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~No. 201カンザス・シティの人と音楽 竹村洋子

18. カンザス・シティ・スタイル・バーベキュー

Kansas City Style Barbecue
text & photos by Yoko Takemura 竹村洋子

1. カンザス・シティ・スタイル バーベキュー

♪ カンザス・シティ・スタイル バーベキューとは?

カンザス・シティの話をすると皆に 「バーベキュー(以下BBQ)はどうだった?」と聞かれる。たしかに、カンザス・シティの3大名物といえばBBQ、ジャズ、野球なのだ。ただ野球はまったく人気がなくアメリカン・フットボールにとって代わられてしまっている。
この街は 『World Capital City of BBQ』といわれ、市内には100軒近いBBQ レストランがあり、一家に一台BBQピットやグリルがあるのは当たり前のようだ。世界中の1万人以上もの会員からなる”カンザス・シティBBQソサエティ”なるものさえある。このソサエティが出版している『カンザス・シティBBQ・クックブック』のイントロに ”BBQ is a passionate subject!”とある。言ってみれば彼らにとっては”情熱の賜物” ということなのだろう。現在では日本人も肉を食べ、BBQもポピュラーになっている。もともと肉食人種でない日本人の私達には、本当のところなかなか理解しづらいが,BBQはカンザス・シティ文化のハイライトといえるテーマだろう。

恥ずかしながら、私も最初にこの地を訪れた時から2年前まで、BBQといえば最初にゲイツ(GATES)という店に1回行った事があっただけ。アーマド・アラディーン&ファニー・ダンフィー宅で毎回ご馳走になるチキンのホームメイドBBQしか知らなかった。個人的な話だが、旅行中は健康管理上の都合から肉類はほとんど食べない。ある時、友人達が何人か集まった時、「本当のカンザス・シティBBQって食べに行った事ないでしょ。誰か連れて行かないとまずいんじゃないの?」 という話になった。そして何軒か行ったが、 BBQの話を書くとなると、これは奥が深くてそう簡単に書けるものではないのだ。料理本やインターネット等から多少の知識はあったが、やはり地元の人達からの情報はそれとは少し違った。

BBQの起源は17世紀の西インド諸島に遡る。当時、現地に住むインディアン達が野外で大きな木組みを作って豚を頭からしっぽまで丸焼きにし、それを大人数でシェアをして食べた事が始まりらしい。その形態が『barbacoa(丸焼き)』ともいわれていた。コロンブスの西インド諸島発見後、入植して来た多くのスペイン人達がまず『 barbacoa』と呼び、それが後に変化して『barbecue』という呼び方になったようだ。また、同じ地に渡って来たフランス人達が使っていた『barbe a queue』(頭からしっぽまで)が語源だという説もある。本格的にアメリカ本土に渡って来たのは19世紀半ば、ヴァージニア州でアフリカン・アメリカン達らが始めた。彼らのちょっとしたお祭りムード的な食の場でもあったようだ。その後、特にアフリカン・アメリカンの多い南部で広がり、西部、北へとこの食文化は広がっていた。

BBQがカンザス・シティを代表する文化にまでなったのは地理、経済、社会的な背景下に生まれた偶発的な結果のようだ。カンザス・シティはアメリカ合衆国のど真ん中で、19世紀半ば頃からアメリカの物流の拠点であった。鉄道に加えてミズーリ川があり、バイヤーや卸売業者はそれを家畜類の輸送手段として使うだけでなく、肉の加工業を栄えさせた。さらに19世紀後半から20世紀初頭には多くのアフリカン・アメリカン達が南部からカンザス・シティに移住して来たことが、ある意味で特殊なカンザス・シティBBQ文化を創る大きな要因となった。彼らの肉の加工技術が経済活動の基礎になったのだ。結果、安くて良い肉が市民の手に簡単に入る様になり、人種を問わずポピュラーになり、『World Capital City of BBQ』となって来たのである。

