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R.I.P. ペーター・ブロッツマンある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥No. 303

#57 ダダイスト ペーター・ブロッツマン by 稲岡邦彌

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

池袋・新文芸坐、菅原正二の映画『ジャズ喫茶 ベイシー』でポール・ニルセン=ラヴとジャズの昨今について語るペーター・ブレッツマンを観たまさに翌朝、豊住芳三郎からペーターの訃報が届き、天を仰いだ。昨年6月、ドイツ・ヴッパタールの自宅にペータを訪ねた羽野昌二から「本人は来日を切望してるけど、肺気腫なので飛行機は無理と思う」と聞かされてはいた。あれから1年。しかし、早過ぎる。だって、ヘラクレスなんだから...。
ビル・ラズウェルの「Last Exit」は、徳間Japanの洋楽ディレクター、坂本勝義との仕事だった。縁あって、徳間とレーベル契約を結んだEnemy Recordsのコーディネーターを務めることになった。Enemy Records (いかにも人を喰ったネーミングだ)は、ラズウェルの録音エンジニアでギタリストでもあるBob Mussoが興したレーベルで、そもそもはシーンから退いていたギターのソニー・シャーロック (1940.8.27 – 1994.5.25) を復活させるためにラズウェルが用意したプラットフォームだった。Enemy の第1弾はラズウェルが自ら手を下したシャーロックのソロで、その名も『Guitar』(1986) 。ラズウェルのアイディアを採り入れながらシャーロックは自身が理想と思い描くホーンライクなギターでキャンバスを塗りつぶしていく。シャーロックに確かな復活の手応えを感じたラズウェルが間髪を入れずに組んだバンドがペーター・ブロッツマン(as)とロナルド・シャノン・ジャクソン (ds) を加えたカルテットで、ラズウェルの6弦ベースとシャーロックのギターは言うに及ばず、”ヘラクレス” ブロッツマンとシャノン、いずれ劣らぬ超弩級のパワーヒッター揃いである。『Guitar」と相前後して届いたカルテットのデビュー作『Last Exit』を聴いて驚いた。1986年の2月にパリで録音されたとあるが、レコード針が盤上でぽんぽんジャンプする大轟音の炸裂。まさに、free=metal=punk=noise=energy musicの洪水。「Last Exit」はアメリカ初の殺伐文学『Last Exit to Brooklyn』(ブルックリン最終出口)から採ったと聞いたが、まさに言い得て妙。当然のように「Last Exit」がこのカルテットのバンド名となる。当時、僕は韓国のパーカッション・アンサンブル「サムルノリ」の日本マネジメントも務めており、エネルギー・ミュージックには慣れているはずだったが、さすがに「Last Exit」には驚嘆した。ちなみに、「サムルノリ」では、録音すべくスタジオに入れたものの余りのパワーにマイクがキャパ・オーバーになりキャンセル、サントリーホールの公演の録音に切り替えざるを得なかった経験がある。
その「Last Exit」が早くも半年後の1986年10月、東京を来襲することになった。「丁度ハービー(ハンコック)がブルーノートに出演中だからゲストで呼ぶから」というラズウェルの言葉を真に受け、渋谷のパルコ Part3をブッキングした。ラズウェル・プロデュースのハービーのアルバム『Future Shock』がグラミーに輝いたのは2年前である。まだ余波は充分残っていた。ところが、好事魔多し!当日になって、ラズウェルから「ハービーが難しいと言ってる」との連絡。Parcoから大目玉を喰らい、玄関に立って来場者に頭を下げ続けた。メンバーは何事もなかったよう。ペーター・ブロッツマンはソデで缶ビールを水のように飲み続ける。開演を促すと、何を思ったかパイプ椅子を1脚ステージに上げ、傍の女性を座らせ、演奏を始めた。女性は脇目もふらず正面を見据えたまま微動だにしない。1976年、オランダ・デンハーグの「North Sea Jazz Festival」。ステージに現れたミシャ・メンゲルベルク(p)とハン・ベニンク(ds)。ミシャはピアノを、ハンはドラムセットをぞれぞれ白い大きな布で覆い、ローブで括って退場した。終始無言。一瞬間をおいて聴衆から一斉に拍手が起きた。ミシャもハンもフルクサスに関わっていたことを思い出した。彼らの前の演目が怒涛の山下洋輔トリオだった。鮮やかな静と動の対比。ブロッツマンも現代美術から音楽へ転進してきた。アルバム『Last Exit/The Noise of Trouble~Livein Tokyo』(Enemy) の切れ味鋭いアートワークはブロッツマンの手になる。カンパニー社の工藤遥は、「ペーター・ブロッツマンは、フリージャズというより、ダダイスト、パンクロッカーというべきだろう」(Twitter)と喝破、さすがの慧眼である。

ハービー・ハンコックの後日談。事務所に出入りしていたピアニストのタッド・ガーフィンクルを名古屋に飛ばし、ブルーノートを終えたハービーを確保、新幹線に乗せた。ピットインに頼み込んで、深夜2時からハービーと坂田明をゲストに迎えた「Last Exit」をステージに乗せた。証拠は、上記のアルバムに収録されている。なお、この時の来日では、遠藤ミチロウ「スターリン」のアルバム『The Stalin/Fish Inn』(Japan Records) をリミックス、ラズウェルとシャーロックがオーバー・ダビングするという離れ業もあった。(文中敬称略)



稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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