小野健彦のLive after Live #181~#187
text and photos by Takeo Ono 小野健彦
#181 9月5日(日)
Jazz Cafe Dining Bar Jammin’ 都立大学
http://www.jammin-meguro.sakura.ne.jp
さがゆき (vo) 山崎弘一 (b)
今日のライブの現場は、初訪問の都立大学 Jammin。東横線・都立大学駅から脚の悪い杖付きの私でも徒歩数分とアクセス利便なのはなんとも有難い。初秋の候の昼下がり、今日は、さがゆき氏(VO)と山崎弘一氏(B)のDUOによる、その名も「弦と声による室外的音楽を室内で vol.3」と銘うたれたライブ。私は特にこの「室外的音楽」の部分に強く惹かれて、今日のこの時に狙いを定めた。しかし、不思議なものだ。さがさんについては、関連するCDを何枚か聴いて来たのに、最近までついぞそのナマに触れずにいた。それが過日、町田ニカズでのとあるセットに彼女が遊びに来られ、シットインされた時に(そこには山崎氏もおられた)直接のご縁を頂くことになるのだから。その時は、お互いなんだか初対面と思えなかったのは、SNSで互いに「顔が割れていた」からもしれないが。しかし、私のLALの信条は、こうしたご縁を行動して次に繋げて行く所にある。私にとっての「ライブ」は、「行動すること」とほぼ同義な訳で、さてさてと、さがさんの近々のライブスケジュールを眺めてみると、他にも気になるギグは多くあれど、TPOと先のタイトルフレーズ、更にそのお相手が私のリハビリライバル(氏との初対面は、氏の骨折入院後の復帰ライブでその時は未だ氏も杖付だった)でもある昵懇の山崎弘一氏と来れば、収まる所に収まったのが今日という訳だ。
果たして、ステージは北米大陸〜南米大陸への安全運転のロードムービーの趣をみせた。よくもこれだけ難しそうな佳曲の数々を集めたなあと感心させられた本編は全15曲の一大音絵巻。北米の幹線道路では、スタンダード曲からの〈Sometimes Ago〉〈Stella by Starlight〉〈There Will Never Be Another You〉等を経由しながら、それらと併行してB.エバンス〈Turn Out The Stars〉M.デイビス〈Four〉O.ネルソン〈Stolen Moments〉等が走り、インターチェンジではS&GのP.サイモン〈Old Friends〉までが待ち構えている。そうして一路が南米大陸に入ると、真打のブラジル物が多く顔を出すが、王道のA.C.ジョビン、I.リンス、D.カイミ、V.モレイラ作品に加えて、これまで私は余りナマの舞台で聴くことのなかったC.ブアルキ作品等を通過して行く。それらは、このコンビにかかるといずれもが濃厚なジャズのサウンドを纏うのだから堪らない。そのようにして室内には、このおふたりの音学的な趣味の良さと広さ・深さを強く感じさせられるひとときが緩やかに流れて行った。こちらのおふたり、ダイナミクスのバイブレーションがピッタリで、山崎氏の深い呼吸にさがさんの独創的なアタックが如何にも気持ち良さそうに重なりながらサウンドが動いて行く。
次第にこちら聴き人も自然とそのサウンドに安心して身を任せていかれるという、精神的に解き放たれる状態が創り出されて行くという仕掛けになっているところが、「室外的音楽」と名付けられた由縁とみた。少し肌寒さも感じられるようになったこの時節にあって、この空間だけは密やかに紡がれた薄陽さすかの如くの心あたたまるひととき。堪能させて頂きました。
最後に、インターバルでさがさんと雑談をしていて、「最近、比較的小さな編成が多くて、また、ドラム入りのバンドなんかもやってみたいなあ」とのお話を伺ったり、「私、M.サリバンの追っかけだったの」なんて話を聴いたからだろう、充実の本編に続けて届けられたアンコールの〈I’ll Never Been In Love Before〉で見せた彼女のスウィンガー振りに、この表現者の底知れぬ創造の翼を垣間見た思いがし、是非とも、オーソドックスなジャズ編成のセットが実現する日を期待したいという気を強くして、夕暮れ前にハコを後にした。