ビジネスとしての始まりは、テキサスからカンザス・シティにやって来た『BBQキング』といわれるヘンリー・ペリー(Henry Perry)が1908年に地元の労働者相手に、移動車でグリルしたスラブを25セントで売り出した事に遡る。(スラブとはあばら肉の一番大きい固まりで、現在は20ドル以上する。移動販売車は今でもアメリカには沢山ある)ヘンリー・ペリーはさらにBBQ の研究を重ね、1932年に18th & Vine地区の一画で店を持った。この店はその後50年代にかけて大人気だったそうだ。この話はドキュメンタリー映画 『The Last Of Blue Devils』 にも出てくる。店は何年も前に閉じてしまった。
このヘンリー・ペリーで働いていたチャーリー・ブライアントというシェフが独立して『アーサー・ブライアント(Arthur Bryant ーお兄さんの名前)』という店を1940年代半ばに始めた。『アーサー・ブライアント』は今でも人気のレストランでアメリカでは最も有名なBBQレストランとして知られている。私がアメリカの友人達にカンザス・シティでBBQを食べた話をすると誰もが 『アーサー・ブライアント?』 と聞く。歴代大統領や多くのセレブリティ達が訪れている。
同じ40年代半ば、この 『アーサー・ブライアント』 のシェフの一人が『ゲイツ&サンズBBQ(GATES & Son’s BBQ)』 という店に加わり、このゲイツも瞬く間に人気の店となった。その後、数多くの店が出来、現在に至っている。
『アーサー・ブライアント』、『ゲイツ』、そして1957年に開業した 『フィオレラズ・ジャック・スタック・バーベキュー(Fiorella’s Jack Stack Barbecueー以下ジャック・スタック)』 これがカンザス・シティBBQの老舗御三家だそうだ。まだまだ、ポピュラーな店は何軒もある。

現在では材料は豚だけでなく、チキン、ビーフ、ターキー、シュリンプ、ハンバーグ、ソーセージ、シーフードや野菜等に及んでいる。が、主として豚(ポーク)が一番ポピュラーらしい。私は長年、カンザスだからビーフがメインとばかり思っていたのはとんでもない思い違いをしていたのだ。ポークの方が肉が柔らかくてフレーヴァーがいい。という説もある。
その肉のとくに固い部分、リブ(胸あばら肉)やブリスケ(肩バラ肉)等を長時間、低温(80℃~150℃)でじっくりスモークする。その際ヒッコリー材を使い長時間で良い香りをつけながらスモークするというのが、カンザス・スタイルだそうだ。ヒッコリーはヘンリー・ペリーが最初に使い始めたらしい。スモークの方法は2つある。『ウェット』と『ドライ』と呼ばれ、『ウエット』 はカンザス・スタイルのソースを、『ドライ』の方はパウダー状のコンビネーション・スパイスを肉にすり込んでじっくりスモークする。地元の人達には ”ウエット”の方が人気があると聞いた。
その 『ウエット』のソースはカンザスシティ・マスターソースと呼ばれ、ヴィネガーをベースにトマトペースト、ホットスパイス、蜂蜜の他、数々のスパイス類のミックスで出来ている。店によってレシピは異なりこれは当然企業秘密。ヴィネガーベースといっても酸っぱい訳ではない。これがカンザス・スタイルのソースの大きな特徴で、他の都市にはないそうだ。何処の店に行ってもこのソースとスパイスは山程おいてある。スパイシー度は3~4種類あるのが普通で、一番ホットなのは私は辛くてとても口に出来ない。

昨年9月、老舗御三家のBBQレストランに友人達が私を連れて行く、とスケジュールを組んだ。が、すでにその時ディナータイムで空いているのは2日だけだった。男性陣は 『アーサー・ブライアント』に是非行くべきだとすすめた。が、女性陣が 『絶対いや!』と言って譲らない。「アーサー・ブライアント のBBQはスモークした臭いがかなりきつく、脂っこくてしかもソースが甘すぎる。」というのだ。
なんだか誰のために行くのか解らなくなっている様な気がしたが…。結局 まず『ジャック・スタック』 と 『ゲイツ』 に行くことになった。

♪ 『Fiorella’s Jack Stack Barbecue』 フィオレラズ・ジャック・スタックBBQ

『ジャック・スタック』 には友人シャロン・ヴァローのご両親が招待してくれた。私はポークを食べるつもりでいたのだが、レストランに入って他の客のテーブルを見て、一気に食傷気味になった。とにかく、もの凄いボリュームなのだ。アメリカのレストランは何処も量が多いのは常識だが、ここ何年かは健康志向ということもあり、随分量が少なくなって来てはいる。が、BBQ は変わらない。また、最近は食べきれなかった分をテイクアウトできる様に最初から量を多くしている、という話も聞いた。それだけ、みんな家庭であまり料理をしなくなったということだろう。
メニューを見て迷った末、チキンを食べることにした。味はシャロンが薦めるだけあってマイルド(勿論ソースはマイルドを選んだのだが)、かすかにヒッッコリーの香りがし、肉は脂っこくもなく、柔らかくてとても美味しかった。勿論、食べきれず残したが。サイドディッシュが抜群だった。中でもスモークしたインゲン豆は最高!私には初めての味だった。他にコールスロー、スパイシーな煮込んだチリビーンズ(これはアメリカならではの味だろう)、フレンチフライ等々。サイドディッシュの種類が豊富なのもカンザス・スタイルの特徴だそうだ。そして、ミズーリ地ビールも楽しんだ。かなり濃厚な味で美味しかった。85歳になるシャロンのお父さんはポーク・スペアリブの1ポンド(写真)をペロリと平らげた。骨が8本あるから正味約250~300gらしい。さすがアメリカ人、カンザス人!

