#1075 齋藤徹×沢井一恵
Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
2019年4月4日(木) 大田区・いずるば
Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)
Kazue Sawai 沢井一恵 (箏)
骨の髄にあり最後に問われるのは「日本」なのだ、と、齋藤徹は自らを振り返って語った。勿論、これは偏狭なナショナリズムではない。むしろヨーロッパで知られ、また「オンバクヒタム」や「ユーラシアンエコーズ」などアジア地域での音楽的交流や越境を展開してきた齋藤だからこそ提示することができる言葉なのではないか。言うまでもないことだが、これは、日本を上に置く戦前のアジア主義者のようなパターナリズムとはまったく異なる(それはどちらかと言えば、日本の童謡などを安易にジャズで扱おうとするマインドに近い)。
齋藤にとって、この30年余りは日本の伝統楽器との付き合いでもあった。最初は箏の栗林秀明(ピアニスト・栗林すみれの父)、そして沢井一恵。その沢井は、箏を含む日本の伝統楽器について「敢えて簡単に鳴らないようにできている」と話した。それは、特に、低音域を拡張した十七絃であり、また越境音楽ゆえに楽曲が自身の楽器ばかりを引き立てるように作られていないからでもあるだろう。齋藤もかつてコントラバスの弦を、技量が音に乗りやすいスチール弦からノイズ成分が多いガット弦にしたことがあった。そしてこれは即興なのだ。
沢井の指紋は絶えざる反復練習によって消えてしまい、他国での入国審査で疑われて足止めされたことがあるという。齋藤と同様に越境を模索し、そのために自身の音楽のエキスパティーズを磨き抜いたということだ。一方、齋藤は「アール・ブリュット」(伝統的な訓練を受けていない者の芸術)をも肯定的に評価した。演奏のエキスパティーズという面では矛盾するように聞こえるかもしれない。だが、そうではない。前者は自身を確立すること、後者は外部への拡張に際して制度への依拠を取り払うことである。
この日、沢井は「書かれていない音」「聴こえない音」を、齋藤は「出さなかった音」「効果を剥ぎ取った音」を、音楽にとって重要なものだと言及した。「破壊せよ」という形態のフリージャズが、森本あんり『異端の時代』(岩波新書)の言葉を借りるならば「みずからその部分を選び出し、これを焦点化することによって異端となっている」のだとして、ここでいう音楽は「正統でないものを特定して否定し、その最大外周を指し示すことで、はじめてその内容を薄明かりの中に浮かび上がらせることができる」ものかもしれない。あるいはその否定さえも懐に取り込むものかもしれない。
トークのあとは演奏となり、これらの言葉や考えが実践に先行したものでは決してないことが改めて示された。
筆者は、齋藤のコントラバスの音を思い出そうとしても簡単ではなく、演奏に直面するたびに、ああこの音だったと感じることが多い。それはおそらく、記憶をコード化する制度への依拠が少ないことを如実に示している。そして、さまざまな声が集まっては離れていくコントラバスの横で十七絃を弾く沢井の姿は、鬼にみえた。外部の音に呼応し、余裕と緊張という相矛盾する態度をもって(全体とは矛盾を抱え込むものだ)、上の「異端」ではない音を紡いでゆく。あるいはそうした「異端」を平然として公平に扱う。それは「焦点化」ではないからこそ説明が困難であり、また、トータル・ミュージックとしての即興でもあった。
休憩をはさみ、ダウン症のダンサー矢萩竜太郎が加わって踊った。丸くて柔らかい動きは、他のダンサーと何かが異なっている。その何かとは、ダンサー岩下徹が指摘したように(近藤真左典の映画『ぼくのからだはこういうこと』)、方法論を無化する衒いの無さでもあるに違いない。先まで鬼にみえた沢井が笑顔を浮かべて矢萩を見つめ、齋藤も「作品」としての破綻をおそれず矢萩と遊んだ。矢萩も「異端」のようでいて、実は全体性に貢献しているのだ。
(文中敬称略)