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~No. 201カンザス・シティの人と音楽 竹村洋子

#27 マイラ・テイラー&井上ひろし:カンザス・シティ・ジャズと日本昭和歌謡

1.マイラ・テイラー&井上ひろし:カンザス・シティ・ジャズと日本昭和歌謡 竹村洋子

Myra Taylor and Hiroshi Inoue: Kansas City jazz and the Japanese Nostalgic popular song  : text and photos by Yoko Takemura

♪ マイラ・テイラー(Myra Taylor)のこと

今年の日本列島は本当に強烈な猛暑だった。この原稿が掲載される頃にはこの暑さも治まっている事を願う。夏と言えば “懐かしのメロディー” の季節。この暑い盛りにカンザス・シティからあるメールが届いた。昨年、シンガーのミリー・エドワーズ(Mille Edwards) に依頼していたある曲の歌詞だった。1年以上前に頼んだ事、もうとっくに忘れられていたと思っていた。

カンザス・シティを拠点に活動しているブルース&ジャズ・シンガーのマイラ・テイラー(Myra Taylor)という女性をご存知だろうか?日本のジャズファンには余り馴染みがないかもしれないが、少し上の世代の人達の記憶にはあるかもしれない。 1917年生まれ、現在93歳になる。エラ・フィッツジェラルドと同い年、ビリー・ホリデイの 2歳年下になる。後者の 2人はすでに他界したがマイラはまだバリバリの現役である。カンザス・シティで初めてR&Bとジャズを唄い、レコーディングした女性である。もはやカンザス・シティだけでなく、アメリカン・ジャズ・シンガーの重鎮の一人だろう。大きな身体、パワフルな声、強烈なスイング感、ジョークたっぷりの大変ユニークな人である。
彼女の生まれはカンザス州ボナー・スプリングス。7歳の時にカンザス・シティに移って来た。1930年代、彼女は 14歳で学校を退学しハウスクリーナーとして働き始める。歌やダンスが得意で、15歳の時に地元のナイトクラブでプロとして働き始める。その後、カンザスを拠点にハーラン・レオナード&ロケッツ・バンドの専属歌手となり、シカゴ、ダラス、ニューヨーク等でも活動をしていた様だ。レコーディングは数少ないが、1940年代のマーキュリーレコードでの録音は残っている。(タイトル:Kansas City Jump)。また、2000年に『My Night to Dream』 というCDを出している。ブルース、ジャズ、ポピュラー、ポップなど何でもこなす彼女は第 2 次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争の際にはアメリカの慰問協会にも参加していた。またヨーロッパ、アフリカ等、彼女の訪れた国の数は32ヵ国にもなる。とにかくここで、彼女の長いキャリアは語り尽くせない。最近は音楽活動の他には毎晩の様にポーカーに興じているらしい。

♪ マイラ・テイラー&ワイルド・ウイメン(Myra Taylor & Wild Women)

マイラは2000年から現在に亘って、「ワイルド・ウイメン」という4人組のヴォーカルグループで活動している。
メンバーはジェネヴァ・プライス、ロリ・タッカーとミリー・エドワーズ。マイラ93歳を筆頭に80, 60, 50歳代と異なる世代のシンガーが月に3~4回集まってパフォーマンスを行う。いずれのメンバーもそれぞれ実力派で独自の活動を行っているが、4人集まったらまた違うハーモニとエネルギーが爆発して大変楽しい。彼女達のつねに絶やさない満面の笑みは、その素晴らしい歌声と共に観客を魅了している。本当に美しい人達である。

“『ワイルド・ウイメン』は、画家、彫刻家、ダンサー、シンガー等忙しいクリエーター達のパトロンの様なもの。あらゆるアートの中にあるスピリッツとハート、それは頭で考えるものではない。私達が深く愛する事、直感に忠実な事、時代に叶っている事。それが『ワイルド・ウイメン』のスピリッツ” だという。

