#1285 李松+趙叢+朱文博
Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
2024年1月2日 水道橋・Ftarri
Li Song 李松 (computer with build-in speaker or bluetooth speaker, objects)
Zhao Cong 趙叢 (objects)
Zhu Wenbo 朱文博 (transducer feedback, objects)
北京在住の朱文博(ツゥ・ウェンボウ)と趙叢(チャオ・ツォン)が久しぶりに来日した。また西安出身・ロンドン在住の李松(リ・ソン)は1年ぶりの日本である。3人とも方法論自体から作り上げる者であり、どんなことを演るのかわからない。演奏前に朱に使う予定の楽器について訊いたところ、秘密だと笑って答えた。やはりというべきか、蓋を開けてみると予想外の展開となった。
はじめは趙と李とのデュオ。筆者が過去に観た李のソロ演奏は(2022年・両国BushBash、2023年・ロンドンCafé OTO)、縦にしたスネアドラムに上から吊るした発振体を近づけて皮を振動させるものだった。それはデバイスや楽器の位置関係に対する偶然性を活かすものであり、今回のアプローチにも共通していたということができる。李は頭上の紐に小型マイクを結わえてぶら下げ、近くのファンからの風など外的な情報を取り込み、それをPCで加工した。マテリアルをときおり押したりして半制御するとともに、PCで絶えずプログラミングを書き換えた。
そのように音の依って立つものを動かし続ける李のありようとは対照的に、趙は静かな策動をみせた。風船をなんども膨らましては空気を抜き、中で多くのピースを躍らせ、それらの音を採取し加工した。傍らの水を入れたグラスの中には防水対策を施したコンタクトマイクを沈め、やはりグラス内で踊るキャンディからの音を採取した。だから、彼女はものとものとの間のマージンを拡大したということができる。たしかに動きは静かなものだが、マージン自体のもつ速度が音に変化していた。すなわち、速度のとらえかたが李と趙では異なるわけであり、そのことがデュオを絶妙な関係にした。
つぎに朱のソロ。かれはステージ横に座り、観客にスマホを使うよう依頼した。客は自分自身のスマホになるべく抑えた音で声などを録音し、自由に再生する。次第にざわざわとした音がそこかしこで発生し、重なり、奇妙な音空間を形成する。朱はそれを取り込むとともに、自身でもスマホに声を吹き込み、場のサウンドを動的かつ多層的なものとした。観客に加えて場も参加する形のサウンド・インスタレーションとして非常におもしろい。
最後にトリオ。3人は両手に小さいデバイスを持つ。「transducer」と名付けられたそれはマイクとスピーカーの両方を兼ねており、今回の演奏においては左手にマイク、右手にスピーカー。特に発振体があるわけではないが、結わえられた紐、そしてその上に被せられる紙やアルミホイルなどの異音が拾われ、電気信号と化して床のアンプに届けられ、それが隣の演者のスピーカー(transducer)から音を出す。間接的に床のアンプ経由の信号で結ばれたトリオである。こう書くと単純な仕掛けのようだが、実際に目の当たりにするそれはとても変化に富んでいる。誰かのちょっとした行動で関係としての音を変貌させ、さらにそれをおのおのが柔らかいフィードバックとして受け止める。すなわちサウンドが社会と同義なのである。筆者を含む観客にとっては、それはドラマチックでさえあった。
三者のパフォーマンスは、つねに新しいものが胎動する東京の即興シーンにおいても極めて独創的なものであったということができるだろう。また次の機会が楽しみでならない。
(文中敬称略)
フリー・インプロヴィゼーション、李松、趙叢、朱文博