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~No. 201ある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥

ある音楽プロデューサーの軌跡 #2「クラシックの演奏家たち」

text by Kenny Inaoka  稲岡邦彌

洋楽部長を務めていたこともあり、その後もクラシックのアーチストに接する機会に恵まれることになった。トリオ・ケンウッドのクラシック部門は、オーディオのトリオの創業者・中野英男氏の子息・雄(たけし)さんが影のプロデューサーであった。雄さんは、自らヴァイオリンを奏することもあり、ヴァイオリニストの紹介が多かったが、ピアニストの宮沢明子さん*やバロック・トランペットの田宮堅二さん(小説家田宮虎彦さんのご子息で現桐朋学園大学教授)なども手掛けられた。
「文は人なり」というが「音も人なり」で、クラシックにかかわらずどのジャンルの音楽も奏者の人格が反映されるもので、そこが音楽の制作や鑑賞の楽しみのポイントでもある。雄さんはクラシックの他に東大在学中はタンゴバンドなどにも在籍、守備範囲が広かったこともあり、トリオ・ケンウッドにはなかなか個性的なクラシックの演奏家たちが集結した。
ピアノのスタイリストである宮沢明子さんはモーツァルトのピアノ・ソナタ全集を始め、エンジニア兼プロデューサーの菅野沖彦さん**とのコンビで10作以上の作品を発表された。スタインウェイ(ドイツ)とベーゼンドルファー(オーストリア)を弾き分けた録音などもあり、のちに、ベーゼンドルファー使いであるジャズのポール・ブレイや加古隆の録音の参考にさせていただいた。菅野さんには、ジャズ・プロデューサーの森山博さんとのコンビでジャズも録音していただいたが、白眉はキース・ジャレットの日本縦断コンサートを収録した10枚組の『サンベア・コンサート』(ECM)であった。人工的なリヴァーブを嫌い、ホール以外での録音を受けない菅野さんに一度だけスタジオでの録音を依頼したことがあった。科学技術館のスタジオだったが、リッチー・バイラークがエレピを弾くということでそうなった(『メソースラ』)。菅野さんを知る人にとって、スタジオでエレピの録音は考えられないだろう。
ヴァイオリニストの佐藤陽子さんは酒豪であった。健啖家(けんたんか)でもあり、六本木のワインセラーでの見事な飲みっぷり、在庫を空(から)にしたタルタル・ステーキの愛好振りは忘れ難い。長い酷寒のロシア滞在で身についたのだろうか。ジャケット用にご主人の池田満寿夫さん撮影のポートレートを四谷の住まいに借用に伺った際には、秘蔵の写真(なかには雑誌に発表した陽子さんの全裸の写真なども含まれていた)も含めていろいろ見せていただいた。ところが、借用したポジを印刷過程で紛失し、担当者を連れて震えながらお詫びに伺ったところ、満寿夫さんは「使ったあとなら、仕方がないよ」と恬淡(てんたん)としたものだった。満寿夫さんとは英文学者の鍵谷幸信さんと何度かお会いする機会があった。鍵谷さんの病死(1989年、享年59)には驚いたが、池田満寿夫さんの事故死 (1997年、享年63)にはさらに驚いた。出迎えた大型犬に飛びかかられて転倒、後頭部強打が原因とのことだった。
バンベルク響のコンサートマスターを辞し帰国されたヴァイオリンの浦川宜也さん(現・東京芸大教授)は、謹厳実直を絵に描いたような正統派ジェントルマンである。時価数億円の世界的な銘器を片時も離さず携帯されていたのが印象深い。最近出会ったロンドンの若手女流ヴァイオリニストのやはり数億円の楽器のぞんざいな扱い方などに触れると、浦川さんの楽器に対する愛着ぶりを思い出さずにはおられない。共にオーナーから貸与されたものであったが。
秘曲「望郷のバラード」で人気が再燃・沸騰した天満敦子さんも豪快、天衣無縫なヴァイオリニストである。かなりの酒豪と聞き及びリサイタルにウィスキーかブランデーのボトルを届けたことがある。「ガソリン? ありがとう!」と粋な謝礼が返ってきた。ルーマニアの作曲家ポルムベスクが獄中で書いた小品バラーダ(原題)が数奇な運命を辿って彼女の手に渡り、生命(いき)を吹き込まれた。ストーリーはTVで大々的に取り上げられ、その後小説化されて朝日新聞に連載された(高樹のぶ子『百年の預言』)。仕掛け人は影のプロデューサー中野雄さんであったと耳にした。
98年にリッチー・バイラーク(p)とグレガー・ヒュープナー(vln)のデュオで『ニューヨーク・ラプソディ』(徳間ジャパン)をプロデュースした際、<バラーダ>を採り上げた。ジプシー系のグレガーにはおあつらえ向きの選曲でライヴで演奏すると大きな拍手が返ってきた。ジャズ版<望郷のバラード>を聴いた天満さんはヴァイオリンのカデンツァに次第にアッチェランドがかかり、演奏が白熱化していくとみるみる瞳を輝かせていった。「ああ、私も即興演奏ができたらなあ」。

*宮沢明子さんは、2019年4月23日、脳梗塞のためベルギー・アントワープの病院で逝去。享年77。謹んでご冥福をお祈りいたします。

**菅野沖彦さんは、2018年10月13日に逝去されました。享年86。謹んでご冥福をお祈りいたします。


*初出:JazzTokyo #  (2004/7/15)

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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