#29 和波孝禧さんの楽団デビュー50周年
ヴァイオリニストの和波孝禧(わなみ・たかよし、1945~)さんが楽団デビュー50周年を迎え、去る6月9日紀尾井ホールで「我が心のブラームス」と題した記念コンサートを催された。
報道によると、皇后さまが鑑賞されたとのこと。和波さんは点字楽譜利用連絡会の初代会長として視覚障害者のための点字楽譜普及に尽力しておられ、点字図書館を視察するなど視覚障害者に心を寄せておられる皇后さまの3回目の和波さんの演奏会鑑賞となったようだ。頸椎と腰椎に異状を訴えられ、公務も思い通りには運ばれ得ないなかでのコンサート鑑賞、皇后さまの視覚障害者に対する並々ならぬ思いに心底打たれるとともに、和波さんにとってはどれほど心強くまた晴れがましかったことだろうと思いを巡らせたのだった。
和波さんにはいくつか忘れ得ぬ思い出がある。1977年3月、僕は、和波さんとお母さんのその子さんとともにロンドンにいた。当時、僕が勤務していたトリオ・レコード(後の、トリオ/ケンウッド・レコード)の外部プロデューサーとして企画を担当していた中野 雄(たけし)さんから、洋楽の責任者であった僕に和波さんの録音の立ち会いを命ぜられたのだ。4才の時から辻吉之助、鷲見三郎、江藤俊哉の諸先生についてヴァイオリンに打ち込んできた和波さんに僕が音楽的なアドヴァイスなどできるはずもなく、海外録音での身の回りのお世話を仰せつかったものと心得ていた。じつは、僕は2年前に井上道義のザルツブルグでの処女録音(モーツァルテウム管弦楽団によるモーツァルトの40番他)にも立ち会っているのだが、この時は事業部長の大熊隆文(故人)の鞄持ちを任じており、緊張の面持ちの井上を前に僕自身は初の海外出張に昂揚気味のところがあった。
体調管理と楽器の現地順応のために先乗りしていた和波さんとマーブル・アーチのホテルで合流した。朝食のあとの散歩でまず驚かされた。散歩のコースに沿って辺りの建物や風景を淀みなく説明してくれるのだ。とくにマーブル・アーチや門前のスピーカーズ・コーナーなどについては、まつわる歴史について手際良く語ってくれる。数日間のお母さんとの散歩で情報がすべて頭に入っているのだ。和波さんはすでに、ロン・ティボー(1965年、4位)やカール・フレッシュ(1970年、2位)の国際コンクールに出場のためパリやロンドンに滞在した経験があるのだから駆け出しの僕がお世話する必要などまったくなかったのだ。
録音は、アナトール・フィストラーリ(1907~1995)指揮するニュー・フィルハーモニー管弦楽団との協奏で、ブルッフとチャイコフスキーのコンチェルト。フィストラーリの体調の問題もあり、1日1曲ずつコンサート形式で録音していった。この時、和波さんは弱冠32才、名匠と名門を相手にまったく臆することなく悠揚迫らぬ演奏を聴かせ、コントロール・ルームにいた僕は冷静なお母さんの横で胸を熱くしながら和波さんの弓さばきを一心に追っていたことを鮮明に覚えている。翌1978年、和波さんは、入野義朗、團伊玖磨、武満徹、別宮貞雄、三善晃、石井真木などの作品を含むLP2枚組大作『邦人バイオリン作品集』(トリオレコード)に果敢に挑戦、芸術祭に参加したのだった。
ロンドン滞在中に生来全盲の和波さんがどのように楽曲を暗譜していくのか、質問したことがある。お母さん曰く、楽譜をすべて点字に翻訳する。そのためにお母さんがまず点字を修得、1曲1曲翻訳する作業を続けた。健常者がひと目で得られる譜面上の音楽情報をすべて文字情報として点字に翻訳する。1音1音の音の高さ、長さ、表情などなど。ソナタの場合はピアノのパートについても同じ作業が行われるのだろう。気の遠くなるような時間と労力、それに忍耐力が要求されるだろう。新しいレパートリーに取り組む場合、先人の演奏は聴かない。その演奏者の解釈に影響されるからだ。あくまで点字を通して客観的な情報として記譜された音楽を把握する、というのである。
ピアニストの土屋美寧子さんとの結婚により、手の空いたお母さんは、1985年、視覚障害者を支援するためのボランティア団体「アカンパニー・グループ」を発足させる。東京を訪れる視覚障害者の依頼に応じて、都内と近郊の歩行介助を引き受けるという活動。年末と正月を除いた通年の奉仕活動である。ある時、視覚障害者を15名ほどコンサートに招待したいという主催者の意向を取り次いだことがある。「とても有り難いお話なんですが」と前置きした上で、15名の視覚障害者がホールに来場し音楽を鑑賞、帰宅するまでのプロセスを聞かされ思い上がりを恥じる思いをしたことがある。その子さんの表現するボランティアとは;
「自分の内心の声に従って、見返りを求めず、相手を尊重し、対等の立場で、責任を持って、相手に、又はその場に必要な事を行う人、又はその行為」
である。全うするに容易ではないが、肝に命じている言葉である。
ロンドン以降、和波さんからは毎年賀状やコンサートの案内をいただく。50周年コンサートには何を措いても駆け付けたかったのだが果たせなかった。未だに忸怩たる思いを抱いたままでいる。