先に書いたカンザス・シティ・スタイルBBQのレシピを誰に聞いたか?というと、『ジャック・スタック』 のキッチン・マネージャー、アンドリュー・ミラー氏からである。食事後、ウェイトレスに私がただ一人の日本人客である特権(?)を利用して、マネージャーに会いたい、と頼んでみた。すぐにこのアンドリュー氏が出て来て親切にキッチンを案内してくれるという。これにはシャロン一家も大喜び。カンザス・ネイティブの彼らだって初めての体験だった。
キッチンは凄い蒸気。スモークするジャイアント・スモーカー(ポークの固まりは最低24時間以上はスモークするそうだ)、いくつかの小さいスモーカー、山積みになったヒッコリー材等、初めて見る物だらけ、それにすごい熱気である。キッチン内は危険な物が一杯あるから気をつけてくれ、といわれた。従業員は皆、安全靴をはいていた。
一通り見てレストランを出る時、どうして何処のBBQレストラン内もうす暗いのか?と聞いたところ、キッチンから出てくるスモークの煙を隠すためだという返事に納得した。

♪ 『GATES & son’s BBQ』ゲイツ&サンズBBQ

もう1軒の『ゲイツ』。
ここはまた別の楽しさがある所だ。レストランに入った瞬間、遊園地にいる様な気分になる。いかにもアメリカンなインテリア。メニューはBBQだがオーダーの仕方がカフェテリア方式。ウェイトレスが 「May I Help You?」 と聞いて回ってるが、これはこの店のキャッチフレーズ。客をフレンドリーにもてなしリラックスさせる事がこの店のモットーだそうだ。まず、カウンターに行きオーダーし、出来上がった物をトレイにのせて、支払いテーブルにつく。完全なカフェテリア・スタイルで、まるでハンバーガーのマクドナルドの様なのだ。友人のデヴィッド・バッセが『KC BBQ マクドナルド・スタイル』と言っていたのを思い出しウェイトレスに冗談で言ってみたら、「冗談じゃないわよ。こっちが先であっちが真似したのよ!」という返事が返って来た。失礼しました!

私はこの時初めて知ったのだが、多くのBBQレストランはこのカフェテリア・スタイルだそうだ。『アーサー・ブライアント』も然り。『ジャック・スタック』もダイニング・テーブルは沢山あるが、売り上げの50%はテイクアウトとケイタリングだそうだ。カンザス・スタイルBBQはファーストフードの様な感覚らしい。ある友人はカンザス空港でエマニュエル・クレーバー元市長が『ゲイツ』の紙袋を飛行機内に持ち込み食べていたのを何度も見た事があるそうだ。ジョン・トラボルタも同じ事をやってた、とその友人は言っていた。
私は、『ゲイツ』ではチキンとポークソーセージを食べた。チキンは『ジャック・スタック』よりちょっとだけワイルド。ポークソーセージは意外にあっさりした味だった。

♪ BBQはアメリカ人の誇り

こうやって書いていると、読者の皆さんはBBQって店によってそんなに微妙な違いがあるの?と思われるだろう。私も正直に言って最初は 「たかが肉の固まりを焼いただけじゃない!」くらいにしか思っていなかったのだから。
何処のレストランがいいか男性陣と女性陣がもめた事も含め、このこだわり、ウンチクを語り合うのも一つの文化だろう。またホームメイドBBQはその家庭の数だけレシピがあるのだから。地元カンザスの人達にとっては 『カンザス・スタイルBBQ』 は最も重要な文化の一つであると同時に、大きな誇りであり、アメリカを代表する食文化なのだ。
この原稿を書くにあたり、いくつか確認したい事があってボビー・ワトソン始め5人程にメールをした。いつもは1~2行の返事で終わる人達が、このBBQの話に限って長い返事と多くの情報を送ってくれたのには驚いた。これでは,私の原稿を英訳して彼らにフィードバックしないと収まらないかも…!

