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R.I.P. / 追悼GUEST COLUMNNo. 281

追悼:バートン・グリーン~どうか不義理をお許しください。

Text by 剛田武 Takeshi Goda

個性派ぞろいのESP Diskの中でも筆者が特に偏愛するアルバムがピアニストのバートン・グリーン率いる『Burton Greene Quartet』(ESP 1024 / 1966)である。出会いは1982年頃、大学生協の中古レコードセールだった。格安の500円コーナーにはなぜかフリージャズや前衛ロックのレコードがたくさんあって、喜び勇んで買い込んだ十数枚の中の1枚がこのアルバムだった。ESP諸作やLAFMSやEEUやNew Jazz Syndicateなど謎に満ちたレコード群の中で、ひと際目を惹く渋いダンディなジャケット写真に魅了され、針を下ろすと初っ端から全員くんずほぐれつ突進する、その名も「クラスター・カルテット」に心を鷲掴みにされた。自分でアルトサックスを吹いていたこともあり、ジャズ方面ではサックス奏者にしか興味がなかったが、このアルバムではマリオン・ブラウンのサックスよりもゲイリー・クーパー似の鍵盤奏者に軍配が上がった。ピアノに金属的な異音が重なり、突然パーカッシヴな打撃音になったり、鎖を引きずるノイズに豹変する。筆者の物音ノイズ好きはこのプリペアド・ピアノから始まったのかもしれない。同時に買った歌手パティ・ウォーターズの『Patty Waters Sings』(ESP 1025 / 1966)にも同じピアニストの名前を発見し、B面すべてを占める“Black(黒)・・・Black(黒)・・・Black(黒)”というパティの喘ぎ声に背後霊のように寄り添うピアノの優しさに戦慄した。

それ以来バートン・グリーンという名前は筆者版“NWWリスト”に載ることになったが、その当時、多分植草甚一のエッセイで読んだ「バートン・グリーン事件」というエピソードを知ったことでその名はより深く心に刻まれることとなった。詩人・作家のアミリ・バラカ(当時の名義はリロイ・ジョーンズ)が1966年に『ダウンビート』に書いた記事で、1964年にマリオン・ブラウンやファラオ・サンダースと共演したグリーンの様子を“黒人ミュージシャンに圧倒され、自己嫌悪に陥り、イライラした気持ちを楽器にぶつけて悔しさを表明し、ついに耐えられなくなり頭を抱えてピアノの下に潜り込んでしまった”と嘲笑した内容である。ESPのレコードでマリオン・ブラウンを凌駕する迫力の演奏を聴かせるグリーンにこんな過去があるとは信じられなかった。あとになって黒人至上主義者の差別的な視点で書かれた記事だったと知ったが、誹謗中傷に晒されても、その上を行く過激な表現行為を続けるグリーンを推す気持ちに火が点いたのは確かである。

ESPの2作目のリーダー作『The Burton Greene Trio ‎/ On Tour』 (ESP ‎1074 / 1968)』(得意技の内部奏法“ピアノハープ”がたっぷり聴ける)、パティ・ウォーターズの2nd『Patty Waters / College Tour』(ESP 1055 / 1966)(バートン・グリーン・トリオの参加は1曲だけだが、パティの呪術性を最大限に引き出す怪演は間違いなくアルバム最大のハイライト)、メジャー・レーベルからの唯一作『Presenting Burton Greene』(Columbia CS 9784 / 1968)(即興ジャズに初めてモーグ・シンセサイザーを取り入れたレコード。当時の日本盤の解説では岩波洋三先生がバートン・グリーン事件を引き合いに出して“くやしさを知る者には進歩がある”と微妙な褒め方をしている)、フランスのESPと呼べるBYGの『Burton Greene Ensemble / Aquariana』(BYG 529.308 / 1969)(”ハレクリシュナ~ハレラマ~”というバートンの詠唱が聴ける東洋趣味全開作)と聴き進み、どのアルバムも面白くて愛聴していたが、いかんせん70年代以降のレコードは日本で手に入りにくく、“推したくても推せない”もどかしさに、いつしかフォロー解除状態になったまま歳月が過ぎて行った。

