JAZZ meets 杉田誠一 #119「MMBトリオ」
モツクーナス=ミカルケナス=ベレ・トリオ
photo & text by Seiichi Sugita 杉田誠一
2022年10月4日(火)、横浜は白楽の「本陣」で、リューダス・モツクーナスと久々に飲む。前回は2018年、やはりライブ@Bithces Brewの後であった。このライブ盤は、リトアニアのNoBusiness Recordsから発売され、坂田明、纐纈雅代、梅津和時、林栄一、大友良英らがドキュメントされている。奇しくも大友良英 (g) 以外は、全員アルト奏者。実はもうひとり浦邉雅祥 (as) も参加していたが、演奏がマイクから外れていたため残念ながらカットされた。
しかし、この度のライブ@Bitches Brewでは静と動との対称が際立った。
この度、Bitches Brew以外は、未体験ゾーンであるが。
それにしても、すべてからくクールである。
あの晩年のコルトレーンのように情動性に流されることなく、自己テロルに陥ることもなく。
2022,10.04@Bithces Brew で参加したのは、梅津和時のみ、というのは、梅津和時以外は、新宿PitInnほかに出演。
前回の来日は、リューダス・モツクーナス単独であったが、今回はトリオである。ピアノにアルナス・ミカルケナス(リトアニア)、ドラムスにホーコン・ベレ(ノルウェー)。
残念ながら、梅津和時はクルマのため酒席に同席できなかった。全員日本酒で焼き鳥と思いきや、リューダスだけはひとり、サンマ。肉をやめているという。「ビーガンじゃないよ」と野菜の焼き串だけは食べていたが。鶏には一切手を付けなかった。
あまり音楽の話題は出なかったけれども、バレにオスロのスタジオに付いて聞いてみる。「あそこは、とても良い。というのは、音を音として捉えている」。もちろん、ECMでおなじみのレインボー・スタジオのことだ。
MMBトリオと別れてからも、いまだに経験したことのない緊張感が存在している。その背景には、ぼくが1945年4月15日生まれという現実を踏まえて、ぼくが在る「いまも戦時下」であること。とりわけ、ロシアの次なるターゲットはリトアニアである。全く未分化のまま吐露するが、ぼくは、「内なる戦時下」をリューダスMMBトリオと共有する。
もうひとつ、「音を音としてとらえる」は、ぼくの脳裏にグサリと突き刺さる。コンテンポラリー・フォトグラファー、故・中平卓馬なら、「お前は、ただの音にしかすぎない」というに違いない。
さて、当夜の1部は、MMBトリオ。2部はMMBトリオ x 梅津和時という構成。何といっても2部の梅津和時が圧巻ではあった。
梅津もリューダスも、あの凄惨なコルトレーンの自己テロルを乗り超えている。梅津はMMB3を相手に、がっぷり四つに組み、全く引くことなく、堂々たる横綱相撲をとる。
いまや向かうところ敵なしの存在であるのだ。リューダスはますます変幻自在な技に磨きをかけつつも、ユニット個々の力量をいかに引き出すか?とのゆとりすら持っていた。どれだけのマグマを内に秘めているかは計り知れないけれど、この度だけは、出し切ったとぼくはみる。
アルナスは、セシル・テイラーの正系。
ホーコンに関しては、小物遣いの才人と位置付けたい。具体的には箱、なべ釜、といった日常の「もの」たちによって、ドラムセットの可能性を切り広げ、独特の複合リズムと「間」を開示してくれた。
最後に「とってもクールでおもしろい時間をありがとう」と挨拶したら、初めて全員笑みを見せてくれる。またね!