ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #50 Kris Davis <Diatom Ribbons>

カナダ人であるクリス・デイビス(Kris Davis)と言えばニューヨークで活躍するアバンギャルド系ピアニストだが、筆者はどうもこのアバンギャルドとか前衛とかいうレッテルが苦手だ。フリージャズなる呼び方も、だ。オーネットのハーモロディクスは、その理論自体にアバンギャルドの語彙に含まれる破壊性を持っているので別格として、その他多くのフリーと呼ばれている音楽にいったいどれだけアバンギャルドという言葉が当てはまるのか判断に苦しむ。フリーという言葉の定義もはっきりしない。筆者の、このカテゴリー名との葛藤は、本誌No. 241楽曲解説 #30のセシル・テイラーの記事をご覧頂きたい。筆者がベルリンでのコンサートの後、楽屋で名のある(らしい)彫刻家に非難されたあの一言、「きみの音楽は真のフリーではない」が未だに忘れられない。筆者はフリーインプロの時、常に次に何をやるかを考えながら演奏する。また、他のバンドメンバーとのインターアクションを常に考えながら演奏する。それがフリーでないと言われた理由なのだ。
音楽でのインプロビゼーションは言語と考えろ、と常々生徒に言い聞かせている筆者だ。ボキャブラリーのことだ。どんな芸術でもまず先人を模倣して勉強することが必須だが、演奏という行為はその国で話される言葉とその喋り方に深く繋がっている。アメリカ音楽のタイム感を習得するためには、アメリカ英語の映画を何回も観ることが助けになる。また、生まれたての赤ん坊は、親が話す言葉を聞いて、それを真似して習得するまで自分では喋れないということを忘れてはいけない。これを前提にした場合、フリーなインプロビゼーションとは、次に発する言葉を考える前に声を上げる、ということになるのであろうか。オーネット以外では思い当たらないような気がするが、そう言えばセシル・テイラーの講義もそういう意味ではフリーだったような気がする。但し彼の詩のパフォーマンスはちゃんと紙に書いてあった。

筆者にとってクリスの魅力は多々ある。クリスは、YouTubeで語っているようにクラシックはもちろん、ジャズもロリンズ、コルトレーン、マッコイ、エヴァンスなどを完璧にマスターしている。また、幅広く色々な音楽から吸収しなければならないと語る。つまり彼女自身フリーインプロをするために膨大なボキャブラリーを備えている。その上筆者と同じようにグルーヴを重視する。これが嬉しい。今年5月録画のYouTubeをご覧頂きたい。リズムセクションのご機嫌なスイング感の上でクリスは自由にインプロしまくる。滅多に同じメンバーとバンド活動しないクリスだが、最近のTerri Lyne Carrington(テリー・リン・キャリントン)とのコラボが嬉しい。ご機嫌なグルーヴだ。そのテリーが今年クリスをバークリー音楽大学のBerklee Institute of Jazz and Gender Justice(ジャズ界に於ける男性至上主義に立ち上がる新しい女性のためのムーブメント)のクリエイティブ・ディレクターに就任させた。これからボストンでライブがもっと観られるかもしれない。楽しみだ。
しかしなんと言ってもクリスの1番の魅力はその作曲能力の凄さだと思う。クリスは変拍子を好むが、全く変拍子に感じさせないで聴く者を心地よいグルーヴに誘う。わざわざ数えていなければ変拍子と気がつかないことがあるかも知れない。それぞれの曲の構成力もまたすごい。そのしっかりと構成された曲の中に登場するフリーインプロとの調和が実に絶妙だと思う。また、クリス自身参加ミュージシャンへの指示をかなり細かくしていると感じさせる。だからクリスの音楽をアバンギャルドとかフリージャズとか呼ぶのは誤解を招くと筆者は感じる。筆者にとって彼女の音楽は、コンテンポラリー・インプロ音楽だと思う。誤解のないように付け加えるが、このアルバム9曲目<Golgi Complex>で聴かれるように、一般にアバンギャルドとかフリーと認識される曲ももちろん演奏するクリスだが、それは彼女の音楽の延長に過ぎない、と筆者は考える。ところで、Gunther Schuller(ガンサー・シュラー)が創設した「サードストリーム」というカテゴリー名がどうして普及しなかったのであろう。あれは包括していて便利なカテゴリー名だったのに。