昨年5月末、カンザス・シティで、『ワイルド・ウイメン』のアウトドア・ミニコンサートが土曜の午後にあった。ショッピングセンタ一角の噴水前のとてもリラックスした場所で休日の午後ということもあり、多くの人達が集まっていた。5月末といっても30℃を軽く越す炎天下。見ている方も汗だく。3時間に及ぶ彼女らのエネルギッシュなパフォーマンスは最高に楽しかったが、こっちもへとへとだった。しかも全員私よりず~っと年上。まさにワイルド・ウイメン!
パフォーマンスのほとんどがジャズのスタンダード・ナンバーだったが、中でもマイラが 70年代に行ったアフリカで覚えたという<Cumbaye>では観客の若いヒップホップ系の男の子たちとの冗談まじりの掛け合いがとてもエキサイティングだった。本場でしか味わえない楽しさだろう。

 

♪ マイラ・テイラー、昭和歌謡を唄う

パフォーマンスが終わり、メンバーたちとおしゃべりをしていた時、私の後ろで 「ちょっと、そこのお嬢ちゃん!(Hey you, little girl! )」 というマイラの声。誰の事を言っているのかと思ったら、私の事。1世紀近く生きている彼女にとっては私なんかひよっ子なのは事実。「私ね、日本に行った事あるのよ。こんな歌、あなた知ってる?」と、何と日本語で演歌のようなものを唄いだした。
本人の記憶によると、マイラは1961年に来日している。まだ 1ドル360円だった頃だ。ベトナム戦争慰問ツアーの際、日本に立ち寄った。東京滞在中、街中で流行っていたある歌謡曲が気に入り、耳で覚えてしまった。そしてそれに自分で英語の歌詞を付け、その後も唄い続けていたというからビックリした。私は全く聞いた事がない曲だったので、何度か唄ってもらった。別れ際に、「私は記憶が悪いんでね。あんたのことは日本の小さな子、って事だけしっかり覚えとくよ!」と言われた。私はメロディー、歌詞を耳で覚えホテルへすっ飛んで帰り、覚えた事を書き留めた。その頃には私の記憶はもう半分以下になっていたが。

帰国後すぐ、JTの稲岡編集長とこのコラムでCDレビューを担当して下さっている関口さんと会い、カンザス報告がてらこの話をした。早速、この曲は何だろうという話になった。
書き留めた歌詞は英語の方が多く、日本語はほんの数行。『~あきらめた。だけど恋しいあの人、今一度一目だけでも会いたいの』 これだけが手がかりだった。マイラの日本語はとても上手だったが、何しろ 50年前の事。彼女の記憶も曖昧になっていて当然だろう。
稲岡編集長が松島アキラの <湖愁>じゃないかとか、関口さんがフランク永井の<君恋し>じゃないかとかいろんな意見で盛り上がったが、その日は解らずじまい。帰宅後おそらく全員が、You-Tubeでサーチしまくったと思う。編集長が井上ひろしの<雨に咲く花>である事をつき止めて下さった。“一目だけでも会いたいの” という私のわずかな記憶が手がかりだったとおっしゃった。
以下その歌詞である。

雨に咲く花
作詞:高橋掬太郎 作曲:池田不二男

およばぬことと あきらめました
だけど恋しい あの人よ
(以下略)

♪ <雨に咲く花> 英語バージョン

やっと探し当てた原曲をMP3にしてCDRに焼き、カンザス・シティのミリー宛に送った。ジェネヴァやロリもこの話は知らなかった。でも皆、“マイラは本当に耳が良いのよ。” と不思議でも何でもない様な感じだった。ミリーがマイラに英語の歌詞を聞き出してくれることを承諾してくれたが、マイラは送ったCDRをなくして再度送ったり…….待つこと1年。やっと手元に届いた。
以下、マイラ・テイラー作、英語バージョンの歌詞である。

I miss your smile and your kisses
I speak your name in every prayer
What a lonely night this is
Just say the word and I’ll be there
How time goes slowly by
When your love is far away
Each lonely night I cry for your return someday
I miss your kisses
I speak your name in every prayer

どうでしょうか?面白い話だと思う。私はこのジャンルの曲には余り馴染みがなく、井上ひろしという人の存在も今回初めて知った。
井上ひろし氏のご家族、作詞の池田不二男氏、作曲の高橋掬太郎氏は、この事をご存知だろうか?ふとそんなことも考えた。それ以後、何故かこの歌手にもの凄く親近感を覚え、この曲のメロディーもすっかり頭にこびりついてしまった。きっとこれからも、暑い夏がくる度にこの歌を思い出すだろう。

思わぬ所でカンザス・シティ・ジャズと日本の昭和歌謡が 2010年、平成22年の夏に繋がってしまった。(2010年8月記)