#182 9月6日(月)
豊洲シビックセンターホール(豊洲文化センター)
https://www.kcf.or.jp/toyosu/
高橋アキ「ピアノリサイタル2021」
肌寒さも増した今宵のライブはクラシック。高橋アキ氏の「ピアノリサイタル2021」だ。
ライブの現場は、豊洲シビックセンターホール。ゆりかもめ・豊洲駅から直結した豊洲文化センター(設計:日建設計)5Fに位置する、レインボーブリッジ方面の湾岸部を借景として取り入れたなんともスッキリとした味わいの空間で、この世情を考慮した最大150名限定(定員:304名)にての開催。
私にとってアキさんのナマは、ジャズクラブ・横浜エアジン公演、建築設計事務所・アクト環境計画サロンコンサートに続いて3回目。初の所謂コンサートホールでの公演に、その広い空間をどう掌握しながらサウンドを組み立てて行くのかにも大きな期待を持ってのご対面となった。
今日のプログラムの詳細は、添付の公演フライヤーを参照頂くとして(一部変更有)、後述の便宜上その作曲者達の名前等を列挙すると、以下の通りとなる。( )内は生誕/活動国 告知曲以外は〈 〉で追記。
I部:①J.Sバッハ(独)②F.シューベルト(墺)
II部:③小杉武久(日)④石田秀実(日)⑤I.クセナキス(羅)→【変更】武満徹(日)〈閉じた眼 I〉⑥同左〈武満氏編曲(レノン&マッカートニー作品)ゴールデンスランパー〉
⑦【アンコール】:J.ケージ(米)〈ノクターン〉⑧【ダブルアンコール】:E.サティ(仏)〈ジムノペティ第一番〉
そうして更に、各々の活動年をみてみると大まかに、①の1700年前後から③④⑥の2000年前後と長きに亘る時代・地勢的背景を持った多彩なプログラム構成。
さて、肝心のライブである。
今宵、アキさんのピアノに耳を傾けながら、私はふと、「兼高かおる世界の旅」を思い浮かべてしまった。そう、ご存知、TBS系日曜日朝の名物として、実に30年の長きに亘り私達を様々な地平へと誘ってくれたあの帯番組である。当時の朧げな記憶を辿ると、あの番組の醍醐味は、兼高氏の独特な語り口による解説を伴ったおおらかな紀行記としての性格と、其々の国の歴史・風土から風俗・精神性にまで鋭く切り込みそれらを鮮やかに浮き彫りにした力強い説得力を持った社会派報道記としての性格両面の構成のバランスの妙にあった様に思う。
今日のアキさんの演奏もまさにそれと似て、時空を超え、異なる曲想を携えた佳曲達のタペストリーをもって、我々を壮大な音絵巻へと緩やかに誘いながら(探究と紹介の行程=紀行記)その実、迷うことなく素直に各々の曲の芯と対峙し、そのエッセンスを慎重に吟味咀嚼した上で、それを具現化させ迫力をもって我々聴き人の眼前に提示する(分析と批評の工程=報道記)という所作が繰り返された。そこでは何よりも全体構成が破綻しないよう、各々の楽曲どうしの均衡を保つことに細心の注意を払っておられるように私には強く感じられた。そうして立ち上がる音像のコントロールは実に申し分のないものだった。広いこの空間の別々の場所に在って、アキさんと私は同じ音圧を感じていられる。会場内が均一にアキさんの穏やかな心と強靭なタッチで満たされて行く。そんなことも強く印象に残ったトータル約2時間の充実過ぎる旅路だった。しかし、相当数のツーリストをコンダクトしつつ、一夜でこれだけの時空を駆け巡らんとするのだから、アキさんも随分と欲張りなお方だ。でも、一曲一曲が粒立って、決して埋没することなく、全体のツアーとして一切の消化不良を起こさせないところは、流石、世界に誇るエンタテイナーの面目躍如といったところだった。
終始、私がこの方の最大の魅力だといつも感じている「お行儀の良すぎない」、それはまるで思索の森を彷徨っているかの如くの(勿論良い意味で)ラフな音創りを存分に味わうことの出来た実に聴き応えのある素敵なひとときだった。