それにしても筆者は一つだけクリスに対して気になる部分がある。笑わないのだ。楽しそうに演奏するHiromiを見て間もないので余計そう思うのかも知れない。クリスが最近起用しているターンテーブルのハイチ人、Val Jeanty(ヴァル・ジーンティー)などはかなり過激な様相なのに、ライブでは楽しみながらすごい演奏をしているのがこちらに伝わって来る。反対にクリスはあたかもバンド全体のサウンドの責任を一人で背負っているような表情で、どうも緊張させられてしまう。(YouTube →)
『Diatom Ribbons』
このアルバムのタイトル、『Diatom Ribbons』とは、直訳すれば「珪藻の帯」ということになる。辞書によると、珪藻(ケイソウ)とは「不等毛植物に含まれる単細胞性の藻類のグループ」らしい。NYタイムスに掲載された彼女のインタビューで本人が語った説明を紹介する。
「このアルバムのタイトルの由来は、この世の中に存在するあちらこちらの水に生息し、人類が必要とする酸素の50%を生成する珪藻と呼ばれる小さい単一細胞の藻類で、顕微鏡で覗くとその模様は美しく、また、大気圏外から地球を見た時の海域のようにも見える。その不規則に広がる様相はショッキングとさえ言える。」

この9月27日に発表になったアルバム、筆者が耳を止めたのはそのビート感の心地よさと、今流行りのDJの使用だ。このアルバムのクレジットでは、前述のヴァル・ジーンティの楽器がターンテーブルとなっているが、今年2度見たグラスパーのステージで非常に楽しませてくれたDJ Jahi Sundance(DJ・ジャヒ・サンダンス)のDJというクレジット同様、電子効果音を実に斬新に挿入する。最近のDJ/ターンテーブルで特筆すべきは、誰かのインタビューをサンプルしてそれをメッセージ兼効果音として使う方法だ。この手法自体は新しいわけではない。60〜70年代のヨーロッパ現代音楽シーンで使い始められたと記憶する。グラスパーやそのほかの現代のアーティストも、ほとんどは人種問題などに対するメッセージに集中している。
そんな中、このアルバムは全く違ったタイプのメッセージを発する。まず冒頭タイトル曲では、いきなりセシル・テイラーのインタビューだ。アルバムが進むにつれ、<Corn Crake>でメシアン(Olivier Messiaen)の言葉がサンプルとして登場する。また、サンプルではないが、クリスは詩の朗読も効果的に挿入する。<Certain Cells>で、ピューリッツァー賞受賞黒人女性詩人、Gwendolyn Brooks(グウェンドリン・ブルックス)の詩が、何とEsperanza Spalding(エスペランサ・スポルディング)による朗読で始まり、何とも言えない不思議な世界に連れ込まれる。
Cecil Taylor(セシル・テイラー)
前述のNYタイムスのインタビューで、クリスはセシル・テイラーとメシアンから強く影響を受けていると語る。
「セシルはフリーで演奏していても常にリズムがある。つまり、本能に従った抽象的な演奏の中にもリズムは存在するということよ。」
セシルを愛するクリスがこのアルバムのタイトル曲、<Diatom Ribbons>で使用したセシルのインタビューの内容を要約してみよう。
「最初から規則に従うのは嫌いだったよ。自分のスケールを創り出したり、ハーモニーに対して自分独特の概念を創り出したりして喜びを感じていたりしたものさ。つまり、自分が直感で感じたものを具現化させるという作業だ。根を詰めた練習ではなく、生きることの喜びの追求さ。」
「自分にとって音楽とは自分の命を救ってくれたものだ。人生でつらいことがあったり、憤りを感じたり、フラストレーションを感じたりしても、自分にはもっと大切な生きる目的があるのだ、ということを認識し直すのさ。その目的とは、音楽さ。そのことに一度気がつけば、全てが喜びとして感じられ、色々なものが違って見えるのさ。」
「2度同じように演奏することは絶対にない。」
筆者とセシルとの関係に関してはこちらの記事をお読み頂きたい。

<Diatom Ribbons>
アルバム1曲目にしてタイトル曲だ。入手して初めて聴いた時、まあ何とカッコいい曲だろうかと思った。1分43秒付近までの、ヘッド(テーマ)に向かう長いイントロがともかくすごいのだ。一体どんな頭脳からこんなアイデアが湧いてくるのだろうか、と感嘆してしまった。ともかくこの曲はクリスの作曲手腕のオンパレードと言っていいだろう。
まず最初、5拍子とすぐわかるが、ミュートした左手のオスティナートが思いっきりグルーヴしていて、ともかくカッコいい。採譜してみた。

