小野健彦のLive after Live #395~#400
text & photos: Takehiko Ono 小野健彦
#395 2月24日(土)
合羽橋・なってるハウス
https://knuttelhouse.com/
原田依幸 (p) 瀬尾高志 (b)
この時期に及んでの今年の「初め」が重なった今宵、お馴染みの合羽橋なってるハウス〈今年初!〉にてお馴染みの原田依幸氏〈今年初!〉のDUOシリーズを聴いた。
原田依幸(P)瀬尾高志(B)
果たして、限られた時間の内に自らの主張を生々しく吐露し合った感のあるおふたりの交歓は、其々に秀でた発想力×表現力×瞬発力の軌跡を鮮やかに描きつつ、その先に立ち現れた匂い立つようなロマンティシズムとエロティシズムを内に潜ませたしなやかなダイナミズムに帰結した点において、私がフリーフオーム・ミュージックに望む劇的衝動を凌駕する簡潔さに富み、その在り様がこちら聴き人のハートと静かに共鳴し、私はおおいなるカタルシスを味わうこととなった。
#396 2月25日(日)
東中野・セロニアス
https://thelonious-hp.jimdofree.com/
森田修史 (ts) 吉木稔 (b)
先週末の三連荘に引き続き、文字通りのLALとなったこの週末。四連荘の最終日は、’19/8/30以来久し振りの訪問となった東中野・セロニアスにて、待望のDUOを聴いた。
森田修史(TS)吉木稔(B)
先ずは、ご亭主の都志子ママと看板娘のあだまちゃんとの久々の再会も嬉しいところ。一方で、実は今日の演者のおふたりとは、このハコがまだ東中野の駅近くにあった頃、既に5〜6年前のことになろうか、まさに同所にて初めてご縁を頂いて以来の間柄でもあり、その頃の想い出話等に花を咲かせつつ開幕の時を待った。
果たして、たっぷりとしたテンポに乗せた馥郁たる音の連なりの中に大きな世界観を描いたJ. マクラフリン作〈a lotus on irish streams〉で幕開けした今日のステージは、其々のオリジナルを数曲挟みながら、スタンダード曲に加え不朽のB.ストレイホーン、T.モンク、A..C..ジョビン、C.パーカー等の佳作を織り成しつつ、満場のアンコールに応えた、実は私と吉木さんとの絆ともいえる〈malaika〉(詳細後述※)に至る迄バランスの良い曲想を取り揃えた、サイズ的にも、展開面でも申し分のないものであり、改めておふたりの構成力の巧みさを認識させられる内容となった。共に今やシーンの中核にあって、脂の乗り切った好調振りを窺わせながら緩急の自在に亘り緊密さと柔軟さを見せつけてくれた今日のふたりの音創りに接し、両者は今後も共に響き合い、高め合いながら表現者として更なる深化を遂げてゆくであろう、その道程がおおいに気になる名コンビだとの確信を得た。生憎の雨模様となった日曜昼下がりのひとときではあったが、杖付で傘のさせない私にとって、心折れずに行動した後に訪れた実に価値のある現場となった。
※尚、因みにスワヒリ語で「天使」を意味するアフリカ歌謡〈malaika〉は、私のフェイバリット・チューンのひとつであり、’13 ジャカルタの地で脳梗塞に倒れた後、帰国後の入院中に友人から「お前の好きなマライカをベースソロで演っている奴が居るぞ」と紹介された吉木さんの「ONE+」盤に収録されており、傷心の私はベッドに独り居てその演奏から大いなる救いを受けたという経緯があったことを付け加えておこう。
#397 3月1日(金)
合羽橋・なってるハウス
https://knuttelhouse.com/
CHALLENGE:山崎比呂志 (ds) 中村豊 (p/ピアニカ)近藤直司 (bs/ss/ts)
