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ある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥No. 235

ある音楽プロデューサーの軌跡 #39「ユッスー・ンドゥール&スーパー・エトワール」ザ・ガイド・ツアー・イン・ジャパ ‘94

text & photo by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

ユッスー・ンドゥールが高松宮殿下記念世界文化賞の「音楽部門賞」を受賞した。クラシック以外の音楽家の受賞は、ジャズのオスカー・ピーターソンとオーネット・コールマンに加えワールド・ミュージックのラヴィ・シャンカールに続いて29回目の今年のユッスー・ンドゥールで4人目である。いわゆるワールド・ミュージックのブームもピークを過ぎ、ここのところスポットライトから外れ気味の存在だっただけに、ユッスーの存在を忘れなかった世界文化賞の選考委員の眼力には敬服する。

2004年のアルバム『エジプト』のグラミー賞受賞にも心が踊ったが、今回の世界文化賞の受賞にも感激した。と同時に23年前の「ザ・ガイド・ツアー」を振り返り、「よくやったなあ」とあらためて身震いを覚えたものだ。人的、経済的リソースに恵まれない小さな会社が、セネガルの勇士18人の部隊を受け入れたのだ。野球でいえば2チーム分の人数。ジャズはソロやデュオ、トリオでも神経をすり減らすが、慣れているとは言えないワールド・ミュージック系の勇士たちである。

ユッスー・ンドゥール&スーパー・エトワール

ユッスー・ンドゥール:Lead-vocal.Percussion
ウセイヌウ・ンジャイ(通称:ウゼン):Vocal
ヴィキトリア・カトリーヌ・シディッド(通称:ヴィヴィアン):Back-vocal
アサン・チャム:Talking-drums
ババカル・フェイ:Percussion
イサ・シソッコ:Tenor-sax
セイドウ・ナルウ・コアテ(通称:チェルノ):Alto/soprano-sax
ママドゥ・イバイ(通称:ジミー):Lead-guitar
パパ・オマール・ンゴム:Rhythm-guitar
イブラヒム・シセ(通称:イブー):Keyboard,Guitar
ハビブ・フェイ:Bass-guitar,Keybaod
ファリルー・ママドゥ・ニャン(通称:ギャラス):Drums

上記12人のバンドメンバーの他にクルーとスタッフが8名、それにプロモ—ター側から僕を含め3人が帯同、総勢23名の大所帯がパッケージだった。

ケン・デイ:Road-manager
ママドゥ・ンドゥール(通称:バップ):Sound-engineer (monitor)
エルベ・ルイス:Sound-engineer (house)
ヴァンサン・ゴルネ:Lighting-designer
ブバカル・ンドゥール(通称:ブバ):Production-manager
+
マディ・ドラメ:Personal-manager
ママドゥ・ンジャイ:Interpreter
秋山美代子:Supervisor

 

当時勤務していたSPの会社がマネジメント部門を分社化、縁あってユッスー・ンドゥールのアジアのマネジメントを引き受けることになったのだ。分社の社長のプロデュースでフォト・ジャーナリスト秋山美代子さんのユッスーの写真集『XIPPI』がマガシンハウスから刊行され(1993年)、ユッスーとネナ・チェリー(ドン・チェリーの継娘)のシングル「セヴン・セカンズ」の大ヒットと収録アルバム『ザ・ガイド (Wommat)』のリリースに合わせ企画された来日ツアーだった。もうひとつのきっかけは「WOMAD 横浜’94」だった。WOMAD=World of Music, Arts and Dance=ウォーマッドは、1982年にピーター・ゲイ

ブリエルが中心になってイギリスで開催、その後世界各地に展開されたワールド・ミュージックの祭典。日本では、横浜の国際会議場「パシフィコ横浜」の開館記念イベントとして1991年から5年間開催され、ユッスーはその4回目に出演したことになる。加えてUNICEFコンサートと世界民族音楽祭に出演、われわれの手打ちは新宿ルミネホールACTでの3回のコンサート(主催:TOKYO FM)だけだった。