バートン・グリーンの名前を久々(20数年ぶりか?)に聞いたのは、2017年12月、15数年ぶりに訪れたロンドンでのことだった。Cafe Otoに出演したパティ・ウォーターズのバックをグリーン(とベースのティッチ・フォーゲル)が務めたのである。残念ながらニアミスでライヴを観ることはできなかったが、翌年Cafe Otoからデジタル・リリースされたライヴ・アルバム『Patty Waters / 6.12.17』(OTOROKU 118 / 2018)【Disc Review参照 】のあまりの素晴らしさに、パティはもちろんだが、何よりもバートン・グリーンを生で観る機会を逸したことに大きな後悔の念を抱くことになった。調べてみると、1969年にアメリカを離れてヨーロッパへ移住したグリーンは、アムステルダムのハウスボートに居を構え、現地で精力的に活動し続け、これまで100枚近いアルバムを発表している。しかもジャズや即興音楽のみならず、現代音楽、シンセサイザー・ソロ、シタール奏者とのEast-West Trio、クレズマー音楽アンサンブルKlezmokumとKlez-Edgeなど縦横無尽の活動ぶり。日本のみならず、おそらくアメリカでも、“あの”バートン・グリーンがこれほど豊潤な音楽を作り続けていることは知られていないに違いない。もし彼がECMや居住国オランダのICPなどの有名レーベルから作品をリリースしていれば状況は違ったかもしれないが、そうしなかったグリーンに俠気(おとこぎ)を感じて惚れ直す筆者のようなファンも少なくないだろう。

昨年コロナ禍の第1回緊急事態宣言のさなかに、筆者は突然『バートン・グリーン私論』を執筆しようと思い立ち、Facebookを通じてバートン・グリーン本人と何度かやり取りをした。アミリ・バラカから「バートン・グリーン事件」の人種差別的描写について直接謝罪が成されたこと、1964年にアラン・シルヴァ等と結成したFree Form Improvisation Ensembleのこと(音源が欲しければCDRを焼いて送ってくれると言ってくれたが恐れ多くて頼めなかった)、こうしたエピソードはすべて2001年に出版した自伝『Memoirs of a musical “pesty mystic”: Or, from the ashcan to the ashram and back again』 (Cadence Jazz Books) に詳しく書いてあることなど、興味深い話を教えてくれた。新作が出た時には正式なインタビューをしようと思っていたが、年が明けてからは何となく連絡するのを忘れていたまま半年以上経ってしまった。今年8月半ばに海外から届いたメールマガジンに“Rest in peace Burton Greene and Sonny Simmons”と書いてあるのに驚いて、慌ててググって6月28日にバートン・グリーンがアムステルダムで84歳で亡くなっていたことを知った。同じころ(奇しくも3人とも6月26日)に作曲家のフレデリック・ジェフスキー、トランぺッターのジョン・ハッセル、サックス奏者の土岐英史が亡くなったことは報道やフォロワ―の投稿で知っていたが...全くの不覚であった。深く不義理を詫びる次第である。

ソニー・シモンズ(sax / 2021年4月6日没)、ミルフォード・グレイヴス(ds / 2021年2月12日没)、ジュゼッピ・ローガン(sax, fl / 2020年4月17日没)、ヘンリー・グライムス(b / 2020年4月15日没)とESP時代の盟友が待つ天国では、今頃バートン・グリーン(p) を迎えて超豪華なフリー・フォーム・インプロヴィゼーション・アンサンブルが結成され、乱痴気演奏を繰り広げているかもしれない。霊能者に頼んだら演奏を聴くことはできないだろうか?それを念録して海賊盤でリリースできないか?などと妄念は膨らむばかりである。(2021年9月1日記)

Narada Burton Greene公式サイト(未更新のままである)

追記:『バートン・グリーン私論』は筆者のブログで象の歩みで連載中です。

剛田武

剛田 武 Takeshi Goda 1962年千葉県船橋市生まれ。東京大学文学部卒。サラリーマンの傍ら「地下ブロガー」として活動する。著書『地下音楽への招待』(ロフトブックス)。ブログ「A Challenge To Fate」、DJイベント「盤魔殿」主宰、即興アンビエントユニット「MOGRE MOGRU」&フリージャズバンド「Cannonball Explosion Ensemble」メンバー。

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