今宵、@(一週間振りの)合羽橋なってるハウス。この時期に及び、遅まきながら年明け初めて、我が「ジャズ界の親父」たる山崎比呂志氏の現場を訪問した。新ユニット:『CHALLENGE』である。
山崎比呂志(DS)中村豊(P/ピアニカ)近藤直司(BS/SS/TS)
先ずは、今月末28日に御歳84才を迎えられる、依然として革新の歩を止めない表現者たる山崎氏の「挑戦」に心踊った。更に、’23/8 以降その山﨑さんとは、DUOに、今宵のTRIOにと協働の道程を重ねた中村氏がSNSで述べた前口上「ある程度方向性を決めてやりたいということで、今回曲も作りました」に心惹かれた。果たして、披露された音創りはフリーフォームと「曲」(と言っても実質的には数小節のパラグラフであった)が切れ目なく混在したが、特に後者の構造は各人がメロディの内と外を行き来しながら拡散した不可視な音塊を確たるサウンドの音像へと可視化する方向性を持つものであり、そこでは「曲」は単になぞられる物としてではなく、三者がそこに寄り添い内なる衝動をユニットとして纏まりを持ちつつ集約させ得る「きっかけ」として機能する装置として有効に作用したと感じられた。ステージ全般に亘り、点在したモチーフを巡る発展→解体→再構築の各フェーズにおいて、扇の要たる山崎氏のDIRECTIONは時にパーカッション的なアプローチにより場に彩りをもたらしつついかなる局面においても示唆に富むものだった。そのリズム・マネジメントはベースレスの編成にあって終始緩急の自在に亘り万全強固な立ち上がりを見せ、そのしなやか且つ盤石な基礎の上で、受けた中村・近藤両氏によるサウンドの拡張のさせ方も好ましいものだった。メロディに端を発した「離散と集積」の過程に見せた其々がフリーフォーム・ミュージックの表現者としての矜持をベースに落ち着きのあるオーソドックスなジャズのイディオムをほのかにブレンドさせた今宵の音創りは「一所に帰結しそうで易々とは帰結しない」予測困難な面白みを随所に感じさせる部分があり、まさに「CHALLENGE」の名に相応しい山崎氏の音創りにおける新たな胎動を強く感じさせられるものだったと言える。
聞けば山崎氏、近年の活動の主軸としている、盟友井野信義氏との「TRY ANGLE」に加え数々の新たなる興味深い手合わせも控えているという。これは氏の今後の動向には、益々眼が離せそうにないようだ。
#398 3月7日(木)
祐天寺・「FJ’s」
http://fjslive.com
「花鳥風月」:カルメン・マキ(唄、語り、鳴り物)Falcon(生G、多種effects)佐藤正治(打楽器、声)
初訪問の祐天寺「Fj’s」にて、カルメン・マキさんを中心としたユニット「花鳥風月」を聴いた。カルメン・マキ(唄、語り、鳴り物)Falcon(生G、多種effects)佐藤正治(打楽器、声)
先ずは「FJ’s」について、’10/11 惜しまれつ64歳の若さで逝去された作・編曲家・鍵盤奏者の深町純氏が「大人のための文化的空間、且つ良質な音楽の発信基地」を目指し’06/12 に創設されたサロン形式のライブハウスである。
一方で「花鳥風月」について、現在「デラシネバンド」「憂国旅団」を始め各種のユニットを同時推進中のマキさんにとって、旧知の間柄ながら’24/2正式にユニット名を付けて船出をした比較的新しい協働体であり、其々に、花=マキ、鳥=マサ、風=ファルコン、そうして月=聴き手を想定し、その月の満ち欠けの具合でその日その刻における音創りの在り様も移ろひ行くという、なかなかにチャレンジングな企てと言えた。中でも、私にとってはマサさんはお初であり、「タイコにはうるさい」マキさんとの絡みに大きく期待も膨らむ中、定刻20時にステージの幕が開いた。