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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 306

ジャズ・ア・ラ・モード#66 ホレス・シルヴァーのトレンチコート
Horace Silver and his trench coat

66  Horace Silver and his trench coat
text and illustration (Horace Silver) by Yoko Takemura 竹村洋子
Photos : Pinterest、Getty imagesより引用

ホレス・シルヴァーの『6Pieces of SILVER』(1956年)のアルバムカバーに、シルヴァーがトレンチコートを着て公園のベンチに座り、新聞か譜面か何かを読んでいる姿がある。
今回はこのトレンチコートについての話。

ホレス・シルヴァー『6Pieces of SILVER』(1956年)

ホレス・シルヴァー(Horace Ward Martin Tavares Silva:1928年9月2日~2014年6月18日)、アメリカ、コネチカット州生まれのピアニスト、作曲家。子供の頃はアフリカ系ポルトガル人の父の演奏に影響された。ハイスクールではサックスを最初に習い始め、のちにピアノに切り替えた。セロニアス・モンクとバド・パウエルに影響を受けたようだ。
1951年ニューヨークに進出。フリーランスのジャズ・ピアニストとしてコールマン・ホーキンス、レスター・ヤング、オスカー・ぺティフォード、アート・ブレイキーなどと一緒に演奏活動をする。
1952年ルー・ドナルドソンと一緒にブルーノート・レーベルで録音。以後28年間にわたり、ブルーノートで自己のトリオやアート・ブレイキー等と一緒に活動をする。
シルヴァーのジャズのスタイルはファンキーであり、ハード・バップ・ジャズのパイオニア的存在とも言える。また、彼のパフォーマンスは後に続く多くの若手ミュージシャンたちに影響を及ぼした。
1970年代後半にブルーノートでの活動を休止。1980年代に入ってからインパルス・レコードに移籍し、マイケル・ブレッカーやロン・カーター等と共演している。
2014年6月死去。享年85。

今回のテーマは、ホレス・シルヴァーとトレンチコートだ。

トレンチコートは戦時に軍の防寒、防水コートとして生まれた。
クリミア戦争(1853年~1856年)の時に、英国のアクアスキュータム社(1851年創業)とトーマス・バーバリー社(1856年創業)がトレンチコートの原型になるようなコートをイギリス軍に納入したのが始まりとなる。その後、第1次世界大戦(1914~1918)で『塹壕(トレンチ)』の中で戦う兵士たちによって着られたので、トレンチコートと呼ばれるようになり、軍用コートとして用いられるようになった。

トレンチコートは英国陸軍の要望を取り入れて作られた。ダブルブレストで8個の前ボタン。肩には水滴を通さないように生地を二重にしたショルダー・フラップがつき、肩から背の部分にもヨークが付いて防水について完璧な作りになっている。兵士が動きやすいように、袖はラグランスリーブ。袖口にはに水が入らないようにベルトがついている。ウエストベルトには手榴弾や水筒などをぶら下げられるように真鍮のDカンが前と後ろに2つずつ、計8個ついている。肩にはエポーレット(肩章)がつき、襟の内側にストーム・フラップがついている。

先に述べたように、クリミア戦争の時に英国陸軍のトレンチコートとして大活躍したアクアスキュータムとトーマス・バーバリー社が作ったものが、その後、この両社のものが伝統を引き継ぎ、現在に至るまで人気を保ち続けている。
この両社のコートにデザイン的な違いはほとんどない。

アクアスキュータム社のトレンチコートは自社で開発したウール糸を加工して織った防水生地を使用し、裏地はガンクラブチェック。1920年、当時世界で最もおしゃれな英国皇太子と呼ばれたプリンス・オブ・ウェールズ(後のウィンザー公)からロイヤルワラント(英国王室御用達)を授与されている。
バーバリー社はコットンを高密度に織り、耐久性と防水性に優れた『ギャバジン』という素材を1879年に開発して特許を得ている。裏地はバーバリー社独自のバーバリーチェックを使用している。

また、トレンチコートは映画スターによって一躍ポピュラーになった。
映画『哀愁:Waterloo Bridge』(1939)ではバレエの踊り子と恋に落ちるイギリス人将校を演じたロバート・テイラーが。そして、おなじみ『カサブランカ:Casablanca』(1942)ではハンフリー・ボガードが着た。ハンフリー・ボガードは私生活でもアクアスキュータムのものを着ていたようだ。
ロバート・テイラーとハンフリー・ボガード、この二人の映画俳優がトレンチコートのイメージを決定づけた。

ジャズ・ミュージシャンを見てみよう。
ホレス・シルバーのトレンチコートは、シワがあり、ちょっとくたびれた感じでシルヴァーに馴染んでいる。1956年のアルバムである。どこのブランドかは判別できない。シルヴァーは1950からブルーノート・レーベルで活躍した。当時の多くのジャズミュージシャンと同じく、アイビー・スタイル派だった。しかもかなりお洒落だった。彼がコートの下に着ていたのは、おそらくスーツだろうが、黒っぽいパンツに白いソックスを履き、コートもどこのブランドのものか、はっきりしない。僅かに見える裾の裏のチェックからすると、ひょっとするとバーバーリーだったかもしれないが、判別できない。この頃になると、多くの既制服メーカーが量産していただろう。シルヴァーのコートはブランド物ではなかったかもしれない。

オーネット・コールマンがトレンチコートを着ている姿は意外だった。スウェーデンで1965年に録音された『At The Golden Circle Stockholm』のアルバムカバーで見られる。さすが、フリージャズの先駆者だけあり、着こなしもコールマン風。フロントを完全に閉じてベルトでウエストを縛り、きちんと着ているように見えるが、帽子を被り、ポケットに手を入れ、ラフな着方で、トレンチコートぽくない。
この2人、(ホレス・シルヴァーとオーネット・コールマン)のコートは着込んだ感じのコートで、かなりお洒落に決まっていると思う。流石にアルバムカバーに使用するだけのことはある。

筆者は社会人になって初めて就職したのが、アパレル会社『JUN』という会社だった。当時の佐々木社長は、トレンチコートを買うと、まず洗濯機に放り込んで、コートがクタクタになるまで何度も何度も洗ってから着ていた、と聞いた。
戦争で兵士が着ていたコートは土や泥にまみれ、水に濡れ、汚れて決して綺麗な物ではなかったはずだ。そして、長年着込んで体に馴染んだものが、トレンチコートの真髄であり、真新しいものを着るのは野暮なのだ。

他にトレンチコート姿のジャズミュージシャンは誰かいるだろう、と探したが、あまり見当たらなかった。
カウント・ベイシーは、新品下ろしたてをそのまま着ているという感じでご覧の通り。
デクスター・ゴードンやレイ・チャールズは体が大きいからか、上手く着こなしている。
チャーリー・ワッツは絶対持っていたはずと思ったが、彼のコートはトレンチでもバーバリー社が後から開発した、ステンカラーのカーコートが多かった。やや小柄なワッツはダブルブレストのトレンチコートはヘビーで似合わないことを分かっていたのだろうか?

トレンチコート姿のハンフリー・ボガードは、“背中で人生を語る”と言われる。ジャズ・ミュージシャンはトレンチコートを着た背中ではなく、演奏で人生を語る?

 

You-tubeリンクはホレス・シルヴァー、<ソング・フォー・マイ・ファザー:Song For My Father>1968、デンマークでの録音。
<ソング・フォー・マイ・ファザー:Song For My Father>1968、デンマーク

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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