JAZZ meets 杉田誠一 #110 「ジョージ大塚」
photo & text by Seiichi Sugita 杉田誠一
ジョージ大塚 (ds) 1969 @池袋 “JUN CLUB”
日本のジャズ・シーンを強靭に引っ張ってきた名ドラマー、ジョージ大塚が、2020年3月10日入院先の病院で死去、巨星となられた。
1937年4月1日、東京生まれだから享年82。心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
初めてジョージ大塚の生と鮮烈に出会ったのは、1969年春@池袋 “JUN CLUB” であった。面子は、ジョージ(ds)、市川秀男 (p)、寺川正興 (el-b)。そう、あの名作『ページ 1』(タクト)と同じである。
このトリオで評価すべきは、実にセンシティヴで、バランスがとれていること。ジョージのドラミングは、スイングを止揚したかとまで思わせる「スプリング」である。内に孕んだパワーあればこその繊細さは、すこぶる奥が深い。
バランスという意味では、アーティスティックとエンターテインメントが常に均衡を保っている、ということ。
かつてのダニー飯田とパラダイス・キング時代は、坂本九が専属歌手であった。
『ページ1』は、初めて結成した事故のトリオであり、それ以前は、松本英彦四重奏団の一員であった。
その夜、ジョージは語ってくれた。「楽器を壊してまで、新しい試みをしようとは思いませんけど。
いま、タムタムを6つぐらい組み合わせて、その音のひとつひとつに具体的な意味をもたせるということではなく、それは一種の雑音みたいなものでいいんですけど、全体としてそれがまた、別の新しい音楽を創造していくというような、形にはまらない音楽をやりたいんです」と。
また、『JAZZ』誌のロング・インタビューでは、ミルフォード・グレイブスのような “間” に興味を持っていると語っている。
常にジョージ大塚は前向きであった。