果たして其々に「戯曲」の趣きを見せた朗読物と唄物は合わせて15編余りに及んだが、中でも今宵私の印象に特に残ったのは、その内の約1/3を占めた朗読物〈寺山、萩原、水城等々〉における音の創り方であった。それらの多くでは、マキさんの紡ぐコトノハの、時に少し先を行く様に、時に寄り添う様に、あるいは下から支える様に連ねた男衆の音の流れは、なんとも意外なことにインプロ/フリーフォームの色彩を帯びて行ったのだった。しかし、この解放されたスペースの取り方が逆にマキさんの言葉に力強さを与え一言一言の重みをより際立たせて行ったと私には強く感じられた。其々のテキストの骨格がしっかりとしているからこそ、規則正しいリズムでない今宵聴かれた様な不定形な音の流れの中にあってコトバがより鮮明に立ち上がりこちら聴く側に伝わり来たという印象を受けた。そうして更に言えば、そんな朗読物に挟まれたからこそテンポを伴った唄物も余計に「映えた」という気がする。「少年」も「月夜のランデブー」も「星めぐりの歌」も、そうして音数も多くかなりの激しさをみせた「NORD-北へ-」や「世界の果ての旅」も物皆全て極めて説得力のある端正な響きを纏いつつ客席の隅々を覆った感が強い。朗読と唄とが無理なく補完し合い切れ目なく流れ行く今宵の淀み無き構成に2024年リアルタイムのマキさんの生々しいロックを感じ取ったのは果たして私だけであっただろうか?再会の夜に浮かぶは新月か、満月か。移ろひ行く季節の中で(恐らく今宵とは往き方も肌触りも全く異なるであろう)その時空こその音の共鳴を楽しみに待ちたいユニットとの嬉しい出逢いのひとときだった。
#399 3月8日(金)
西荻窪・アケタ
http://www.aketa.org/
小山彰太(ds/鳴り物) 原田依幸 (p)
2/24に目出たく開店50周年を迎えられた店にて、実に十数年振りの邂逅となった至高のDUOを聴いた。 小山彰太(DS/鳴り物) 原田依幸(P)
本公演は、現在北海道在である彰太さんの『2024″ 春”喜寿記念ライブ”それがどうした、てゃんでぃー!”ツアー』第一弾お江戸詣での旅の一貫をなすものであり、この垂涎の組み合わせを一目見ようと決して広くはない店内に数多くの熱心な聴衆が詰め掛ける中ステージの幕が切って落とされた。果たして、稀代の表現者たるお二人は、持ち前のメロディスト振りを遺憾無く発揮しつつ終始テンションの高さを維持しながら満場の客席の耳目を捕らえ続けて行った。
依さんの透徹の微弱音を彰太さんがスネアにハンド・ドラミングで受け静かに入った1stセット。ふたり相次ぎ登場した後、彰太さんが椅子に腰掛ける暇もなく出会い頭に繰り出した依さんの炸裂音を彰太さんがスネアの上に裏返したシンバルで受けいきなりのトップ・スピードで疾走した2ndセット。其々に導入部の佇まいは異なったが、その後の展開は同様に互いの気の畝りと呼応するかのように音場の熱量は変幻自在に劇的な昂まりを見せて行った。しかし、そこは互いの呼吸感の間合いを知り尽くした間柄、激情は決して破綻に陥ることなく、あくまでも十分に律せられた抑制の中に鮮やかな音像を結んだ点は、流石熟達者の仕業と言えた。互いの往き方からは、生まれ行く一音たりとも疎かにしないという意気を強く感じさせられたが、一方でそこにはどこかリラックスした表情も窺えられ、その絶妙な力の入れ方の匙加減が、切れ味鋭く高密度でスピード感に満ち溢れた音の連なりの中に清冽な生気を宿したという印象が強い。更に加えて、鮮烈な音の流れの中に度々立ち現れた美し過ぎるメロディの数々も今宵の印象的な場面として特筆すべきであろう。まあいずれにせよ兎にも角にも、こちら聴き人に息つく暇も与えない清々しいまでの気風の良さが際立った稀有な現場だったと今改めて振り返り強く感じている。