Wild Women: My Space link
http://www.myspace.com/wildwomenofkansascity

Myra Taylor CD link
http://www.e-reco.com/hdetail/100921.html


2.井上ひろしと日本昭和歌謡 稲岡邦弥

Hiroshi Inoue and Japanese Showa popular song : text by Kenny Inaoka

「井上ひろしと日本昭和歌謡」について小文を書けとの竹村さんのお達しだが、僕はどちらの専門家でもないし、紙幅もない。それより、1年近く体調不良を訴えている竹村さんから久しぶりに気分が昂揚しているメールをいただいたことが嬉しかった。聞けば1年前に依頼した歌詞がカンザス・シティ(KC)の友人から届いたのだという。やはり竹村さんはKCの人である。今年はさすがに断念せざるを得なかったようだが、毎年出掛けていっては1ヶ月ほど命の洗濯をして帰ってくる。現地から離れていてもいつも心はKCとつながっているのだ。1年前!?と言ったって、現地ではそういうテンポで時間が流れているのだ。ましてや相手は 90歳を超えた高齢者である。
竹村さんの旺盛な知識欲に付き合った(付き合わされた?)のはこれが2度目。いや、3度目!最初は、<ハニーサックル・ローズ>の追求でこれは僕も多いに勉強になった。僕だけでなく、KCの人たちの目も開くことになった。一時期、KCは<ハニーサックル・ローズ>の話題で持ち切りだったらしい。竹村さんのお手柄である。2度目は大戦中の米兵の階級のことだったが、これは確証が得られないままおクラ入りになった。そしていきなり「昭和歌謡」である。経緯(いきさつ)については、竹村さんのエッセイに書かれている通りである。最初に歌詞とメロディの断片を示されたとき、直感的に松島アキラの<湖愁>が頭に浮かんだ。ネットで確認して井上ひろしの<雨に咲く花>であることが判明したのだが、どちらもスローバラードで曲の雰囲気はよく似ている。松島アキラは昭和 19年東京生まれで、<湖愁>は昭和 36年(1961年)だという。井上ひろしは、昭和 16年横浜生まれ。1985年に 44歳で早世している。<雨に咲く花>は 1960年にリバイバル・ヒットしたそうだから、ほとんど同時期にふたつの曲を耳にしていたことになる。
ところで、このふたりのポートレートを見ていて感じたことがある。どちらもいわゆる“美男子”なのだが、最近の“イケメン”とはあきらかに顔立ちが違う。どちらかというと今のご婦人方のハートを捉えている “韓流スター” の顔立ちに近い。日本のご婦人方がどうして “韓流スター” に夢中になるのかなかなか合点がいかなかったのだが、彼女らは、本能的に「井上ひろし」や「松島アキラ」的(日本古来の)“美男子” を “韓流スター” の顔立ちに求めているのではないだろうか。若い娘が好む “イケメン” にもはや日本的 “美男子” の面影はなく、茶髪を決めた彼らは “無国籍” に近い。“しょうゆ顔” ”ソース顔” 系という言い方があるが、“しょうゆ顔” 系から “美男子” が生まれることはあっても、 “イケメン” が生まれることはなく、“ソース顔” から “イケメン” が生まれることはあっても、“美男子” が生まれることはないのである。つまり、どんどん “ソース顔”(欧米風?)化しつつある日本の男性に見切りをつけたご婦人たちは、“しょうゆ顔” を残す “韓流スター” に熱を上げる、という図式とみるのだが如何なものだろうか。
日本のポップスを海外でカヴァーした成功例では、レイ・チャールスの<愛しのエリー>があるが、これを初めて耳にしたときは鳥肌が立った。桑田佳祐の名曲だが、レイ・チャールスが見事なソウル・バラードとしてものにしていた。歌謡曲のカヴァーでは、美空ひばりの<りんご追分>のインスト・ヴァージョンが記憶にある。ビリー・ハーパーのブルージーなテナーが朗々と追分を歌っていた。93歳のマイラ・テイラーが歌う井上ひろしの昭和歌謡<雨に咲く花>を聴いてみたいが、「ワイルド・ウイメン」をカンザス・シティから日本に招く手だてはないものだろうか。


27, Myra Taylor & Hiroshi Inoue: Kansas City jazz and the Japanese Showa Nostalgic Song

text & photos  by Yoko Takemura

♪ Myra Taylor

Last summer, the Japanese islands had really strong intense heat. I wished this heat would cool down when this manuscript was published. Some say, “be careful what you wish for.” Now winter cold and snow bring nostalgia for warm breezes and summer flowers. The first publication of this article – in Jazz Tokyo magazine – was in the Autumn relief between harsher seasons.

