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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 303

ジャズ・ア・ラ・モード#65.ジャズ・ミュージシャンのボウタイ・コレクション

65. Jazz musician’s the bow-tie collection
text and illustration (Frank Sinatra) by Yoko Takemura 竹村洋子
Photos:Big Band Jazz:Albert McCarthey, Library of Congress-William P.Gottlieb Collection, Pinterest, Getty Imagesより引用

古い資料の整理をしていたら、『音楽ファイル』のなかに 『 I.W.HARPER BOW TIE DESIGN CONTEST ’91(ボウタイ・デザイン・コンテスト)’91』という切り抜きが出てきた。何の雑誌だったか記憶にないが、BRUTUSあたりだったような気もする。
I.W.HARPERはウイスキー・メーカーで、ボウタイはファッションのカテゴリーのはずなのに、これが何故、音楽ファイルの中に入っていたかはすぐ思い出した。

1990年から4年間ほど、新宿ルミネの上に『Indigo Blues at The Act』というジャズ・クラブがあった。(その後、そこは吉本興業の演芸場になっていた)ジャズ・クラブの奥中央にステージがあり、その前に観客用にドリンク類を置くための小さなテーブルと椅子が用意され、100人ほどの観客が入れるほどのスペースだった。
スポンサーはジャーディン・ワインズ&スピリッツで、バーボン・ウィスキーのI.W.HARPER が冠スポンサーだった。『パートタイム・ジャズクラブ』としてJRが運営する新宿ルミネと神原ミュージック・コーポレーションが企画し、毎月、約1週間程の期間に、様々なミュージシャンが演奏していた。ジェイ・マクシャン、リー・リトナー、ニューヨーク・ヴォイセズ、セルジオ・メンデス、ミッシェル・カミロ、ボブ・ミンツァー、エディ・ダニエルズ&ゲイリー・バートン他多数のミュージシャンが出演していた。
その出演ミュージシャンの中に、カウント・ベイシー・オーケストラもいた。1991年のことだった。

この年、I.W.HARPERは、青山スパイラルホールで『I.W.HARPER ボウタイ・デザイン・コンテスト ’91』なるイベントを同時に開催した。このコンテストは1988年から始まっている。
プロ、アマを問わず、誰でも応募できる『I.W.HARPERが似合うナイトライフにふさわしいデザイン』というのがコンセプトで、当時、新しいスタイルのデザイン・コンテストとして話題を呼んだ。1993年までは記録にあるが、現在存在しないようだ。フォーマルを超えた自由な発想の多くのボウタイの応募があった。コンテストの入勝者には、金賞は30万円とニューヨークペア旅行、銀賞20万円、銅賞10万円が授与された。
このイベントに、カウント・ベイシー・オーケストラがゲストとして参加していた。入賞者へのプレゼンターには当時バンドのリーダーだったフランク・フォスターが務めた。そして、このイベントの後、バンドはIndigo Bulesに出演した。I.W.HARPERとIndigo Bluesのコラボレーション企画だったのだ。
筆者は昼間行われた『ボウタイ・コンテスト』と夜の新宿Indigo Bluesでのカウント・ベイシー・オーケストラのショウ、と両方を楽しんだ記憶がある。

という訳で、今回はボウタイのお話。
『ボウ』については#57.ビリー・ホリデイのビッグ・ボウ・ドレス#59.モダン・ジャズ・カルテットのユニフォームでも取り上げた。

ボウタイは一般に『蝶ネクタイ』とか『バタフライ』と呼ばれる。
1600年代にルイ14世がクロアチア人の襟飾に注目し、それを宮廷ファッションとして取り入れ、それが一般市民に広がって行った。1800年代に入ってから現在の様なものになった。

ルイ14世(1638~1715)

歴史が長いため、その間デザインも変化し、いろいろなパターンがある。バタフライ(先端の幅が大きい蝶の羽の様な形)、セミ・バタフライ、ストレートエンド、ポインテッドなどが一般的だ。
セルフタイは自分の手で結ぶもの。プレタイは結び目があり、首元の金具で止めるもの。ピアネス・タイはクリップ・オンとも呼ばれ、初めからボウが結んであり、後ろでクリップやマジックテープで止めてつけるプレタイよりさらに装着が簡単なもの、と装着の仕方が異なるものがある。
バタフライは男性の礼服のタキシードとの組み合わせが最も多いだろう。タキシードには一般的に黒いタイを用いるため、ブラック・タイと呼ばれ、燕尾服は白いボウを用いられるため、ホワイト・タイと呼ばれる。最近はシルバー・グレイもある。
ボウタイ自体はフォーマルな装いだけでなく、カジュアルな装いにも用いられる。色も黒や白だけでなく様々、素材もフォーマルならシルクが当たり前だが、ウールやコットン素材もある。柄物も多く、ペイズリー、ドット、ストライプなどに人気がある。

