Chapter 14 辛島文雄
photo&text by 望月由美
撮影:2009年8月1日
仙川アヴェニュー・ホールにて
いつお会いしても明るい笑顔で人懐っこく話しかけてくれる。勿論、私だけにではない、だれにでも無防備なほどフランクに素顔を見せてくれる。あっけらかんと自らを開放しながらもさり気なく相手を気遣う優しさと礼節を持ち合わせている。輝かしいキャリアから来ているものというよりは、生まれながらの気質が自然ににじみ出てくるのである。辛島文雄のピアノも日常の会話と同じように豪放にして繊細、持てる情熱をひたすら演奏に注ぎ込み、ジャズへのピュアな心意気がパワフルな音からから伝わってくる。そしてその熱意が共演するミュージシャンばかりか観客にもダイレクトに伝わり、ステージは何時もホットな熱気に包まれる。
常にジャズの本道を歩み続け、その強靭なタッチと前のめりのドライヴ感がうまくかみ合って強力なスイングを生み出す辛島文雄、その顔にはジャズを演奏する喜びが満ち溢れている。
辛島文雄が大学時代、ピアノの研鑽と並行しジャズ研でドラムを叩いていたことはあまり知られていない。1966年、エルヴィン、トニー、ブレイキー「3大ドラマー」の九州公演時には楽屋に押しかけ、エルヴィンと握手を交わしたというが、以来辛島はとことんドラムにこだわっている。
これまでに共演してきたドラマーはエルヴィン・ジョーンズを筆頭にトニー・ウィリアムス、ジャック・ディジョネット、ジョージ大塚、日野元彦、奥平真吾、本田珠也と枚挙にいとまがないほどで常にドラマーと向き合って自らの音楽を創ってきたのである。そして昨2010年にはMr.ヘヴィー・サウンド、森山威男を迎えて『辛島文雄meets森山威男/E・J・Blues』(PIT INN、PILJ-0003)をピットインでライヴ・レコーディングした。
僕にとってジャズっていう音楽はね、もう、ドラマーのための音楽だっていうくらいに思っているんですよ。ドラマーはジャズっていう音楽の演出家だと思っているわけ。だから僕のバンドでは僕が主役だとしたら演出家であるドラマーがいてよい演技ができるわけですよと辛島さんはいう。『E・J・Blues』における<Hangin’ Out>での辛島×森山の丁々発止と繰り広げられるデュオは正にドラムあっての辛島が聴けて面白い。
辛島文雄は1948年大分の生まれ。父親が大分大学の音楽教授という音楽的に恵まれた環境で育った。3歳のときからピアノをおもちゃ代わりに親しみ、クラシックのレッスンを受けていたという。高校時代にモダン・ジャズの洗礼を受け、九州大学時代はピアノの研鑽を積む傍らジャズ研でドラムを叩いていた。1972年アメリカに渡るが半年ほどで帰国し、当時若手ミュージシャンの登竜門的存在であった新宿ピットインのティールームでピアニストとしてデビューしている。水橋孝G、ジョージ大塚G等をへて1980年から1986年までの6年間、エルヴィン・ジョーンズのジャズ・マシーンに在籍したが自分の音楽をやるために退団、1988年に奥平真吾(ds)等を入れた辛島文雄クインテットを結成、1991年にはスイング・ジャーナル誌のポール・ウイナー、2006年にはジャック・ディジョネットとの『グレート・タイム』(VACM-1277)によってSJ誌南里文雄賞を受賞するなど永年に亘って日本のジャズ・シーンを牽引してきている。
辛島文雄にとって1980年~1986年まで、エルヴィンとの6年に及ぶ共演はその後のジャズへの向き合い方を大きく変えるほどの得がたい体験だったようである。日本にいた頃は、ブルースはウイントン・ケリー、ハンコック、ラテンはチック・コリア、モードはマッコイ、バラードはエヴァンス風に弾くのが僕にとってのジャズだったんですよ。で、エルヴィンのところでも同じように演奏していたらエルヴィンはいい顔してくれないんですよ。ユア・サウンド・グッドといってはくれるんだけどいい顔はしてくれない。こちらが分かっていないんだから当然なんだけどね。で、僕はこのバンドは合わないんだと、やめようと思い始めたんですよ。そんな時にエルヴィンがアメリカの親善大使みたいな立場でギリシャに行き、アテネの国立劇場で2日間演奏したんです。僕は辞めようという気分の頂点にきていて、もう最後だから好き勝手に弾くって決めて、頭の中を真っ白にしてどうせ首になるんだからやりたい放題やって帰ろう、ある意味で開き直ったというか。ステージで自分の好きなように弾きまくって、で、これでクビだクビだって思って清々して楽屋にもどったら (リーダーのエルヴィンとサイドマンは楽屋が別なんだけど) エルヴィンがわざわざ僕の楽屋まで訪ねて来てくれて、僕をハグして、「おまえ、今までどうして今日みたいに弾かなかったんだ」っていうんです。エルヴィンのこの一言で勇気をもらい、そこから自分探しの旅が始りましたね。だから30代は出直しでした。とにかくエルヴィンは自分の基礎を築いてくれた人で最高でしたね。エルヴィンと行を共にした6年間でジャズのルーツが自分の中で分かるようになってきて、ジャズに対する愛情とリスペクトが芽生えたのだそうだ。
エルヴィンは1回が3ヶ月に及ぶロング・ツアーを年2回と夏のフェステイヴァルへの出演、日本への里帰りを年中行事としていたというが、辛島文雄の演奏活動もエルヴィンに似ている。例えば今年の夏は『SUMMER TOUR 2011』と称し5月27日(金)から7月18日(月・祭)まで移動日を除いてほぼ連日青森から沖縄までコンサートまたはライヴを敢行する。これほどヘヴィーなスケジュールは日本では極くまれである。このハードなツアーをこなすのは体力もさることながら、さあ、行くぞ、という気力、強靭な精神力が兼ね備えられていなければこなせない。こういうエネルギーもエルヴィンと行を共にすることによって培われてきたのかもしれない。特に今回のツアーは各開催会場における救援募金を行うほか震災後の東北方面での演奏も予定しており、移動の合間を縫って避難施設での慰問ライヴをすることも計画しているという。ジャズの本流を行く辛島文雄の全国ツアーから支援の輪が広がることを期待したい。
初出:Jazz Tokyo #159 (2011.5.29)