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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 300

ジャズ・ア・ラ・モード #63. 女性ミュージシャン達のエレガントなブラウス

63. Female musicians in elegant blouses
text and illustration (Billie Holiday) by Yoko Takemura 竹村洋子
Photos: In Vogue: Georgina Howell, Pintestより引用

昨年、男性のボタンダウン・シャツについて触れたが、今回は女性ミュージシャン達のブラウスについて。女性ミュージシャンと言ってもほとんどがシンガーだ。

『ブラウス(blouse,英:chemisier,仏)』は広義に解釈するとシャツでもある。
シャツは上衣の汚れを防ぐために作られた元は男性用の肌着であり、それが部屋着、日常着として進化していった。『ドレスシャツ(日本で言うワイシャツのこと)』と『カジュアルシャツ』があり、男性ものだけではなく、現在では女性も着用している。

ブラウスはシャツとは違い下着としてではなく、1枚で着られる上衣として作られた。ブラウスは裾をボトム(スカートやパンツ)の中に入れる事でブラウジング=膨らませることから、そう呼ばれるようになったと一般的には言われている。
また、ボタンのつく場所が違う。男性用シャツは右前、女性用なら左前にボタンがついている。また後ろ開きと言うのはほとんど女性物にしか見られない。男性物のシャツが一番多種多様になってきた19世紀後期、男性がシャツを自分で着脱するのに対し、上流階級の女性はメイドに着脱をさせていたために、女性のブラウスには左前にボタンがつくようになった、と言う説がある。
ブラウスの丈は腰のあたり、素材は綿、絹、化合繊の柔らかいものが中心。

ブラウスの歴史は古く、原始時代に切られていた衣類の中にも発見されており、これを起源とする説もある。ブラウスの語源はブリオー(bliaud)とも言われている。これは古代ローマ時代に人々が着ていた丈の長いチュニックから発展した、と考えられている。ブリオーは丈が長く、繊細なドレープを持った薄手の素材で作られている。当時、女性はパンツ(ズボン)を履いていなかったので上衣の丈が長かった。上から被って着る物でベルトや紐でウエストを縛る。左の写真は12世紀に建てられたフランスのシャルトル大聖堂の柱の装飾に見られるブリオーを着た女性。

19世紀の終わり頃、ベル・エポックの時代(1800年代後半~第1次世界大戦前)に、女性達の間で刺繍、レース、リボンやボウ等の装飾のあるハイネック(後ろ開き)で袖に膨らみのあるブラウスをロングスカートと組み合わせて着るスタイルが流行した。それ以前の女性の服装はドレスが中心だった。ブラウス&ロングスカートというスタイルは女性の社会進出が徐々に進み、女性達もテイラード・ジャケットを着るようになった事から始まった。この時代のフランスの女流作家、シドニー=ガブリエル・コレットを描いた映画『コレット』(2018年製作)に数多く見ることができる。
またクロッケー(ゲートボールの原型のようなスポーツ)、ゴルフ、テニスが上流社会の女性達の間で流行したことなどが背景にあげられる。しかし、女性はあくまでレディの嗜みとしてスポーツを楽しむことが求められ、プレイは二の次でファッションが優先していた。それは『新しい女性像』であり、そんな女性達のブラウス&スカートのスタイルは、彼女たちの新しいライフスタイルに合うファッションだった。
その頃、アメリカ人イラストレーターのチャールズ・ダナ・ギブソン(1867~1944)の描くギブソン・ガールが流行に拍車をかけた。

20世紀に入ってからのアメリカのファッションはパリ・オートクチュールのデザインにアメリカ女性が望む実用性のあるデザインが求められた。アイテムとしては、テーラードスーツ、シャツもしくはブラウス、歩くのに適した丈のスカートといった組み合わせのスタイルが一般化していき、量産品も市場に多く出回るようになる。
1930~1940年代にはブラウス&スカートの組み合わせ、といったスタイルはさらに多様化して女性達の間に拡がっていった。
この頃になると、男性のドレスシャツの襟やカフスなどのデザインを取り入れた『シャツブラウス』と呼ばれるようなスタイルのブラウスも見られるようになる。シャツ襟のブラウス、オープンカラー(開襟)のシャツも柔らかな素材でフェミニンな印象に仕立てられたものが出回るが、ブラウスはまだカジュアルな場面でのみ着られる物だった。1940年代後半には、シルクか合繊の柔らかい素材でできたオープンカラーのシャツブラウスを着たビリー・ホリデイの姿がある。

第1次世界大戦後、若者を中心としたカジュアルウエアに活気が出てきた頃から、女性のブラウス、シャツはワードローブの1枚として当たり前のものになっていった。
1953年の大ヒット映画『ローマの休日』をご覧になった方は数多いだろう。オードリー・ヘップバーン演じるプリンセスが、最初はボウのついたブラウスを着ているがグレゴリー・ペック演じる新聞記者と親しくなり自由を満喫していく過程がブラウス~シャツを通してうまく描かれている。徐々にカジュアルになり、襟元のボタンを開け、袖をロールアップして、スカーフまでつけていく、という見事な演出だった。

フォーマルな場でも着られるような、フェミニンでドレスアップしたブラウスが一般化したのは、ファッションが成熟期を迎えた1960年代に入ってからだろう。
女性シンガーたちの場合、一般の女性たちに先駆けて、1940年代後半頃からステージ・コスチュームとして着られていた。ドレスを着るより遥かにカジュアルな着こなしなので、このブラウス&スカートのスタイルの方が聴衆は親近感を持ったのではないだろうか?
エラ・フィッツジェラルド、ペギー・リーなどがよくブラウス&フルレングスのスカートといった装いで、ドレスにも負けないくらいゴージャス感を出すコスチュームでステージに立っていた。

You-tubリンクは1983年にJATPコンサートで来日した時のエラ・フィッツジェラルド。赤いブラウスに黒のロングスカート、という装い。

*参考資料
・ファッションの歴史、西洋服飾史、佐々井啓他著:朝倉書店
・ In Vogue: Georgina Howell

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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