ジャズ・ア・ラ・モード #51 いつか王子様が〜女性ジャズ・シンガー達のお姫様ドレス
51. Someday My Prince Will Come ~ Female jazz singers in Princes dresses
text and illustration by Yoko Takemura 竹村洋子
photos: In Vogue:Georgina Howell, Cosmopolitan America,Pinterestより引用
第2次世界大戦後1940年代後半から1950年代にかけ、女性ジャズシンガー達の間でまるでお姫様が着ているようなステージ・コスチュームが流行った。上半身はウエストを絞って胸元を開けたデコルテ・スタイル、下半身は裾広がりのフワフワでボリュームたっぷりのスカート、といったゴージャスなドレスだった。
ビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、ダイナ・ワシントン、ペギー・リー、ジュリー・ロンドン、ピアニストだったヘイゼル・スコットなどが、まるでお姫様のような姿でステージに立っていた。
現在、ステージ・コスチュームと言えども、この様なスタイルのドレスでステージに上がるシンガーはほとんどいない。1940年代後半は第2次世界戦後、世の中が少し落ち着いてきた頃でもある。このドレスの起源はどこにあるのだろうか。
歴史を遡ってみると、フランス革命(1789~1795)の混乱後、19世紀のヨーロッパは貴族社会から新富裕層が中心となり、中産階級の市民社会へと移っていった。ファッションの中心は相変わらずフランスのパリであり、オートクチュール(高級注文服)が始まったのはこの頃になる。大英帝国で始まった産業革命の普及により、人々の生活が近代化していき、フランスのみならず、欧米全体のファッション界に大きな変化があった。
女性のファッションが注目され始めたのは19世紀に入ってからになる。それ以前は男性優位の世界だったためか男性のファッションの注目度の方が高かった。
女性のファッションは19世紀中頃から次々に流行が変化してきたが、スカートは大体において大きな分量のものだった。フランス革命後に登場したシュミーズ・ドレス(古代ギリシャ、ローマの彫刻を思わせるようなハイ・ウエストのドレス)は19世紀に入ってからは高かったウエストラインが次第に下がりジャストウエストの位置に戻った。そして、コルセットでウエストを強調し、スカートの裾が次第に広がっていった。スカートにはひだ飾りやリボンなどの装飾が施されるようになる。ネックラインも下がり、胸元を大きく開けデコルテされ(肩を広く露出したスタイル)なで肩が強調された。
19世紀半ばになるとドレスの腰の膨らみがさらに大きくなり、スカート部分はペチコートを何枚も重ねた丸味があり重いものになっていった。このスカートの重みから女性を解放するため、クリノリン(仏. Crinoline)と呼ばれる針金や鯨の髭を使ったフープ(張り輪)が登場した。クリノリン・スタイルは、このフープをスカートの下に着用し、スカートのボリュームを大きく見せるものだ。パリでのこの流行はほぼタイムラグなしにアメリカの富裕層の女性達に広がっていった。
映画『風と共に去りぬ(1938作)』はアメリカ南北戦争(1861~1865)時代の話で、主人公スカーレット・オハラに当時のアメリカ富裕層のファッションが見られる。細いウエストのドレスを着るために、メイドにウエストを細く絞ってもらうシーンは有名だ。
また、2015年にディズニー・スタジオが製作した実写版の『シンデレラ』も典型的なクリノリン・スタイルのドレスだ。
19世紀の女性のスカートが大きな分量だったのには、豊富に布地を使う贅沢感を見せびらかすと同時にいくつかの理由がある。
スカートは床をきれいにしたかどうかは疑問だが、女性の足をほとんど見せなかった。そして、男女がダンスする際、男性は女性のスカートの大きさが邪魔して女性の胸に安易に触れることができないようにするためでもあった。