8月20日 横浜 WOMAD ’94 横浜パシフィコ大ホール
https://www.last.fm/event/4057058+WOMAD+94+YOKOHAMA

8月22日 新宿 ルミネホールACT
8月23日 新宿 ルミネホールACT
8月24日 新宿 ルミネホールACT
8月27日 UNICEFコンサート パルテノン多摩
8月25日 世界民族音楽祭 河内長野市ラブリーホール

ルミネホールACTは新宿駅南口の新宿ルミネの7回にあり、現在は「ルミネtheよしもと」という吉本の常設館になっている。ホテルは最寄りのサンルート東京に5泊。何と言っても大所帯、3日興行のホールに徒歩で往き来できるということと近くに「ローズ・ド・サハラ」というアフリカ料理の専門店があったので即決した。ちなみに、このルミネホールACTは、翌9月から3ヶ月、3回にわたって開催されたECM25周年記念コンサートにも東京会場として使われることになった。

成田空港のゲートから出てきた勇士たちの中の小柄なひとりから声をかけられた。スーツケースが空輸途中で破損したというクレーム。どう見てもかなりの歴戦モノだったがキャリアのオフィスに申告し、なんとかペナルティを支払ってもらうことに成功した。この勇士がババカル・フェイだった。言わずと知れたサバールの神様的存在。トーキング・ドラムの名手アサン・チャムとのコンビがこのバンドのリズムの肝で、リズムギター、ベースギター、ドラムスが加わった強烈で複雑なポリリズムがピークに達するとバンド全体がステージの宙に浮くのだ。ステージの袖で聴いていた僕はこの前代未聞の不思議な体験に毎回仕事を忘れて酔い痴れていたものだ。成田からホテルへ向かうバスの中ではウッドストックで収録されたビデオを見ながら大騒ぎ。ちなみにババカルからはパルテノン多摩でまた声をかけられ、近くの伊勢丹でスーツケースの新調に付き合わされた。新しいスーツケースを手に入れたババカルの子供のような笑顔が忘れられない。ルミネホールACTの初日がはねた後、ユッスーやマネージャーをディナーに誘おうとロビーで待機していたら、メンバーがたむろし始めた。あれよあれよという間に全員が勢揃い、やむなく一行を引き連れて近くのアフリカン・レストラン「ローズ・ド・サハラ」へ。それから毎夜レストランはほぼ貸切り状態となった。バンドはユッスーの幼馴染みも多く、ファミリーに近かった。

このツアーが実現し成功した大きな要因にひとりの日本人女性の存在がある。フォト・ジャーナリストの秋山美代子さんである。秋山さんはパリ在住時デビューまもないユッスーの才能を見抜き、カメラで追い、コスチューム・デザイナーを買って出た。若いユッスーに何かとアドヴァイスを与え励まし続ける秋山さんにユッスーは全幅の信頼を置き、とうとう楽曲を献呈。1990年リリースのアルバム『セット』に収録されている<Miyoko>がそれである。歌の中で“Miyoko, Miyoko, Miyoko Akiyama”とリフレインされるが決してラヴ・ソングではなく、女性の自立を歌った一種のメッセージ・ソングである。日本の公演では毎夜この<Miyoko>熱唱された。

前述したように、秋山さんは、1998年、ユニコム・ツーワン・プロデュース社のプロデュースでマガジンハウスからユッスーの写真集『XIPPI』を刊行した。

秋秋山美代子さんデザインのコスチューム(WOMAD Yokohama ’94 Official-siteより)

ユッスー・ンドゥールとスーパー・エトワールはその後、2006年の東京の夏音楽祭にも出演したが、この時は仕事を離れてひとりの聴衆として人見記念講堂で彼らの素晴らしさを思う存分堪能することができた。ユッスーの4オクターヴに達する声域と豊かな声量にいささかの衰えも見られず、大地から湧き上がった歌声は相変わらず強力なバンドのポリリズムに乗って天空の彼方へと舞い上がっていったのだった。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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