ジャズ・ミュージシャンなら誰でもボウタイの1つはもっているだろう。
ジャズが始まった1920~1930年代頃、ニューオーリンズ・ジャズ、スウィング・ジャズが全盛の頃、黒人、白人を問わず、ミュージシャンは観客に対して敬意を表するという意味で、正装とまではいかなくても、観客に敬意を表する、という意味でタキシード、もしくはスーツにボウタイを着用する例がほとんどだった。とくにビッグバンドのリーダーに多い。これは今も変わらない。
日本とは違い、アメリカではジャズ・ミュージシャンが生の演奏をする場面が多い。ウエディングのレセプションに生バンドやミュージシャンを雇う人たちは現在でも多い。また、特別なイベントなどではタキシードにボウタイ着用が求められる。
実際にボウタイの流行のピークは1920年代で1950年代初め頃まで続き、一般の人たちのカジュアルなスタイルでも流行した。当時を再現した映画の中に、弁護士、医者、新聞記者、大学教授、探偵といった知的労働者からビジネスマンによくみられる。
現在ではフォーマルな場でもタキシードやボウタイの着用は徐々に減少しつつあるが、1920年代のヴィンテージ・スタイルのファンがいる。それを演出する小物アイテムのセットの中にボウタイが入ったものが売られている。

ミュージシャンを見てみると、ボウタイ着用の写真は意外にそれほど多くはなかった。
古くはニューオーリンズ・ジャズの代表選手のルイ・アームストロングやビックス・バイダーベック。スィング・ジャズでは、グレン・ミラー、ベニー・グッドマン、ライオネル・ハンプトン、ジミー・ランスフォード、カウント・ベイシー、テディ・ウィルソンなど、あげたらキリが無い。キャブ・キャロウェイはホワイトのフロックコートや燕尾服が好きだったためホワイト・タイが多い。意外にもスタン・ケントンは柄物が好きで、メンバーにもドット柄のタイをつけさせていた。ジャズ界きってのスタイリッシュ・ミュージシャンのデューク・エリントンはブラックだけでなく、シルバー、赤や青といったカラフルなものもいくつか持っていたようだ。

男性シンガーでは、ナット・キング・コール、フランク・シナトラ、トニー・ベネット、常に美しい装いのフレッド・アステア、ジョー・ウィリアムスなどお馴染みの面々。

1940年代後半に始まったビバップのミュージシャンでは、フォーマルな場でのバタフライだけでなく、カジュアルなスタイルも登場する。
チャーリー・パーカーのボウタイ・スタイルは珍しく、写真もほとんど残っていない。ディジー・ガレスピー、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、マックス・ローチ、ソニー・ロリンズ等々。彼らは70年代以降、フォーマルな場でもボウタイをつけることは無くなってきた。

オスカー・ピーターソン、モダン・ジャズ・カルテットのタキシードとボウタイ・スタイルは、クラシックのミュージシャンたちと対等に見られたかったのだろう。トラディショナル・スタイル本場のイギリスのミュージシャンではやはり、チャーリー・ワッツが柄物を見事に着こなしている。

最後に『ボータイ』コンテストでゲストに出演したカウント・ベイシーオーケストラの当時のリーダー、フランク・フォスターは筆者が知る限り、ファッションではあまり注目されないが、時代の流れに敏感なファッショナブルなミュージシャンだったことを付け加えておきたい。

フランク・フォスター&セシリア夫人、1993年、パリ、ニュー・イヤーズ、イヴ、
フォスターは淡いグレイのストライプのサテン地のスーツにチャコール・グレイのポインテッド・タイ、婦人のピンクのドレスと良くマッチしている。

You-tubeリンクはタキシードにバタフライ、赤いポケットチーフが粋なフランク・シナトラ。1985年、東京、武道館でのパフォーマンス。
<New York New York> Frank Sinatra

*参考資料
・ONE HUNDRED YEARS OF MEN’S FASHION:Carry Blackman

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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