女性達は美しいドレスを着て、平民であっても貴族との繋がりをなんとか作って社交界に赴き、憧れていた上層階級の仲間入りをし、運が良ければ王族とも関わりたい、という夢や願望を持っていたのかもしれない。当時の女性達は自分達の社会的イメージをアップさせるために着飾り、高価で贅沢なドレスを所望していた。女性のファッションは男性社会の中でこそ成り立っていたのだ。
20世紀に入ると女性の社会進出も始まり、ファッションは大きく変わる。ポール・ポワレやシャネルといったデザイナー達によって、女性達のウエストは解放され、より自由なスタイルとなっていった。クリノリンは窮屈でもはや存在しない。
第2次世界大戦(1939~1945)後、ファッションにさらに大きな変化があった。1947年2月、フランスのデザイナー、クリスチャン・ディオールが『ニュールック』というスタイルを発表した。
『ニュールック』については、コラム#33『ニュールック』のエラ・フィッツジェラルドとマリリン・モンローで一度取り上げたが、今回さらに深く考察してみよう。
なだらかな肩に細く絞ったウエスト、長い丈のたっぷりとしたボリュームのスカートが特徴。シルエットはフィット&フレアで、ローブ・デコルテのパーティー・ドレス、アフタヌーン・ドレス、スーツなど、いずれも女性の豊かなバストを控えめに強調しつつウエストを絞ったスタイルで、大戦前後の倹約を強いられた地味なファッションとは全く正反対のものだった。

ディオールの『ニュールック』は何が『ニュー(new)新しい』だったのか?『ニュールック』は先の述べた19世紀まで続いた西洋の女性のファッションの基本系のリバイバルだったのだ。
ディオールは『ニュールック・ドレス』と呼ばれるパーティー・ドレスを発表し、当時としては大スペクタルともいえるファッション・ショウをベルサイユ宮殿で行なった。このショウと同時にベルサイユ宮殿の修復も行われたくらいのビッグ・イベントだった。これは第2次大戦で荒廃したフランスに活気を取り戻し、女性達に夢を与え、パリをファッションの中心として復興させることに大きく貢献した。そして『ニュールック』はフランスのみならず、イギリス、アメリカなど海外に瞬く間に広まり、ディオールは一躍時の人となった。1947年のディオールのコレクションは『コローレ(花冠)コレクション』と呼ばれ、以後数年にわたり少しずつデザインやディテールを変化させたものが発表されていった。
*クリスチャン・ディオールの『ニュールック・ドレス』
英国連邦王国の君主であるエリザベス女王の妹君にあたる、スノードン伯爵夫人、マーガレット王女(1930~2002)は生前、私生活でもスキャンダルが多くゴシップ誌の常連だったが、ファッションの話題も多かった。マーガレット王女はいち早くディオールのドレスに着目し、好んで着ていた。
日本では少し遅れるが、美智子上皇后の結婚式の際(1959)のドレスは、日本の西陣織を使ったディオールのデザインによるものである。
そう、『ニュールック・ドレス』は、まさにお姫様達のドレスでもあったのだ。
アメリカではヴォーグ誌に取り上げられ、ハリウッドの女優達がその宣伝媒体として一役買った。
映画『陽の当たる場所(1951)』ではハリウッドでは衣装デザインの第一人者であったイーディス・ヘッドがデザインしたドレスをエリザベス・テイラーが着て、『ニュールック・ドレス』として大きな話題になった。『麗しのサブリナ(1954)』でオードリー・ヘップバーンが(厳密にはドレスはジバンシーのデザインをイーディス・ヘッドが作り直したとされる)、『裏窓(1954)』、『上流社会(1956)』、『泥棒成金(1956)』ののちにモナコ王妃となるグレース・ケリーなど、多くの女優たちがこのスタイルのドレスで話題を呼んだ。
クリスチャン・ディオールは優れたファッション・デザイナーであるだけでなく、ビジネス・センスにも長けたマーケッターでもあった。彼は自分のコレクションをアメリカ市場でより多く受け入れられるように、カジュアル・ヴァージョンのコレクションも打ち出した。
人に着せてもらうのではなく、自分でも脱ぎ着できるようなデザインのカクテル・ドレス、様々な用途で着られるようにカーディガンやボレロ付きのドレス、ジャケット&スカートのアンサンブル、スカート丈もミモレ丈(ふくらはぎ丈)のものなど、パーティー用途だけでなくタウン・ウエアとしての服を作り、女性達に受け入れられた。『ニュールック』と名付けたのはアメリカ『ライフ誌』だった。