That too hot summer was a season of “Melody of Nostalgia” – that is a big show in which many popular Japanese singers gather and sing nostalgic Japanese songs. It’s very popular in Japan, and broadcast on TV every summer. During those hot days I received an email from Kansas City with lyrics of a certain tune that I had requested from the singer Millie Edwards. I thought she might have forgotten my request from a year before.

Do you know the incredible lady whose name is Myra Taylor? She is a blues & Jazz singer who is a jewel of Kansas City. She might be known by generations of jazz hounds in America and Japan, but she is not so familiar to the new generation of jazz fans.

Myra will turn 93-years-old this year, born in the same year as Ella Fitzgerald and only two years after Billie Holiday. Myra Taylor is still singing, though, long after those other two jazz divas have already gone.

She sang and recorded R&B and jazz for the first time in Kansas City. Now, she is not only one of the leaders of Kansas City jazz, but also American jazz. To look at Myra now, you can still see her loveliness and strength, her voice still commanding. It was that powerhouse voice, a sense of swing, elegance and grace, and a mischievous sense of humor that fueled her successful rise as a young jazz siren.

Myra Taylor was born in Bonner Springs, Kansas on February 24th 1917; her family moved to Kansas City when she was seven.  At age 14, she withdrew from school and began to work as a house cleaner. By age 15, young Myra was singing and dancing professionally at local nightclubs. That led to an exclusive gig as the female vocalist for Harlan Leonard & His Rockets, a band which was based in Kansas City. The band toured extensively, gaining popularity in its time. Their big 1940s recording on the Mercury record label was “Kansas City Jump,” followed by “My Night to Dream” – re-released on CD in 2000.

Myra, who sings blues, jazz, contemporary, and pop music, was part of a tour that entertained US troops in World War II, and the Korean and Vietnam Wars. She has visited 32 countries on the continents of Europe, Africa, Asia, and the Americas.  The full story of Myra’s career of nearly eight decades is as expansive as her travels – far beyond what can be covered in one article.

♪ Myra Taylor and the Wild Women

Myra is still singing regularly as part of a quartet called “The Wild Women of Kansas City,” along with Geneva Price, Lori Tucker and Millie Edwards. These women represent four generations: the 50’s, 60’s and 80’s, with 93-year-old Myra Taylor at the top.  Each of the Wild Women holds a “day job” showcasing other unique abilities. Yet, these four sassy singers blend a joyous and unique harmony when they gather to perform for regional audiences three to four times a month. Their remarkable spirits come through their enchanting smiles and wonderful voices. They are truly beautiful people.

♪ “Wild Women.., ”

“Wild Women Don’t Have the Blues” is the name of a famous song written by blues singer Ida Prather Cox in 1924 when  Myra Taylor was just a child. The Wild Woman has become an archetype defined by strong women like Cox and Taylor – real life legends who personify the wild woman.

She is the patroness of all artists – painters, writers, sculptors, dancers and singers, as well as thinkers, seekers, prayers and runners, and all who summon courage to repel defeat. Wild Women are busy with the work of invention, which is her main occupation. As with all artists whose spirits reside in the heart and in the gut, not in the head, the wild woman can sense hazards and camouflage as needed. She is intuitive and loves deeply.
Such is the individual and collective spirit of The Wild Women of Kansas City.

I met the “Wild Women” of Kansas City at an outdoor mini-concert on a Saturday afternoon at the end of May, 2009. It was in front of the Neptune fountain on a corner of the Country Club Plaza. A very relaxed holiday afternoon – lots of people came by. The weather was warm for the end of May. The energetic performance of the Wild Women went on for three hours as the crowd stayed and grew and baked in the sun. During the performance, Myra bantered with a young man with a hip hop style. She was singing “Cumbaye” having remembered the tune from Africa when she visited, especially in the 70’s.

Most of the performance were standard jazz numbers. The experience might be happiness that can be experienced only in the hometown of Jazz – Kansas City.

