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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 257

ジャズ・ア・ラ・モード#25. ソニー・ロリンズのレッド

#25. Sonny Rollins in red
text by Yoko Takemura 竹村洋子
photos: Pinterest より引用

カラー写真というのは1950年代後半から1960年代に入ってからポピュラーになって来た。それ以前は、写真も動画も白黒写真(英語ではblack & white)が主流だった。フィルムも貴重だった時代、色のあるものを白黒で表現する訳だから、1枚の写真を撮るのにもかなりの工夫や労力が必要だったに違いない。このコラムで数多くのミュージシャン達の写真を扱ったが、1930年~1950年頃の白黒写真からは『色』が見え、華やかさも感じられた。白と黒ははっきり分かる。赤はちょっと濃いめのグレイに写る。が、そう言うことよりも全体の雰囲気から、自分の記憶の中ではカラー写真だった物が、実は白黒だったということはよくある。1970年代以降のミュージシャンの写真はもうほとんどがカラー写真になっている。

アビー・リンカーンのブラックを取り上げた。白黒中心だった頃の時代の事を振り返りながら、ミュージシャン達の写真を見ていた時、『レッド:赤』を着る男性のミュージシャンが意外と多いことに気づいた。特に、晩年の(と言ってもまだ現役だが)ソニー・ロリンズ。’70年代のマイルス・デイヴィス、ディジー・ガレスピー、デイブ・ブルーベック等。
その中でも、ソニー・ロリンズとマイルス・デイヴィスのレッドは特にヒップだ。

一言で『レッド:赤』と言っても様々なレッドがある。日本では赤は丹、朱、緋、紅、と大きく4種類の名称がある。ここでは細かいことは省くが、いずれも原料が違う。
英語ではヴァーミリオン、カーディナル、スカーレット、ルビー、クリムゾンなど多くの種類のレッドがある。

レッドが持つイメージは様々だ。炎、血、危険、情熱、革命、欲望、活力など、どちらかというと激しく強いイメージがある。赤字、などストレス、不安な気分、喪失感を表すこともある。
棘のない薔薇や、ハートは、情熱、ロマンスの象徴だ。ビジネス上では権力と勇気を表す。トランプ大統領がよく着用している赤いネクタイはパワーネクタイと言われる。 VIPのためのレッドカーペット。ジャズの歴史を語る上でも重要な、レッド・ライト・ディストリクト(紅灯街、売春地域)、赤線はセクシーな意味も持つ。苺や林檎といったフルーツもレッドで、甘酸っぱい印象を持つ。
しかし、このイメージもその国の歴史や文化によって表現が大きく異なる場合もある。
日本の日の丸は太陽信仰から来ており、色は白地に紅と決まっている。赤恥、赤裸裸、真赤な嘘などのように日本では『明らかな』『全くの』と言う意味を持つ。幸福という意味では、還暦を赤で祝う。
中国では赤は幸福と幸運を表す。
ロシアでは、歴史上皇帝を倒した時掲げられたのが赤旗だったため、共産主義を表す。
アフリカのマサイ族は赤の布に身を包み赤の化粧をする。彼らのとっての赤は『血』と『黒いアフリカ』を意味する。
アメリカではアメリカ先住民のインディアンの象徴する色はレッドだ。彼らは様々な儀式や踊りの時にこの色の衣服を身につける。彼等にとっては『太陽の昇ってくる東』を意味する。
またレッド、白、ブルーを組み合わせると愛国心と国の誇りを表す。共和党のカラーはレッドだ。アメリカの保守的な白人貧民層はレッド・ネック(首が陽に焼けて赤い)と呼ばれる。

ソニー・ロリンズ(Theodore Walter Rollins:1930年9月7日〜)はニューヨーク生まれのハード・バップ、テナーサックス奏者。7歳の頃にサックスを習い始めた。ハイスクール卒業後、プロの道に入り1949年に初レコーディングをする。1950年にマイルス・デイヴィスに出会い、マイルスのリーダーの傍で初めてバンド・リーダーとしてのレコーディングを行う。この頃、イリノイ・ジャケイやケニー・ドリュー等と活動をを共にする。
その後、マイルスと共演、自己のバンド活動を経て1954年音楽活動を停止。
1956年に活動を再開しリリースしたアルバム『サキソフォン・コロッサス』の高い評価で一躍知名度が上がったが、人気絶頂期に突如引退。
1961年に活動を再開。1963年にニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演した際、コールマン・ホーキンスと共演。この年初来日。「同じマイノリティ(アフリカン・アメリカン)としてアメリカ先住民が抱えていた社会問題を無視できないから髪の毛を剃った」とモヒカン刈りの姿で日本のジャズファン達に衝撃的な印象を残した。
1965年には映画『アルフィー』の音楽を担当。
東洋思想にも傾倒し、1968年精神修行のために5ヶ月間インドに滞在。カリプソやボサノバとジャズの融合をいち早く取り入れたり、1970年代以降はローリング・ストーンズのレコーディングに参加したり、ジャズとクラシックの融合に挑戦したり、新しいものへの挑戦を続けてきた。アメリカ同時多発テロ事件を目の当たりにして、様々な社会問題と取り組みながら、引退したり復活したりしながら、精力的な活動をし、現在に至っている。

マイルス・デイヴィス(1926年5月26日 – 1991年9月28日)については、このコラムの#6.マイルス・デイヴィスから始まったジャズ・ミュージシャン達のアイビー・ルックで一度取り上げた。

ソニー・ロリンズとマイルス・デイヴィスは活動を一緒にしていた時期もある。二人ともスーパー・ヒップなミュージシャンだ。
ソニー・ロリンズはデビュー当初の50年代グレイのスーツ姿からして、バチっと決まっていた。

ここ何年かのソニー・ロリンズはジャケット、シャツ、パンツに至るまでオーバーサイズのレッドの服をよく着用している。ここでの写真はおそらく、麻混のジャケット、コットンや艶のあるサテン素材のシャツが、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場する“ドク”か“アインシュタイン”みたいなボサボサの白髪(これも計算のうちだろう)とフィットしてとても良く似合っている。
ソニー・ロリンズのレッドの着こなしは抜群だ。レッドの着こなしのみならず、ジャズミュージシャンの中でも最も流行をよく知り、ファッションの情報にも非常い明るい人だ。質の高いものを選び、おそらく80年代あたりから身につけている服はデザイナース・ブランドのものだろう。

マイルス・デイヴィスもよくレッドを着ている姿が見られるが、明らかに1970年代のものだ。1970年代に彼のファンキーでロックっぽいパフォーマンスと、当時流行したサイケデリック・ファッションの流れが上手く重なっている。ベルボトムのパンツは70年代の典型的な流行だ。自分を如何にクールに見せるか追求し続けたマイルスだが、この人はパートナーを変える度に着る物のテイストも変わる。1970年当時のマイルス・デイヴィス夫人でモデルだったベティ・メイブリーのチョイスだったかもしれない。

 

ソニー・ロリンズのレッドはアメリカ先住民に敬意を表した『インディアンの象徴のレッド』と言うのは少し話が飛躍しすぎている気もするが、真意のほどは確かではない。と言うよりもソニー・ロリンズのレッドには『権威』や『活力』を感じる。

マイルス・デイヴィスのレッドには『革新』や『情熱』を感じる。

読者の皆さんはどう感じられるだろうか?

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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