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ある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥No. 223

#32 ドン・チェリー 生誕80年

1936年11月18日生まれのドン・チェリーが11月18日に生誕80年を迎える。

亡くなったのは1995年10月19日、58才という若さ。ネイティヴ・アメリカンの出自から長寿を期待していたのだが。スペインのマラガ、養女のネナ・チェリーの自宅で、モキ夫人によると死因は肝臓疾患。

富樫雅彦が1986年、音楽生活30周年を記念するコンサート(芝・郵便貯金ホール)に盟友スティーヴ・レイシーとともに共演を希望したのがドン・チェリーだった。富樫とドンの付き合いは1974年のドン・チェリー一座の来日に遡る。

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『富樫雅彦/ブラブラ』

ドンが富樫との共演を希望したのか、ドンを招聘した鯉沼利成と親しかった富樫が所望したのか...。意気投合したふたりは5年後にパリで再開、『セッション・イン・パリ』を録音。そして、音楽生活30周年記念コンサートを迎える。フロントは、縁の深いレイシーとドンで不動。ベースは共演歴のあるチャーリー・ヘイデンもJFジェニー・クラークも捕まらず、ライヴ・レコーディングを請け負った僕が提案したデイヴ・ホランドに落ち着いた。余談だが、デイヴの強烈にドライヴするベースに富樫のバップ・スピリッツが目覚め、後のJJスピリッツ結成につながったらしい。何れにしても富樫、レイシー、ドンという気心の知れあった仲間にちょっと毛色の違うよそ者のデイヴが加わって化学反応が起きた、そのあたりがこの時の録音『ブラブラ』の聴きどころでしょう。

ドンと親しく話ができたのは1982年、今田勝とNYヘレコーディングに出かけた時。LUSH LIFEというクラブで「Old and New Dreams」が出演しているというので駆けつけた。デューイ・レッドマン、ドン・チェリー、チャーリー・ヘイデン、エド・ブラックウェルというオーネット・コールマンゆかりのメンバーで結成したグループ。ECMからリリースされていたアルバムを愛聴していた。マネージャーに声をかけられ、今田さんを誘い翌日オフィスに出かけたところ、笑いながら、「僕にとっては歌うことも演奏の一種だよ」と答え「何とチャーリーを除く3人が待機していたという次第。メンバーから口々に日本ツアーへの期待を伝えられたが、結局実現できないまま、全員黄泉の国へ旅立ってしまった。

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『Don Cherry / Home Boy』

僕はドン・チェリーの『Home Boy』というヴォーカル・アルバムが好きでよく聴いていたのでだが、養女のネナ・チェリーがユッスー・ンドゥールとデュエットした<セヴン・セコンズ>というシングルが大ヒット、それを受けてのユッスーの日本ツアーをプロモートしたのも何かの縁かも知れない。

今月に入ってCMS (Creative Music Studio) を主宰するカール・ベルガーからのニュース・レターでドン・チェリーのアルバム『シンフォニー・フォー・インプロヴァイザーズ』(Blue Note 1966) の録音50周年を知った。ガトー・バルビエリやファラオ・サンダースらと共にこの録音に参加したカールがオクテットを結成、11月4日にコンサートを開催するという。タイトルは「In the Spirits of Don Cherry」。いいなあ。日本のドン・チェリー研究の第一人者、泉秀樹さんにメールで知らせたところ、ドンについていろいろ情報を寄せてくれた。こういう友人はいいなあ。いわく、“20世紀、サッチモもマイルスもいたが、ドン・チェリーというラッパ吹きがいたことを記憶しておきたい。”異議なし!それからレスター・ボウイーもね。“話飛びますが、このComplete Communionバンドの生演奏をコルトレーンが聴いているんですね。コルトレーンが最後のOne week欧州ツアー。65年7月26日、27日と南仏アンチーヴジャズ祭。28日Paris Salle Pleyel。29日ジミーとエルヴィンはエディ・ルイス、ネイサン・デイヴィスのレコーディング(未発表)。コルトレーンはノルウェーの女性ジャーナリスト:ランディ・ハルティンの案内でクラブ:ジャズランドへ。ジャズランドはアート・テイラー、ジョニー・グリフィンが出演中。(二人はひどく驚いて)グリフィンがドン・チェリーがレギュラー出演しているル・シャ・キ・ペシュに案内。コルトレーンはステージの前に陣取り、ドンは泡を食っていた(とレポートにある)。コルトレーンはドンの音楽に興味津々だった。ランディ・ハルティン「Born Under The Sign Of Jazz

ランディさんも2000年に亡くなっているようです。コルトレーンは翌日ベルギーに飛び。Comblain – la – Tour Jazz Festivalに出演。映像が残ってますね。

One weekだったのはアリスのお産が近かったのですね。帰国すると8/6次男Raviが生まれる。”そのラヴィはジャック・ディジョネットのバンドで父親の曲を吹いている。こうやって、歴史(spirits)は引き継がれていくんですね。Jazz Tokyoもそういうことを目指しているのですが...。2便では泉さんますますヒート・アップ、“『マイルスを聴け』というのがあるとすれば『ドン・チェリーを聴け』っていうのがあってもいい。”と。それを書くのは泉さんの使命ですよ。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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