最後に、そんな氏の持つある種型破りな指向の一面が出現した場面をご紹介しよう。第二部冒頭の小杉武久作品〈インターセクション-ピアノと電子システムのために-〉では、会場内のガラス部全てにカーテンをひき、場内を完全に暗転させた後、灯りは頭上からの裸電球のみとした上で、それに反応する鍵盤上のソーラーパネルと連携するイコライザーとミキサーを介した舞台左右のスピーカーから電子音を流し続け、アキさんはその波間で訥々とピアノを弾いて行く、それがやがて佳境を迎えると、十指は鍵盤を離れがちになり、(ソーラーパネルの電子音とピアノの音の掛け合いを楽しむかの様に裸電球の光を手で遮ったり、パネルの位置を変えたりしながら)左右の腕が舞踏の様な動きを見せ始める。もはや暗闇の中のマリオネットと化したアキさんの表現したものは、地球を離れた銀河系を探索するドラマとして私には映った。こんな悪戯心に溢れた「高橋アキ宇宙の旅」に迄誘ってくれるのだから、私の足はまたアキさんの音創りの現場に向いてしまうことだろう。
#183 9月7日(火)
jazz & gallery なってるハウス 合羽橋
http://www.knuttelhouse.com
TRY-ANGLE:山崎比呂志 (ds) 井野信義 (b) 早坂紗知 (as.ss, 笛)
合羽橋・なってるハウスに登場した山崎比呂志氏(DS)と井野信義氏(B)によるTRY-ANGLEが今宵迎えたゲストは、早坂紗知氏(AS/SS/笛)。
紗知さんは、井野さんとは共演歴があるものの、山崎さんとは今宵が初顔合わせ。実際の所、この共演実現の報に触れてから、私の期待感は日増しに高まるばかりだった。その期待とは、私にとってはほぼ初めてとなる紗知さんのフリーフォームサウンドが TRY-ANGLEと出会いどんな化学反応を起こすかにあったのではない。
私の期待は、紗知さんの根っこにあるオーソドックスなジャズのイディオムに山崎・井野両氏がどう触発されTRY-ANGLEの産み出す新たなる地平に出逢えるかと言う一点に尽きた。果たして、2セット、各々約30分で完結に纏めあげられたステージを通して、私の期待は、幸いにも的中することとなった。紗知さんはアルトの他に、ソプラノ、更には縦笛までを駆使したが、特にソプラノを手にした場面でTRY-ANGLEを私には未知の方向へと駆り立てた。1stセット、ドラムとベースによる静かな導入部に、アルトの抽象的な撥音の層を重ねながら応える紗知さん。そうして三者は次第にごく自然とフリーフォームに転じて行くが、その途中で訪れた一瞬の静まりを巧みに捉えてソプラノにスイッチした途端、ドラムとベースは同時に4ビートのブルースを繰り出した。まあ、そのタッチのしなやかなこと!これが、今宵最初の山場だった。そうして短いインターバルの後開始された2ndセット、牧歌的なトーンの縦笛でスタートした沙知さんに対して、山崎さんも太鼓を中心に合わせ原始的なムードを増福させる、更にアルトにスイッチした紗知さんに井野さんが弓で加わり幽玄なフリーフォームを経由したところで、紗知さんがソプラノを手にアルトとのダブルサックスに突入し、メロディアスなトーンの抑制から咆哮へのループを描きつつブルージーでアフリカンムードのサウンドを繰り出すとなんと山崎さんはタイトな8ビートを叩き出して場にイカしたグルーヴを呼び込みにかかった。これが、当夜ニ度目の山場と言えた。そうして最終局面に至り紗知さんのアルトが殆ど解体されかけたメロディアスなラインを辿りながら火を吹くと、ベースとドラムも強靭なアタックでそこに猛々しい風を送りつけて行った。すると三つ巴の炎は更に燃え盛りながら、構築と解体の剣ヶ峰を猛スピードで進んで行き、その完全燃焼モードが一転急速冷却モードに変容し、最後はなだらかな陵を下って、その鮮烈を極めた時が静かに終わりを告げた。
ステージを降りた山崎さんが私に耳打ちして来た。「タイム感」。その意味は、長年の鍛錬で身体に叩き込まれている音の感じ方(オーソドックスなジャズの往き方)を紗知さんと共有出来たという風に私は解釈した。山崎さんの横顔には、齢81歳にして、新たなる卓越した表現者と出逢えた歓びが満ち溢れていたのがなんとも印象的だった。