アメリカは建国後、未だ250年弱。開拓時から荒れた土地で体力をつけ生き延びて行くために、如何に肉を美味しく食べるか。ということは生きていくための基本的な知識だったかもしれない。やはりアメリカで生き延びるって半端なことじゃない。オバマ新大統領が就任演説でもこう言っていた。「 私達の先人は、わずかな財産をまとめ、新たな生活を求めて大洋を渡って来た。私達のために,劣悪な条件でせっせと働き、西方に移住し、ムチ打ちに耐えながら硬い土地を耕した…..私達がより良い生活を送れる様に,幾度ももがき、犠牲になり、手の皮が擦り剥けるまで働いた。」と。これは何もアフリカン・アメリカン達の事だけではないだろう。アイリッシュ、ヒスパニック等多くの民族が、そうやって必死に生き延び、今のアメリカを築き上げて来た訳である。

『ゲイツ』で食べ終わったところで、店の奥からオーナーのオリー・ゲイツ氏と息子の副社長ジョージ・ゲイツ氏がもの凄く大きな体を揺さぶって出て来た。素晴らしく親切で穏やかな人達だった。写真を撮る時に私は大きな2人に押しつぶされそうだった。
そんな開拓民達のDNAがまだまだ一杯の人達が山程いるわけで、カロリー摂取過剰という健康問題はアメリカの永遠のテーマかもしれない、と思いながら改めてカンザス・シティBBQを食べると、また違う感慨がある。
次回は”アーサー・ブライアント”に行ってポークを食べなきゃ……!

オフィシャル・ウェブサイト
http://www.arthurbryantsbbq.com
http://www.jackstackbbq.com/info.asp?ii=2&sid=&eid=&tid=&bhcd2=1232084820
http://www.gatesbbq.com/

参考文献
*The Kansas City Barbeque Society Cookbook
*The Grand Barbecue: A celebration of the history, places, personalities and techniques of Kansas City Barbecue by Doug Worgul


2. ボビー・ワトソンとカンザスシティBBQ 

Bobby Watson and Kansas City BBQ
text by Yoko Takemura

今や人気、実力共に絶好調のボビー・ワトソンは25年住んでいたニューヨークから生まれ故郷のカンザス・シティに2000年に戻り、以後この地を基盤に演奏活動、教育活動を続けている。
実はボビー・ワトソンは地元では大のBBQ好きとして知られている。彼は 「BBQは私に取って人生を謳歌する場面に必ずあった。」と言う。子供の頃からBBQは日常の物であり、マンハッタンに住んでいたときでさえアパートの27階のテラスでやっていたという。彼はニューヨークに住んでいた時、奥さんのパムと子供達と一緒に毎夏、ドライブでホームタウンに帰省していた。ドライブ途中、ワトソン一家は必ず 『ゲイツ』に立ち寄り、ビーフサンドウィッチとBBQを買い求めていたようだ。これがワトソン一家の伝統だったそうだ。

彼は現在UMKC (University Missouri of Kansas City) のミュージック・ディレクターとして教鞭もとっている。毎年夏、大学のジャズ・スタディのプログラムの一環として『George Salisbery Memorial Jazz & Barbecure Concert』というイベントを行っている。これは大学のジャズバンドのパフォーマンスとジャズを専攻する学生達のための資金集めである。
2008年暮れ、ボビー・ワトソンがBBQレストラン『ゲイツ』に敬意を表して、「Gates -Bar- B- Q- Suites」 という組曲を創ってUMKC コンサバトリー・バンドと演奏した。
『ゲイツ BBQ 』レストランのオーナー、オリー・ゲイツ氏はボビー・ワトソンの熱烈なファンで、よく演奏も聴きに行くらしい。そして学生達のサポートにも熱心だそうだ。
この組曲は、ゲイツのキャッチコピーである <May I Help You?>、ゲイツのクラシック・メニュー <Beef On Bum>、 <Heavy on the Sauce>、 オリー・ゲイツ氏に捧げた <Blues for Ollie>、ジミー・カーターやクリントン元大統領が食べた豪華でにぎやかな盛りつけのBBQにちなんだ <The President’s Tray> 、車で店に来たら1分遅く、店が閉まっていたという<One Minute Too Late>、 そして、<Wilke’s BBQ>という曲で構成されている。最後の <Wilke’s> というのはボビー・ワトソンが子供の頃、カンザスの南のメリアム・カンザスと言う街で最初にBBQを確立したボビー・ワトソンの祖父母であるジェシー&デイジー・ウィルキー夫妻に捧げた曲である。ボビーはこの組曲の構想は4年程前からあり、昨年やっと演奏披露が実現したそうだ。この組曲はこの春にUMKCコンサバトリー・バンドとレコーディングの予定はあるが、CD発売化などは未定のようだ。
CD化された時は是非紹介したい。