#400 3月16日(土)
下北沢・LADY JANE
https://bigtory.jp/
「アナザー「TRY ANGLE」:山崎比呂志(ds)瀬尾高志(b)類家心平(tp)
下北沢LADY JANEにて「アナザーTRYANGLE」を聴いた。
山崎比呂志(DS)瀬尾高志(B)類家心平(TP)
“Another” である。2024年、7回目の歳男を迎えるジャズ界の我がオヤジが「TRY ANGLE」を軸に更に新たなる音創りの地平に踏み出そうとしていることは別稿でも述べたが、その熱い想いに瀬尾氏が応え、山崎さんとは初顔合わせとなる類家氏を招集し手合わせの場を設えたというのが事の次第である。果たして、決して広いとは言えない店内の更に限られたスペースに、どんなセッティングをしようかと思いあぐねていた山崎さんであるが、今宵は、いつもの通りのフルセット(中には例の三菱製トラックタイヤ・ホイールキャップも含む)を持ち込んだことからも、この夜に賭ける氏の並々ならぬ強い意志が感じられた。まあそれはそうとして、今宵私の眼前には、劇的なダイナミクスの振幅の内に、自らの想いの丈を鮮やかに描き切った世代を超え屹立する気高き表現者達の姿があった。そこには緩急の流れに潜む予測不能な音までも敏感にキャッチし、まさにその音が聴こえ来た瞬間を逃さずに自らの内に取り込み、瞬時に咀嚼し転形させ再び音場に放つことで更なる能動的な音創りへと繋げようとするフリーフォーム・ミュージックの旨味が凝縮されていたように思う。そこでは、受動的な態度は片時も許されないというこの道で長年培って来た先人たる山崎さんの意気が兎に角凄まじかった。静寂を慎重に律し、激烈を鮮やかに支配したいかなる局面においても力まずして自然体でドラムセットを鳴らし切るその姿に清々しい一服の清涼感を得た想いが強い。そんな敢然として立ちはだかる魂の音旅人の前に在って、瀬尾・類家両氏もその懐に果敢に切り込み喰らい付いて行った。そこにはワンタイム・パフォーマンスがともすると陥りがちな独りよがりの瞬間は皆無だった。それ程までに三者は無理の無い軌跡を描いた大きなサウンドの流れの中に産まれ行く活きた音の中で見事に溶け合った。だからこそ、ハコ全体がめらめらと静かに「揺らいだ」のだと確信する。この不確実な時代にあって、不確定な音の連なりが私の精神と肉体を快癒させてくれた。こういう現場を共有出来る悦びは何物にも代え難い。フリージャズ=難解なものと解釈されている向きは私の周囲に少なくない。しかし、考えてみれば、「フリージャズ」なんて所詮どこかの誰かが名付けた一つのジャンル?/カテゴリー?に過ぎない。かく言う私もそれこそ何度となく触れて来た山崎さんの音を一概に「フリージャズ」とは捉えていない。そんなことを頭で考えた途端、音は私の掌の間から溢れ落ちて行くことだろう。肝要なのは、そこに解き放たれた活きた瞬間があるかであり、私にとってのライブがいつもそうであるように、自ら行動し、その現場に真っ新な身を晒しそこで何かを感じ、それをその後の営みにどう活かしていけるかだと思う。さて、以上大風呂敷を広げいささか気障な物言いをしてしまったが、それもこの文章が「ライター」でもないひとりの聴き人の私にとってライブレポを書きなぐり始めてから約四年半、(コロナ禍をくぐり抜けながらも)通算400本を数える区切りの作文となった由。これまでお付き合い頂いた方々には最大限の謝辞を以て本稿を閉じたいと思う。が、最後に、本日の私のラストショットは「マティーニ」 。飛び切りキレのある今宵のサウンドにはそれはたいそうお似合いの一杯となりました。