JAZZ meets 杉田誠一 #109 川島 誠
text & photo: Seiichi Sugita 杉田誠一
「ご無沙汰してます」電話の向こうから、懐かしいというか、つい先日聞いたばかりの声が聞こえた。 ちょうど4年半ぶりになるという。 4年半前といえば、電話の主、川島誠(as)は、月1レギュラー・ソロで、Bitches Brew に出ていただいていた。 早速ながら、ぜひまた月1ソロでライブを続行しようという ことになる。
思えば、川島誠について、ほとんどそれまで書いたことはなかった。いいチャンス到来とばかり、インタビューを試みる。
まずは、お生れは?
「1980年です」
ミュージシャンになろうと思ったきっかけは?
「『パーマネント・バケーション』(ジム・ジャームッシュ監督) を観てですね。ストリート・ミュージシャンが、未だに脳裏に突き刺さってます」。街を徘徊する少年の名は Parkerでした。
有難う。
実は。これで、インタビューは、終わってしまう。あとは、ジム・ジャームッシュと、「ザン・パラ」(『ストレンジャー・ザン・パラダイス』)と小津安次郎のことだけ。 こんなインタビューがあったっていいじゃないか。 はっきり言ってお互いに、これでもう十分だったと、ぼくはおもった。
4年半振りの邂逅。
まず第1の違いは、音楽の、いわば原風景が映像化されていることである。
川島誠が生まれたのは、1980年。
ぼくは、その年『ザ・ラウンジ・リザーズ』(EG) に夢中だった。『ザ・ラウンジ・リザーズ』が録音されたのは、1980年である。80年代、川島誠にシャワーのように降り注いできたのは、フェイク・ジャズであり、ウエザー・リポートであり、グロバー・ワシントン Jr.らなのだ。
4年半振りに出会って、もうひとつ衝撃をうけたこと。
ほんの4年半前は、冗長ですらあったのに、一回のギグで、30分以上は吹かないということだ。 それだけ、無意味な音を削ぎ落としたということことにちがいない。
この間、川島誠自身がどれほど悩み抜いたかは、音の一つひとつが、粒立っていることで、だれの耳にも明らかである。
4年半の大きな、変貌に触れてみたが、今後、の課題は、自己表現と自己表出の距離とを単出することであろうか?
ともあれ、今最も突出するアルト奏者は、川島誠のほかに、存在しない。
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