今回、この組曲の中の1曲でもある<Wilke’s BBQ>が収録されている『From The Heart』という2008年春にリリースされたCDを、BBQ好きのカンザス・シティのボビー・ワトソンのCDとしてとりあげた。


3.カンザス・シティの重鎮、ボビーワトソン登場

text by Nobuto Sekiguchi  関口登人

竹村さんのコラムには、たびたび食に関する楽しい、おいしい話が登場するが、人種問題にもさらりと触れていて、ただのグルメ紀行には終わっていない。それにしても、やたらコッテリ,油ギッシュで、ボリュームたっぷりなレシピを見ていると、あの軽い竹村さんが(持ち上げたことはありません)片っ端から平らげている姿を想像できません。
今回のアルバムの選定には、たまたま曲中にBBQの文字が眼に入ったからとかで、ボビー・ワトソンがBBQの外食事業に乗り出したからではないそうです。
そんなちょっと頼りない前触れから始まるワトソン<FROM THE HEART>だが、なかなかおもしろい。23歳でアート・ブレイキーに招かれ、ジャズ・メッセンジャーズに1981年まで約4年間在籍し、80年に加入したウィントン・マルサリスとともに当時沈滞気味だった (ワトソンは「バイオリズムでいえば底辺にあった」と振り返っている)グループをよみがえらせたワトソンは、フリー、フュージョンの呪縛から解かれた、緊張感あふれるメロディーラインを淀みなく繰り出すパーカーの流れを汲むスタイルで、今日に引き継がれているハードバップ・リバイバル・ムーブメントの中核に位置するようになった。
退団後は、ヨーロッパにも足を伸ばし、イタリアではREDレーベルでのレコーディングをこなしている。昨今の隆盛からは想像もつかないが、一部のレーベル(ECM、Steeple Chaseなど)をのぞくと、ヨーロピアン・ジャズのアルバムを手に入れるのはけっこうむつかしかった。こんな背景が日本での彼の過小評価の一因になっているのかもしれない。しかし今では、取り扱うディストリビューターも増え、彼のアルバムは旧譜もふくめ、大分状況は改善されて、ショップでもよく見かけるようになった。
本アルバムでは早や50代半ばを迎えたワトソンの音楽家としての熟成を感じさせてくれる。インプロヴァイザーとしてはもちろん、作・編曲家、新人を発掘するグループ・リーダーとしても成功している。また、とっつきにくいといった印象を持たれがちだが、現在のワトソンをトータルに堪能できるところが、肝である。
彼自身が6曲、ピアノのハロルド・オニールが3曲、ヴァイブのウォレン・ウルフが1曲、トランペットのレロン・トーマスが1曲の計11曲すべてがオリジナルで固められているが、キャッチーでお気楽な(1)であっさり堅苦しさとは無縁であることをうかがわせ、聞き手を誘い込んでいる。一方で彼の持ち味である鋭角的でアグレッシブなプレイはサイドメンを大いに鼓舞し、グループ・イクスプレッションとしてのサウンド作りに成功している。
ベースのカーティス・ランディ以外は新人だが(3)、(8)、(10)でのH・オニール、(5)、(7)でのW・ウルフが聞きものか。
ワトソンは近年あちこちのコンサバトリーズなどで教鞭をとっており、新人の育成に多くの時間を割いており、このアルバムはその成果の一つでもある。

kansas-18-20

 

『Bobby Watson/from the heart』
Palmetto Records PM2130 (2007)

Bobby Watson-alto sax
Leron Thomas-trumpet
Harold O’neal-piano
WarrenWolf-vibes/piano(4)
Curtis Lundy-bass
Quincy Davis-drums

01 – Wilkes BBQ
02 – Purple Flowers
03 – Deep Pockets
04 – Climbing The Stairs
05 – Aye Carumba
06 – For Milt
07 – Peace, Love, and Carrots
08 – Del Corazon
09 – Timeless

初出:2009年3月15日

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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