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Concerts/Live ShowsNo. 258

#1101 新日本フィル定期演奏会 ルビー<アフタヌーン コンサート・シリーズ>第25回
指揮:ミシェル・プラッソン | バンドネオン:小松亮太

text by Masahiko Yuh 悠 雅彦

新日本フィルハーモニー交響楽団
RUBY<Afternoon Concert Series> #25
2019年9月28日(土曜日)14:00  すみだトリフォニーホール

1.狂詩曲「スペイン」(シャブリエ)
2.バンドネオン協奏曲(ピアソラ)
…………………………………………………休憩…………………………………………………
3.幻想交響曲…ある芸術家の生涯のエピソード…op.14(ベルリオーズ)
Ⅰ 夢・情熱
Ⅱ 舞踏会
Ⅲ 野の風景
Ⅳ 断頭台への行進
Ⅴ 魔女の夜会の夢
アンコール
歌劇「カルメン」前奏曲

新日本フィルハーモニー交響楽団(コンサートマスター:豊嶋泰嗣)
指揮 ミシェル・プラッソン
バンドネオン 小松亮太


正直に打ち明けると、私がこのコンサートに大きな関心を寄せたのは久方ぶりに聴くバンドネオンの小松亮太ゆえであった。小松亮太の演奏をひところはよく聴きに出かけたものだった。彼が20代のころだから、かれこれ20数年も前のことになろうか。その小松亮太が新日本フィルの<午後のコンサート>に客演するとの知らせを得て、勇躍会場のすみだトリフォニーホール(錦糸町)へ向かった。
昨年(2018年)デビュー20周年を迎えた小松が、わが国の代表的オーケストラと共演してバンドネオンを演奏するのは極く久しぶりではないかと思う。バンドネオンの曲がプログラムに載る機会が極めて少ないことや、クラシック音楽ファンのバンドネオンに対する好みも限定的であることから考えて、二の足を踏む関係者がいたのではないかと思うが、もしそうだとしたら、そんな些末的理由で出演者や演奏曲の選定にブレーキををかける時代ではもはやないことを認識すべきだろう。
ところが、である。私個人にとってとんでもない慶事が起こった。このコンサート評は、小松亮太の演奏と彼がこの日取り組んだアストル・ピアソラのバンドネオン協奏曲について書くつもりでいた。もし小松の演奏が意に沿うものでなければ、この日の演奏はコンサート評としての予定を取り下げればよいという考えだった。ところが、その慶事が二つ重なって起こったのだ。予定に入っていた小松亮太の演奏は案の定素晴らしかった。この時点では小松の演奏と競演した新日本フィルの演奏が予想を上回って上出来だったことに胸が弾み、さてどんな内容のリポートにしようかと考え始めた。思いがけないことが起こったのは実はこの直後のことである。

ミシェル・プラッソン

さて、休憩時間が終わって、後半のステージが始まった。曲はエクトル・ベルリオーズの代名詞のような「幻想交響曲」だ。決して嫌いな曲ではないのに、あまりに何度も聴きすぎたせいか、聴き飽きてしまったと言うべきか、途中退出するわけにもいかず大変申し訳ないが、聴き流して時間を費やすことに決めた。
だが、奇妙な予感はあった。現に、前半のピアソラの「バンドネオン協奏曲」におけるミシェル・プラッソンの指揮に引き込まれる私がいたからだ。だが、このときはさほど真剣に考えることはなかった。というのは、私の目と耳は小松亮太のバンドネオンに吸い寄せられていて、プラッソンって素敵な指揮者だなという程度の認識だったからだ。ところが、「幻想交響曲」になって事態は一変した。オーケストラの音の鳴りがまったく違うのだ。アンサンブルの揃い方までもが別のオーケストラに交代したかのように違うのだ。別の言い方をすれば、プラッソンがタクトで強弱を示すと、途端にオーケストラのメンバーが一斉に音の鳴りを豪快に唸らせたり、逆に弱めたりする。ここまでならどの指揮者もやっていることだ。だが、プラッソンが振ると音の鳴りも違えば、アンサンブルのありようすらも違った音となって外へ飛び出してくるのだ。どのオケも指揮者のタクト通りに演奏しているはずだが、プラッソンの場合は別に新日本フィルを手なづけているわけでも、隠れ訓練をしているわけでもないのに、他では聴いたこともない、まさに一流オーケストラ並みの音とアンサンブルの実現に成功しているのだ。私はあっけにとられるほど驚いた。このことを知っている聴衆がこの日来場したのだろうか。全5楽章が終わった途端、弾かれたような大拍手が沸き起こり、次の瞬間多くの観客が立ち上がってプラッソンを讃え、会場を歓喜で包み込んだのだ。初めてミシェル・プラッソンという指揮者の舞台姿を見た私が、単に異常な興奮をしているせいだろうか。第一、すべての演奏を終えた瞬間、聴衆が立ち上がって拍手を惜しまず、座ったままの聴衆も手が腫れるほどの拍手を、プラッソンが舞台脇へ引っ込んだ後も叩き続けたのだ。どの楽章が素晴らしかったというような話ではない。オーケストラの面々もプラッソンのタクトに一心に集中し、フォルテやピアニッシモの指示に気持ちよく応える。従って、フォルテとピアニッシモの音響上の差は天と地ほどにもなって、こちらの脳と耳を圧倒した。少なくとも普段クラシックの演奏会評を手がける機会の少ない私にとって、こんな指揮者が元気で活躍しているというのは朗報以上に驚きであった。プラッソンがレジオン・ドヌール勲章コマンドゥールの受賞者である理由がよくわかった。新日本フィルとは2018年5月の<ジェイド>シリーズに出演し、ドビュッシーやフランクを指揮して以来の出演らしいが、新日本フィルに限らず本邦のオーケストラが彼のタクトで演奏する機会を可能な限り増やして欲しいと思うのはおそらく私だけではないと思う。80も半ばを過ぎたこの老獪にして若々しい指揮者のステージをぜひ今後も注視し続けたいと思っている。とにかくこれほど素晴らしい「幻想交響曲」なら毎日でも聴きたい。この日のアフタヌーン・コンサートはアンコール曲にビゼーの「カルメン前奏曲」を演奏して幕を閉じた。機会があるなら、ぜひ近い将来、彼のタクトで得意のフランス曲を演奏する機会を作ってもらいたい。(2019年9月30日記)

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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