♪ Myra Taylor sings the Japanese Showa Era song
(Shōwa era: the period of Japanese history corresponding to the reign of the Shōwa Emperor: 1926~1989.)

I heard, ”Hey you, little girl!” when I was chatting with some of The Wild Women after the performance. It was Myra’s voice. I didn’t understand what she was saying – who was a little girl? Then I realized the little girl was me! True, I am just a baby for a woman who has been alive for almost one century.

“Once, I went to Japan,” she continued to me, “do you know this song?” Myra began to sing a nostalgic tune in Japanese.

Myra was in Japan around 1961 in her memory. Those days, one dollar was valued at 360 Japanese Yen. (Now, one dollar is 82 Japanese Yen.) Myra stopped by Japan during the Vietnam War tour. She remembered the Tokyo song that became popular during her stay just by hearing it. I was surprised that she knew the Japanese lyrics. I was really surprised when she sang it again and put English lyrics to it. I had not heard the Japanese song at all, so she sung it several times for me. Ironically, after singing the song she remembered by ear from so long ago, she said, “I have a poor memory. I can’t remember your name, but only Japanese girl.”

I returned to my hotel and wrote down what I remembered of the melody and lyrics, but I could only recall about half of it.

When I returned home to Tokyo, I immediately met with Jazz Tokyo Editor in Chief Kenny Inaoka and Mr. Sekiguchi, who is in charge of CD reviews for my column in Jazz Tokyo. I told them this story about the tune Myra sang while I was reporting to them about Kansas City.

We went over different parts of the lyrics. A few lines of Japanese lyrics are many words when translated into English. Yet, on that day we couldn’t find the song. It was 50 years ago. However, Myra’s Japanese was excellent. In my English translation one lyric was, “I’m eager to see him even if only glancing…” Mr. Sekiguchi said maybe it was Akira Matsushima’s “Kosyhu,” meaning, ” I’m thinking about and missing you at the quiet lake side.” Or maybe it was Frank Nagai’s “Kimikoisi,” which means ” I Miss You” in English. Finally, Mr. Inaoka found it on Youtube! It was Hiroshi Inoue’s “The Blooms in the Rain.” Mr. Inaoka searched from the part I remembered “I’m eager to see him even if only glancing…” Here are the lyrics of the original song. We listened to the song on Youtube, but it has since been pulled because of copyright.

“Flower Blooms in The Rain” (original-1935-, Hiroshi Inoue released -1960 )
Composers: Fujio Ikeda, Lyric:Kikutaro Takahashi

♪ “Flower Blooms in The Rain” – the English version

“I’ve given it up as he wouldn’t be mine but I’m missing him so badly…”
looks like this in Japanese:

( can’t write all of the song here because of copyright laws)

The original tune had finally been found. I saved it on MP3 and CD and sent it to Millie Edwards in Kansas City to show Myra. Neither Geneva nor Lori knew this story. However, all of the Wild Women said Myra has a great ear. When they found out, they did not feel as though it was mysterious at all. One year later, I finally got approval to find out the English lyrics by questioning Myra through Millie. Millie so kindly made sure the lyrics reached my hand. Here are those English version lyrics created by Myra Taylor.

I miss your smile and your kisses
I speak your name in every prayer
What a lonely night this is
Just say the word and I’ll be there
How time goes slowly by
When your love is far away
Each lonely night I cry
for your return someday
I miss your kisses
I speak your name in every prayer

How about that? I think this is a beautiful and amazing story. I learned of Hiroshi Inoue’s existence for person’s existence for the first time through an American woman singing this tune of this genre in time.

Jazz Tokyo Editor in Chief Kenny Inaoka has suggested that the “Wild Women of Kansas City” should come to perform in Japan. It would be a celebration of the connection between our cultures and introduce a new audience to the legend Myra Taylor while we still have her. Jazz Tokyo is hoping someone will step up and sponsor the Wild Women’s trip to Japan. Many Japanese would be thrilled to hear her sing “Flower Blooms in The Rain.”

The melody of this song has stuck in my head since that hot summer day in Kansas City. Kansas City jazz and the song of the Japanese Showa Era connected in an unexpected place in the summer of 2009. I will surely recall Myra Taylor’s silky voice singing it every time the hot summer returns.

初出:Jazz Tokyo 2010.8

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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