最後に、過日、とある話題から派生した音楽談義の中で山崎さんが発した印象的な言葉を開陳したいと思う。
「現代音楽、ジャズ、フリー、音を分ける必要無し。音は音。求めているのは生きた音」
今宵は、新たなる同志を得て、「生きた音」が横溢する場を共有出来た稀有な夜だった。
#184 9月9日(木)
Jazz & Booze ストリービル 茅ヶ崎
http://www.jazz-storyville.com
秋山一将 (g) 金澤英明 (b)
今宵のライブの現場は、少しくお久しぶりの茅ヶ崎・ストリービル。
杖付きで傘のさせない私でも、この方々の登場とあっては恨めしい雨もなんのその、伺わない手はない。何せ、タクシーを駆れば約20分の近さの隣町に、秋山一将氏(G)と金澤英明氏(B)のDUOがやって来るのだから。
共に、同所は二回目の登場となるおふたり。
かの巌流島の武蔵は、約束から2時間遅れて小次郎の前に現れたというが、今宵のおふたりは、ほぼ定刻の18時5分には互いの相棒を抱いて相対峙した。ふたり居並ぶその絵面からして、既に豊潤な音が聴こえて来るようだ。
その存在感が音を醸し、その音が存在感を際立たせる。短いブレイクを挟んだ約2時間のステージ、快調なミディアムテンポの〈Long Ago and Far Away〉と続くバラード仕立ての〈How Insensitive〉で幕開けし、途中ラフなBフラットのブルース等を経由して、最近の秋山さんボーカルの定番〈In The Wee Small Hours Of The Morning〉で締めた1st Set。ブレイクの間に私がリクエストさせて頂いた秋山さんオリジナル〈Themselves〉を皮切りに、同じく秋山さんオリジナル〈かえるカエルかえる〉等を経由して、これは嬉しい選曲だった、C.ヘイデン作〈Our Spanish Love Song〉まで飛び出した2nd Set。終始どこまでも泰然とした佇まいのお二人の音創りにこちら聴き人は静かにただ圧倒され通すこととなる。16(秋山氏:10指+6弦)× 14(金澤氏:10指+4弦)と限られた宇宙の中で紡がれる馥郁たるサウンドの流れが、瀬を早み滔々と流れて行った。音楽に対する深く大きな世界観のぶつかり合い。次第に私の眼前で、ふたりの音は見事なまでに同化しながら溶け合い、その存在はひとつの像を結んで行く。DUOという様式の最良形をまざまざと見せつけられた思いを強くした湘南の隠れ家での充実の夜だった。
#185 9月10日(金)
Jazz Coffee & Whisky ニカズ 町田
http://nicas.html.xdomain.jp
THE BON BONES:上杉優 (tb,vo) 駒野逸美 (tb) 佐久間優子 (p)吉田豊 (b) 安藤正則 (ds)
今宵、町田ニカズに登場したのは、双頭トロンボーンQUINTET:THE BON BONES。
上杉優氏(Tb/VO)と駒野逸美氏(Tb)のフロントを支えるのは、佐久間優子氏(P)吉田豊氏(B)安藤正則氏(DS)〈私はお初〉の面々。
私は、上杉氏、駒野氏は共に個別の表現活動に触れたことはあったが、来年結成10周年を迎える入魂のこのバンドでのご対面は今夜が初となった。
まろみのある豊かな音色と確かな技術に裏打ちされた安定した音程のコントロールによるハーモニーの心地良さは予想に違わなかったが、そこに更に如何にも伸びやかで推進力のある手堅いトリオのバックアップを得て、スパイスの効いた捻りのあるフレーズの切れが加わり、締まりのあるバンドサウンドが生まれて行く瞬間に何度も唸らされることとなった。プログラム全体を見まわしても、アンコールを含め全10曲中半分にオリジナル曲〈駒野作4曲、上杉作1曲〉を持ってくる意欲的なもので、また〈DINDI〉では上杉氏のボーカルをフューチャーしたり(他にも数曲のインストブラジル物あり)、各ステージで1曲ずつクインテット編成を解きカルテット編成で場面の転換を図るなど、一夜のショーの構成にも聴き人を飽きさせない工夫が垣間見えた点は、おおいに好感の持てるものだった。その主張の輪郭も鮮明なこのバンドが次に目指す方向には何とも興味が尽きない。