ミュートしたオスティナートのピッチはCと3オクターブ下のBへの跳躍だ。ヘ音記号の下に8と書かれ、1オクターブ上の表記であることにご注意頂きたい。右手のラインと合わせて考えると、調性はF Lydianなのが容易にお判り頂けると思う。
イントロ7小節目から語りが入る。すぐにセシル・テイラーの声と認識できる。「最初から反抗的な生徒だった。」と言い終わったところ、9小節目からテリーのドラムフィルが入るが、これがまたカッコいい。フロアタムのチューニングや、ロック界で著名なエンジニア、Ron Saint Germain(ロン・サン・ジェルマン)のミックスの良さもあるだろうが、なにせ非常に劇的なのだ。ロールにも幅があり、気持ちがいい。期待感をぐんぐん盛り上げてくれる。
21小節目からF Lydianではない調性が飛び込む。後に現れるヘッドの調と考えられるD♭だ。FはD♭の3度という調性決定音なので、この移行は奇抜に聴こえないものの、完璧な2階建のハーモニーを構築している。このアイデアが実に気持ちいい。しかし、ここで真に驚くのは、5/8が6/8に移行しているのに、全く変化を感じさせないことだ。恐らく理由の一つはオスティナートの変化が巧妙だからだと思われる。採譜してみた。6/8を3+3という誤解を避けるためにコンポジット表記にしたことに注意。

よく見ると、FとしてもD♭としても成立しない、つまり2階建だと誇張する配慮が上手にされている。つまり、Fを調性とした場合BとB♭を共存させることは不可能だし、D♭を調性とした場合CとBを共存させることは不可能だ。いずれにせよBが重要点となっている。Fに対してはLydian決定音、D♭に対してはMixo Lydian(Dominant)決定音だ。
その8小節後、何と9拍子に変化するが、このあたりから非常に複雑になってくる。この9拍子は5+4の9拍子だ。採譜をご覧頂きたい。分かりやすいように最初の小節を9拍子表記、次の小節を5拍子と4拍子で表記した。

まずオスティナートは最初の4ビート(日本で使われるスイングを表すフォービートという意味ではなく、ビート4つという意味:この場合は8分ビート4つ)をオンビートで演奏し、グルーヴが止まらないよう工夫されており、このため聴いている者は9拍子に変化したことに気がつかないかもしれない。これに対しテリーのスネアビートがオンの位置にいない。よく聴くとハイハットも全てオフビートだ。これは演奏することすら容易ではない。
なぜこのパターンは5+4なのか、だ。それはクリスのフレージングにある。クリスのモールス信号のようなパターンに集中して耳を傾けるとご理解頂けると思う。譜面を見ると他の細工にも気がつく。オスティナートは前半がオンビート、後半がオフビート。それと逆にドラムは前半がオフビート、後半がオンビートだ。おそるべしクリス。しかしこれでグルーヴし続けるテリーにも感嘆する。
33小節目、56秒付近でもっとややこしくなる。クリスの右手が新しいテンポに移行する準備を始めるからだ。この3連を使用してビートをずらすやり方は筆者がデイブ・ホランドにみっちり仕込まれたタイム・ワープ奏法だ。これは本誌No. 253楽曲解説#42のクリス・ポッターの記事で説明したので、是非ご覧頂きたい。採譜してみた。

またしてもオスティナートの変化とドラムのパターンに注目して頂きたい。オスティナートのオンビートの数は前回の半分だが、始まりがオンビートなのでグルーヴを止めていない。そして、ここに来てドラムのパターンがオンビートのバックビートに変化する。それでもハイハットだけは継続してオフビートだ。
このクリスの右手のパターンは、この曲の第二テーマでもある。ソロフォームの中でも登場するのだ。ボイシングは全て3度抜きの♭9コード、メロディーに当たるトップ音は全て黒鍵、とこれもまた深く考えられている。しかもむちゃくちゃキャッチーで耳から離れない。
このパターンを4回繰り返した後、新しいテンポへ移行される。ビートが1.5倍早くなる。ここで驚くのが、ここから入るTrevor Dunn(トレバー・ダン)のベースラインだ。採譜してみた。

