#1084 特殊音樂祭
Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
2019年7月13日(土) 町田市・和光大学学生ホール
坂田明 Akira Sakata (as)
巻上公一 Koichi Makigami (vo, theremin, tp, 尺八)
中川俊郎 Toshiro Nakagawa (p)
直江実樹 Miki Naoe (radio)
照内央晴 Hisaharu Teruuchi (p)
久保田晶子 Akiko Kubota (琵琶)
亀井庸州 Yoshu Kamei (vln, 尺八)
松本ちはや Chihaya Matsumoto (perc)
伊藤千枝子 Chieko Ito (dance)
東京都町田市の和光大学で第9回の「特殊音樂祭」が行われた。
パフォーマーは多様かつ偏っている。おそらくその脈絡のなさは意図的なものであった。<対話の可能性>について問うために、<即興>がテーマとして選ばれたのだ。そのためか、デュオの組み合わせが目の前のくじ引きで決められ、総合格闘技のテレビ中継を思わせる演出がなされた。即興音楽がサプライズ込みの異種格闘技戦のように行われることへのリスクはあっただろう。しかし、それを呑み込んだ上で行われた音楽イヴェントであったに違いない。結果としてさまざまな発見があり、その場での共有がなされた。
最初は坂田明×松本ちはや。サックスもパーカッションも直情的な攻めを得意とする楽器だが、相手とともに内省に入るプロセスもまた面白い。浪曲や都々逸のように「どんぐりころころ」を絞り出す坂田のアクションを受けてか、松本が小さいヴァイブの鉄琴を敢えて床にぶちまけ、強い無常を感じさせながらそれを拾う作業を即興の一部になさしめた。そしてクラリネットとパーカッションとの丁々発止のサウンドが展開された。
二番手、照内央晴×直江実樹。意図的に偶然をサウンドに取り込む直江のラジオは、いつかの記憶や外の世界を必然として呼び込む。拡がりのある音風景の中で、照内はピアノの和音を丹念に積み重ねていたが、やがて単音のフレーズに移行した。直江も単音のハウリングによって呼応した。このコミュニケーションにおいて、ピアノは存在を表出し、ラジオは存在を隠すように感じられた。
三番手、久保田晶子×巻上公一。周囲の空間を取り込んでサウンドとする巻上のテルミンや倍音ヴォイスは、つねに別の世界に向かって開かれている。ライヴ前には、会場後ろから巻上の喉歌が聴こえていた。久保田は薩摩琵琶を掻き鳴らすことで聴く者を驚かせ、歌とともに大きな振幅の波を創出した。
注目すべき点は、ふたりが場に笑いを喚起し始めたことだ。久保田が楽屋落ち的なネタを歌い、巻上がシェイクスピア作品の道化のようにコミカルに尺八を吹く。観客も我慢せずに笑い始め、即興への反応がより躊躇ないものとなった。勿論、息を呑んでパフォーマーの一挙手一投足を見つめるべき即興もある。だがここでの選択は、実験空間ではなく祝祭空間としての場を創り出そうとする意図によるものと思われた。
この流れを、中川俊郎×亀井庸州デュオも汲み取った。亀井が弦の粘りを使ってさまざまな音要素を提示し、中川が懐深く受け止めてみせる。空白の楽譜とペンを観客に渡し、書き込まれた「レンガ」の文字からふたりはレンガ的な即興を行った。四角くぎくしゃくとした構造やマチエールを幻視させるもの、だが言うは易しく行うは難し。その音楽化のプロセスがはしゃぎを伴い、即興の手の内が明かされたりもして、場の笑いは高まっていった。さらにまた、観客の幼児がむずがっているのを見ると、ふたりは静かな室内楽に切り替えた。高い即興技術と笑いの騒擾を通じて、「観る-観られる」の権力関係がみごとに破壊されたのだ。
最後に、ダンスの伊藤千枝子も加わり、全員のパフォーマンスが展開された。松本は会場のあちこちを叩き、伊藤はまろやかに舞い、照内は団扇で床を叩いて練り歩き、坂田はサックスのネックとゴムホースとを直結させて人力ノイズを発した。この場限りの祝祭空間に終わりを告げたくないと言わんばかりだった。
筆者はこの場にはじめて身を置いて、法政大学学生会館のことを思い出していた。かつて、バール・フィリップス、灰野敬二、ジョン・ゾーン、キース・ティペットなど、強烈な音楽のライヴを開いていた場である(2004年に解体された)。時代も音楽も異なり、必ずしも同様の意義があるわけではない。だが、すぐには評価が定まらない独自性を掘り下げる共同作業を、大学特有の場の力と化してゆくあり方は刮目にあたいする。
(文中敬称略)