#186 9月 17日(金)
Jazz Spot ドルフィー 横浜・野毛・ドルフィー
https://dolphy-jazzspot.com
友部正人 (vo, g, hmc) 板橋文夫 (p)
嵐(台風14号)の前の静けさの中、滑り込んだ今宵のライブの現場は、横浜・野毛・ドルフィー。
ほぼ定刻の18:15。まるで微風のようにフッとステージに現れたのは、(フォーク)シンガー&ソングライターの友部正人氏(VO/G/HMC)だ。
しかし、今宵の相方は一向に続いて登場の気配がない。その舞台裏を明かせば、その時、その共演者は、道中で落とした財布を探して野毛の街を彷徨っていたのである。その人こそ誰あろう板橋文夫氏(P)だ。結局、1stステージ中、板橋氏の帰還は叶わず、友部氏が〈こわれてしまった一日〉などを交えながら、全6曲40分をひとりで弾き唄い切った。ギターを優しく爪弾きながら届けられた比較的穏やかな楽曲達からは、自らの内に向かう閉じられた世界観ではなく、自らの外に向けられた伸びやかに解き放たれる世界観を色濃く感じることが出来た。
中でも私にとって印象的だったのは、人称代名詞の扱い方の巧みさだった。「I」については、「僕」が多く顔を出したが、「私」もあったし、一方で「YOU」については、「君・貴方・お前」等が、独白と、仮想のやり取りの中で会話・風景・心象等を切り取る場面で適材適所に設えられかつ、それらが効果的に’活きる’メロディに乗せられ吟じられるその様に、この詩人の洞察力の深さをまざまざと見せつけられることとなった。しかし、それらを含めた日本語の連なりは、恐らく充分に選び抜かれたものであるとしても、こちら聴き人に伝わるその語り口は、決して堅苦しく窮屈な印象を与えないのは、それこそ稀代の表現者たる所以なのだろうと強く感じられた。
そうこうして居る内にあっという間に1stステージの最終曲が終わりを迎えた時、遂に店内後方のドアーが開いた。息を切らした板橋氏の登場だ。皆の視線を一身に浴びて、氏曰く「無い!でも、警察には届けた。後は運を天に任す!」この劇的な筋書きを受けた約10分間の休憩の後、2ndステージの幕開けは、板橋氏の名曲〈For You〉のピアノソロから。
パーカッシブかつ抒情的な深い呼吸のサウンドにこの時を待ち焦がれた客席からため息が漏れたのはいうまでもない。続いて、いよいよDUOのステージ。友部氏の代表曲〈私の踊り子〉でスタートし、〈夜は言葉〉〈遠来〉等を経由したこれがまた圧巻の全6曲40分。板橋氏のピアノ全体をフルに鳴らしながらの雄大なスケールのサウンドに出会い、友部氏のギターストロークと唄声の熱量も増福の一途を辿って行く。そんなふたりの郷愁の質感のシンクロナイズに圧倒され尽くしたところで、今宵の本編に幕がおろされた。満場のアンコールに応えた友部氏の〈夕日は昇る〉では、「こんど君にいつ会える」のフレーズで板橋氏の唄声も加わり、感動的なフィナーレをつくって行った。しかし、こちらのDUO、同所で2000年代前半からスタートし、ほぼ年一回のペースでその協働作業を進めて来たそうだが、今宵は約3年振りのリユニオンという。是非、早期の再演を期待したい。
#187 9月 23日(木)
Live Cafe 新子安・しぇりる
http://barsheryl.com
高田ひろ子 (p-solo)
今日は、高田ひろ子氏のソロピアノを聴きに、新子安・しぇりるにやって来た。
LALを続けていると、思いがけず得難いご縁が繋がる場面に出くわすことがある。
時には、私自身がその奇妙な仲介役になったりするのだから、分からない。今日も、謂わばそんな思いがけない一日だった。
以下では、冒頭からいきなり話がだいぶ逸れるが、今日のライブの徒然記は少な目に、最近私が出くわした「麗しき音」は惹かれあうというエピソードも交えながら話を進めてみたい。それはとりも直さず今日の昼下りへのプロローグになるからだ。