ベースラインが3連だ。これはどういう意味かというと、ピアノもドラムも新しいテンポを始めたのに、ここから登場したベースには旧テンポを演奏させている、ということだ。但しテリーは完璧に新しいテンポに移行したわけではなく、ベースの3連に合わせたようなフレーズも演奏している。ここはヘッドに入る前の移行セクションの最後、つまり、イントロ4も5も両方合わせて移行セクションとして配置されており、メトロノーム位置はイントロ4では旧テンポ、イントロ5では新テンポとなっている。こういう計算されたテンポ移行をMetric Modulation(メトリック・モジュレーション)と言う。この場合、俗に言う2拍3連の移行だ。クリスのすごいところは、移行前の2拍3連を移行後にひっくり返して、テンポに変更があったことをあからさまに気がつかせないように絶妙な細工をしているところだ。実に恐るべしクリス。このあたりで筆者は完璧にシビれてしまった。
ちなみにこのベースラインの1小節目はA♭7であり、ここでこのヘッドの調整はD♭であることを強く感じさせるわけだが、長調か短調かの判断をさせてくれない配慮が細かく施されている。実に巧妙だ。Dナチュラルの登場から、筆者が憶測するにクリスはD♭ドミナントを基調に設定しているのかも知れない。
1分43秒のイントロで下準備が出揃ったところでヘッドなのだが、これがまた奇抜だ。これだけ期待を高めさせておいたのに、2本テナーによるヘッドのラインは全く意を突いてひょうひょうとしたゆったりなラインなのだ。その2小節フレーズに対するクリスのフィルが対照的で効果的だ。採譜してみた。クリスのフィルは1回目のみ採譜した。

ヘッドは縦割りのコードを限定するだけの材料がないので憶測は控えるが、注目したいのはターンアラウンド(フォームの繰り返しのための処理)である最後の2小節のストップタイムだ。クリスがGeorge Russell(ジョージ・ラッセル)のリディアン・クロマティック・コンセプトに親しんでいたかどうかは知らないが、ラッセルの理論で分析すると、2ステップ外向→1ステップ内向→2ステップ外向→4ステップ内向という、綺麗な図ができるような動きになっている(興味のある方はこちら参照)。つまり、そこまでの自由を与えるセクションと相対するターンアラウンドとしての効果を上げているのだ。もう一つ、このストップタイムはイントロのテンポにいつでも戻ることが出来るための配慮も仕込まれている。これは後述のアウトロで判明する。更にそのターンアラウンドに向かうためにメロディーが3連、つまり駆け上がるような細工がされている。ともかく全て緻密に計画されているのだ。ちなみに注意して頂きたいのは、63小節目のポリコードであるGトライアッド・オーバー・D♭トライアッドだ。このコードにD♭のオルタード表記は出来ない。何故ならばG音はD♭の♭5ではなく#11だからだ。これはクリスのボイシングを注意深く聴くと理解できる。イントロ2と全く同じで、共存不可能な音を強調して2階建のハーモニーを作り出している。なんという頭脳だろう。
さて、ソロは2本の全く違ったタイプのテナーがそれぞれ取る。一番手がJD Allen(J.D.アレン)、思いっきりグルーヴするソロを2コーラス、続いてクリスとコラボが長いTony Malaby(トニー・マラビー)の2コーラスだ。この二人の対照的なスタイルが実に効果的だ。マラビーに馴染みのなかった筆者だが、4分11秒あたりでヒットしたハイEであまりのカッコ良さにのけぞってしまった。
ソロフォームは意外にも決まっている。イントロ5と同じものが4回繰り返された後、ターンアラウンドがほぼヘッドに近い状態で入る。

イントロ5のクリスの右手パターンはそれぞれの2コーラス目だけに使用されており、1コーラス目はソロイストにもっと自由が与えられている反面、2コーラス目に挿入されているパターンの効果に驚く。ビッグバンドなどでソロの最終コーラスに侵入するバックグラウンドは、ソロイストから自由を奪うようにしか聴こえないものが多いが、これほど効果的に追い上げるパターンがあるのか、と驚いた。そして、ピアノソロはない。ピアニストのアルバムで、タイトル曲で、しかも1曲目なのに、だ。さすが、と唸ってしまった。
ヘッドアウトもないままマラビーのソロの後すぐにアウトロが始まる。これがまたすごい。テンポをイントロ最初に戻し、最後だからなのかダウンビートを明確にしないオフビートのパターンだ。つまり、オスティナートの最初のミュートされたCが、オンビートにも拘らずダウンビートに聴こえないのだ。反面どう聴いてもテリーのスネアだけはオンビートではないのが明白で、実に巧妙だ。ここで初めてヴァル・ジーンティーの効果音が入る。セシルの一言、「音楽は自分の命を救ってくれた」のサンプルもリズミックに使用されている。最後の最後までアイデア満載だ。

YouTubeのプロモ動画をお楽しみ頂きたい。
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