話を『ニュールック・ドレス』に戻すと、上半身のコルセットは19世紀に着られていた鯨の髭やスチールのワイヤーの骨を使った体をきつく縛りひたすらウエストの細さを強調する物から、骨はプラスティック製に変わり、活動的になった女性の体のシェイプを整えるものへと変化していった。1930年代には、ホック留め、伸縮式ストラップ、伸縮性のある生地、色、柄、スタイルの選択肢が増し、現在のブラジャーやガードルに引き継がれる多くの特徴が加えられた。スカート部分は多くの生地を重ねたペチコートでスカートにボリュームを出し、その素材は既にナイロンやポリエステルといった化合繊の時代に入っておりさらに軽くなっていた。
今回のコラムで取り上げた女性シンガー達のドレスは、ディオールの『ニュールック・ドレス』を源流としたものである。ジャズ・シンガー達はまずステージ・コスチュームとしてこの『お姫様ドレス』に飛びついた。
彼女らのドレスは、デザイン的にはディオールの装飾を省いたドレスよりも、リボン、フリル、レース、刺繍など装飾性があるものが多い気がする。これはステージ・コスチュームとしての見栄えを考えたこと、もしくはアメリカ人特有の華やかさ好みを表現したものであるからかもしれない。
さらに、舞台でパフォーマンスを演じるために、さらに軽く仕立てられていたはずだ。素材もオーガンジーやレースが多い。コルセットでウエストを絞め付けたら歌うのに不都合が生じる。ウエスト周辺は極端にタイトというほどでもない。彼女達の動きは大きく汗もかいたことだろう。その辺りの工夫がどうされていたかまでは確かではないが、19世紀のものとは明らかに違い、合理的に作られた服であることは間違いない。
敢えて、冒頭に述べたシンガー達のドレスの特徴をいうなら、サラ・ヴォーン、ダイナ・ワシントン、ビリー・ホリデイ、ヘイゼル・スコットはとにかく華やか。レース、オーガンジー、サテン、ビーズや刺繍を施した装飾の多用。彼女らがアフリカン・アメリカンだというのも興味深いが、これはジャズ・シンガーは圧倒的にアフリカン・アメリカンが多かったせいだろう。
高級品好みのビリー・ホリデイやヘイゼル・スコットのドレスはディオールの本物であることは充分考えられる。
ペギー・リーは柔らかさと軽やかさがあり、モダンでもある。ジュリー・ロンドンは肌の露出度が高くセクシーさが加わるが上品。写真は掲載していないが、カーメン・マクレイ、アニタ・オデイはシンプルでシック。
一番この手のドレスを着ていそうなエラ・フィッツジェラルドのドレスは丈が少し短く足首が見えるもの、ややカジュアル感のあるものが多い。
お姫様のように着飾った『ニュールック・ドレス』を着たシンガー達は、いつか王子様が現れるのを夢見る女性達だったのだろうか・・・。
既に女王様(クィーン:ダイナ・ワシントン)もいるが・・・。
*You-tubeリンクはシンガーのドレス全体が映っている映像がないため、<いつか王子様が:Someday My Prince Will Come>でディズニー映画『白雪姫』の挿入歌。16世紀を舞台に19世紀にお伽話として作られた話で、1937年に作られたアニメーション映画。白雪姫の衣装は16世紀のヨーロッパの服を基に作られており、今回のコラムで取り上げたドレスのスタイルとも色も多少違うが、その原型に近いと言える。これもお姫様ドレスであることに変わりはない。
そして、マイルス・デイヴィスの<いつか王子様が:Someday My Prince Will Come>。
Disney’s “Snow White and the Seven Dwarfs” <Someday My Prince Will Come>1937
https://www.youtube.com/watch?v=HLQ2sYxktMQ
<Someday My Prince Will Come>Miles Davis sextet 1961
https://www.youtube.com/watch?v=fBq87dbKyHQ
*参考文献
・ファッションの歴史ー西洋服飾史、佐々井啓編書