事の発端は、過日9/6、私がピアニスト・高橋アキ氏のリサイタル (本号#182) に伺った時のこと、最高列通路脇に陣取り開演を待ちながら、ふと前列右前に現れた黒マスクの女性と目があって互いにおおいに驚いた。「黒マスクの女」の正体は、高田ひろ子さんだった。お聞きすると、前日の高崎ライブの後一泊し、翌日どうしてもアキさんのピアノが聴きたくて電車をいくつも乗り継ぎ駆けつけて来たという。なんたる好奇心と行動力!実はこの流れには伏線があり、遡る8月に開催された第41回草津国際アカデミー&フェスティバルにおける「武満徹生誕90年」献奏DAYにひろ子さんとアキさんは同じ舞台に立ち、互いの音に惹かれあったことがおふたりのFacebook上からもありありと窺えたのである。一方で私はと言えば、アキさんリサイタルの際はコロナ対策もあり、アキさんに直接ご挨拶することは叶わなかったため、事前に作戦会議をしたところ、アキさんから「日を改めてジャズの現場ででもお逢いしませんか?」という思いがけずの有難いご提案を頂いたため、喜び勇んで、一も二もなく、今日のひろ子さんライブを案出しすると、アキさん曰く「ひろ子さんのピアノは一度じっくりお聴きしたかったので是非に」ということで、ひろ子さんには内緒の訪問が実現したのが今日という訳だった。時間軸を追えば、この作戦会議は9/6直前だったため、アキさんリサイタルでいきなり目の前にサプライズの相手と出くわして私はひとりドギマギしたと言う訳である。
さて、ここからが本題の今日のライブ。
果たして、サプライズの場としては、秋の休日の昼下り、陽の光差し込む落ち着いた雰囲気のしぇりるは絶好の場所と言えた。
「世界のアキさん」が客席にいらっしゃるという緊張感も良い方向に働いたと思う。
1stセットは、前夜の中秋の名月から想を得ての月/星に因んだ佳曲が中心に並ぶ。それらは即ち〈Turn Out The Stars〉〈Moonlight In Bermont〉〈 Moon River〉等など。(他にも〈Luiza〉〈H.シルバーLonely Woman〉を交えて)
続く2ndセットでは、ブレイク中のアキさんからのリクエスト「貴方のオリジナルも聴きたいわ」に応える格好でのひろ子さんオリジナル、〈青紫陽花〉〈Es Muss Sein〉〈Round And Round〉〈赤紫陽花〉等などが披露された。
(他にも〈Little Girl Blue〉や〈Ladies In Mercedes〉を交えて)
しかし、ひろ子さんの後ろ姿を眺めていて、我ながら大それたサプライズを仕掛けておきながら、実は私がひろ子さんのナマをお聴きするのは、今日が僅か3回目だということをはたと思い出してそれでもこれ迄に強く印象に残っていた、十分に吟味の上採用される趣味の良い選曲とそれらを最良の形で供するための豊かなハーモニーのアイデア及び十指無駄なく紡がれるトーンの強靱さと柔らかさの巧みなバランス等は、今日のステージからも色濃くみてとれた。所謂ジャズフィールドの表現者との共演も多く、ジャズを主としたハコへの登場も多いひろ子さんであるが、その凡そジャズピアニストというには似つかわしくない風情は、バッハ、シューベルト等から、サティを経由して、ケージ、武満、更にはビートルズ迄をもその手中に収める間口の広い表現者として、(誤解を恐れずに言えば)唯、クラシックフィールドには収まりきらないピアニストのアキさんの横顔とどこか類似点があるような気もしていたのは確か。そんなおふたりの互いに強く惹かれ会うピアノ弾きが、舞台と客席に分かれて同じ時をエンジョイしているという事実を傍から見てほくそ笑んでしまったと書いたらいささか悪趣味だろうか?
それでも、「こんな大それたサプライズを9/6に匂わさないとはひどい!」とのお叱りを覚悟していた私に対して、ひろ子さんが終始寛容であったのには救われた。
「麗しき音」が時空を超えて確実に惹かれあった得難きひとときだった。
志高き表現者の飽くなき旺盛な好奇心と行動力にも感銘を受けた長月に起きたエピソードの連なり。