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Hear, there and everywhere 稲岡邦弥No. 284

Hear, there & everywhere #33 World Jazz Museum 21

text:Kenny Inaoka 稲岡邦彌
photos:Mistuhiro Sugawara 菅原光博

ルイ・アームストロングに明け暮れた一年が大団円を迎えようとしている。「生誕120年 没50年」を締めくくるのは、19日(日)の伊香保・切り絵 緑の美術館と31日(金)の丸の内・コットンクラブでの「外山喜雄とデキシーセインツ」のコンサートである。

今年は”サッチモ” ルイ・アームストロングを強烈に再認識させられた1年だった。何を今さらと言われそうだが、きっかけは旧知の録音エンジニア・オノセイゲンから誘われたバート・スターンの名画『真夏の夜のジャズ』のBlue-ray(カドカワ)試聴だった。​​​​

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4K/5.1chで蘇った数々の名演に興奮したが、なかでも映画を締めくくるルイ・アームストロングとマヘリア・ジャクソンは圧倒的で、しばらく頭の中で彼らの演奏がリフレインしていた。共に3曲ずつフィーチャーされたということは音楽のエキスパートではないファッション・カメラマンのバード・スターンがいかに彼らの演奏に感動を覚えたかを物語っている。1958年の撮影だから1901年生まれのサッチモは57才、まさに円熟の極みだった。オールスターズを従えジャック・ティーガーデン (tb)との掛け合いを含め、演奏から語りまで、ミュージシャンとしてエンターテイナーとして非の打ちどころがなく、”King of Jazz” と称される由縁を再認識させれた一瞬だった。楽器演奏の素晴らしさは単なるテクニックで評価されるべきではなく音楽家として全人的に評価されるべきであるという原則を思い出せる一瞬でもあった。マイルスがよく引き合いに出されるが、サッチモも違う意味でその典型のひとりだったのだ。さらに追い討ちをかけられたのが外山喜雄・恵子夫妻の新著『ルイ・アームストロング 生誕120年 没50年に捧ぐ』(冬青社)だった。”日本のサッチモ”と称され1975年以来デキシーセインツを率いる外山喜雄が恵子夫人と全智全霊を傾けたこの著書を僕は JazzTokyoのニュースで「ルイ・アームストロングに関するバイブルであるとともに音楽家としていかに生きるべきかを気付かせてくれる人生のバイブルでもある」と紹介した。1998年に「日本ルイ・アームストロング協会」を組織(​​1994年設立したルイ・アームストロング・ファウンデーション日本支部を改組)、ニューオリンズとの国際交流を続け、​​ルイ・アームストロングのスピリットを根底に書かれたこの著書はサッチモに関わるすべての情報を網羅しておりすべての音楽ファンの座右に置かれるべき名著だと確信する。

今年の春頃だったか、伊香保温泉の近くにすむ音楽カメラマンの菅原光博から写真展示を中心とする「ワールド・ジャズ・ミュージアム 21」の設立案を聞かされた僕は、「ルイ・アームストロングとニューオリンズ展」を企画展とすることを推すことに迷いはなかった。70年代初頭ニューオリンズに数週間滞在した菅原に異論はなかった。上京した菅原を伴って、中平穂積、内藤忠行、杉田誠一を訪ねた。中平はサッチモをNYの自宅に訪ね、内藤と杉田もニューオリンズを取材、内藤はサッチモのデスマスクを取材、杉田はニューポート・ジャズフェスの楽屋で取材するなどジャズ・カメラマンはいずれもサッチモとニューオリンズは外していなかった。外山喜雄・恵子の写真集のタイトルにある通りニューオリンズはジャズの聖地、サッチモはジャズの聖者なのだ。ニューオリンズの通算5年滞在、ジャズのエッセンスを身体に吸収してきた外山喜雄・恵子からはニューオリンズの体臭が伝わる写真の数々を、さらに夫妻を通じて故・佐藤有三の自宅でくつろぐサッチモの貴重な写真の提供を受けることになった。意気に感じた外山喜雄からはコレクションの中からサッチモが演奏していたコルネットとトランペットと同じモデルのアンティークを5本貸し出しを受けることになった。かくして、「ルイ・アームストロングとニューオリンズ展」の構成と内容が決まり、常設展には中平と菅原の写真(ジャズからレゲエ、ブルース、ソウルまでブラック・ミュージックを横断する)も揃い、11月1日から12月27日まで、約2ヶ月にわたる「プレ・オープニング」がスタートすることになったのだった。

会場となる切り絵 緑の美術館は伊香保温泉に向かう水沢街道沿いにある庵古堂が経営する私設の美術館。周辺には讃岐うどん、稲庭うどんと並ぶ日本三大うどんのひとつ水沢うどんの名店が点在するうどんの名所。看板の切り絵作家が物故した美術館をひとまず2ヶ月に限り写真展会場として借り出した。キュレーションと展示は菅原がほとんどひとりで行い、ロゴマークの制作やフライヤのデザインはかつてオールアート・プロモーションで音楽プロデューサーとして活躍していた山崎純がウェブ・デザインのスキルを活用して手を貸した。ここまでは手づくりのミュージアムだがハイライトは12月19日(日)に予定されている「外山喜雄とデキシーセインツ」の2回公演。東京ディズニーランド開園から26年間にわたって述べ何百万人もの入園者の耳を楽しませてきたプロ中のプロが1回限定30名のリスナーを対象にディキシーランドジャズの粋を惜しげもなく披露する。ジャズ文化の啓蒙と地域活性化の意義を汲んで文化庁のAFF(Arts for the future) プロジェクトから助成金が交付されて初めて実現したまたとないコンサートである。見逃す手はないだろう。

銀塩プリントの中にあって異色は、竹村洋子の新作ドローイングだ。ここではコーヒーを使った彼女のオリジナル・メソッドによるジャズ・ミュージシャンのプロフィールとだけ明かしておこう。最近では、ヴォーカル・メッセンジャー海原純子の新作CD『Then and Now』のアートワークが話題を呼んだが、こちらはコーヒーではなく紅茶を素材としている。実力者揃いの写真の鑑賞に疲れた目に新たな刺激を与えてくれるコーナーだ。時間の許す入場者はサッチモとビリー・ホリデイが共演した名作『ニューオリンズ』などを楽しめる視聴覚コーナーも用意されている。

来春には本格開館し、内藤忠行の企画展「マイルスと桜」を予定しているという。実現すれば有数のミュージアムでもなし得なかった快挙である。実現するためにはクラウド・ファンディングを通じたファンの協力が必須だろう。手作りのミュージアムの実現に手を貸そうではないか。(文中敬称略)

1986年4月 ニューオリンズ・ヘリテージ・ ジャズ ・フェスティバルにて(菅原光博)

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World Jazz Museum 21 / 切り絵 緑の美術館 @伊香保・庵古堂 (photo:菅原光博)

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稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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