサウンドが立ち上がり始めた。ポール・リットンのクリアーな手さばき、カミソリのように鋭いタッチ、シンバルレガート…、そしてエヴァン・パーカーならではのノイジーなサウンドが漂いだすと、そのエネルギーとスピードは徐々に加速度を増していく。
それはまるで山肌から滲みだした一滴の雫が集まり清流となり、やがてとうとうと流れる大河へ…、その大河が時に荒れ狂う濁流へと変貌する。この川の流れのように、三人の織り成す世界は何の衒いもなく、心の赴くままナチュラルに展開された。
それにしても、エヴァン・パーカーとポール・リットンといえば、E. パーカーがデレク・ベイリーらと立ち上げた自主レーベルincus5『collective calls』(1972年)のDUOを思い起こす。二人とも1960年代からイギリスで即興演奏に果敢に挑戦していたミュージシャンだ。そしてアレックスは1966年にヨーロッパの主要なフリー・インプロヴァイザーを束ねたグローブ・ユニティ・オーケストラを主宰、1968年にはミュージシャン自身の運営によるFMP(FREE MUSIC PRODUCTON)を立ち上げ自主レコードをリリースするなど、ヨーロッパのジャズシーンを大きく転換する舵を切った人物だ。
pit innの翌日、慶応大学北館ホールで行われた『シュリッペンバッハ/講演+ミニコンサート』の幕開けに上映されたメールス・ニュージャズ祭(1979年、1982年)や1981年のピサ・ジャズ祭の映像(ともに副島輝人撮影)に、今からおよそ40年近く前の彼らの若さほとばしるマグマのようなエネルギーが映し出されていた。それからみると、E. パーカーの驚異的な循環奏法や重音奏法、そして炸裂するタンギングは少々ソフトになった感もあるが、80歳のシュリッペンバッハをはじめ三人の演奏は、ヨーロッパ・フリージャズの草創期から今日に至る、その積み重ねられた年輪に裏打ちされた揺るぎない音世界を描いてくれた。
なお、当日のサプライズとして林栄一(as)が登場した。循環奏法や重音奏法は勿論のこと彼独特のサウンドと、エヴァン・パーカーとの掛け合いが期待されたが、マイク一本のうえ、二人の立ち位置がマイクから遠かったため、それぞれの音がいま一つ聞き取りにくかったのが心残りだった。
玉井新二 Shinji Tamai
北海道札幌市生まれ。法政大卒。新宿「ニュージャズホール」のスタッフとして『off jazz』誌創刊(70年)、『JAZZ批評』誌編集(71~79年)、同時に「Project21」スタッフとしてコンサートの企画・公演(高柳昌行、富樫雅彦、豊住芳三郎、加古隆など)。その後、ジャズ界から離れるも、ライヴ会場に出没している。