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Live Evil 稲岡邦弥No. 237

Live Evil # 30「第1回全国大学ジャズ・コンテスト」

2017年12月9日(土)
新宿 Someday

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
写真提供:日本学生ジャズ連盟

 

話は十数年前に遡る。
ブラジルのギタリスト、トニーニョ・オルタのマネジャーとして来日したデイヴィッド・バレル(ジャズ・ギタリスト、ケニー・バレルの息子)からとても興味のある提案があった。日本にもアメリカにあるようなカレッジ・サーキットを組織しないか。例えば、ケニー・バレルのようなギタリストが東京のジャズ・クラブに2、3夜出演するだけのために高い航空運賃を払って往復するのはあまりにももったいない。カレッジ・サーキットがあれば、学生料金でコンサートを開き、ワークショップでカレッジバンドと合奏し、学生たちと触れ合える。東京のクラブに聴きに来られるお客さんは極く限られている。学生は無理だよね。学生にこそいいジャズを聴かせ、カレッジバンドにはジャズ・スピリットを伝えたい。そうやって次に続く世代を育てないとジャズは衰退する一方だよ。アメリカから本場のジャズ・ミュージシャンを連れてくるから日本で受け入れ態勢を組織してくれないか。これがデイヴィッドの提案だった。すぐにリサーチをかけたが、反応はまるで思わしくなかった。当時の大学のジャズ・クラブにそのような体力はまったくない、部員が少なく、バンドを組むために大学同士で部員の貸し借りをやっている有様だという。自分の現役の頃とのあまりの落差の大きさに愕然とした。それでも小さなサーキットが組織できないか模索している時に信じられない悲報が届いた。デイヴィッドがクローン病で急死!若干49歳だった...。

1979年、パット・メセニー・グループが初来日した時、パットにデビュー・アルバムの成功の秘密を尋ねた。彼は大きな要因としてカレッジ・サーキットを挙げた。デビューするまで、僕らは1年のうち350日はカレッジを回っていた。メイン・ターゲットである彼らの前で演奏すれば、どういう曲が、どういう演奏が支持されるか手に取るように分かるんだ。もちろん、彼らの好みに迎合するという意味ではないよ。僕らがやりたい音楽の中での話だ。そうやって楽曲を絞り込んでいった。だから、デビュー・アルバムは彼らと作ったようなもんなんだ。何年か後、あるクラブのためにパットにトリオでの出演を打診した。日本では大ホールでしか演奏していない頃の話だ。3夜クラブで演奏する条件としてパットが付けてきた内容に驚いた。マチネで学割料金で学生たちに聴かせたい。スタンディングにしてできるだけ大勢の学生が聴けるようにしてほしい。昼はスタンディングで学生たちのために、夜はレストラン・クラブとして大人たちのために。日本初めての企画に大いに興奮したが、この画期的な企画はドタキャンされる羽目になった。もちろん、パットがドタキャンをしたのではない。オーナーがクラブの運営を委託していた会社との契約を解約したのだ。不成績が理由とのことで、オーナー会社の役員に直訴したものの決定は覆らなかった。

日本学生ジャズ連盟(任意団体)の広報担当・藤原醇平さんから「学生ジャズ・コンテスト」のプレス・リリースが届いた時、デイヴィッドとパットの学生への想いが頭をよぎった。成功を祈ってニュースは掲載したが、急な知らせであったため取材のやりくりが付かず、経過と結果の報告を依頼した。

それではまず堀内一樹代表に「日本学生ジャズ連盟」の成り立ちから語ってもらおう;

「日本学生ジャズ連盟とは、2017 年に発足した、「全国大学ジャズコンテスト」の運営を行う 任意団体です。この団体=イベントを立ち上げようと思ったきっかけは、2012 年、私が東京理科大学の学 生時代に立ち上げた、「代々木ジャズフェスティバル」(以下代々木ジャズ、現在は[ジャズライン]へ名称変更)という、全国の大学生が集まって野外で演奏をす るジャズ・イベントへの想い、未練を捨てられなかったことが一番です。

2012 年以降、「代々木ジャズ」の代表は後輩へ引き継がれ、開催されていたのですが、自身の 代表退任後も、「大学生のジャズ研」「若手ジャズ界」、ひいては「日本のジャズ界」を盛り 上げる仕組みとしての「全国の大学ジャズ研が集う場所」の存在を大きいものにしたいと いう想いがありました。とは言え、大学を卒業し、社会人になってから 1~2 年は仕事に精一杯だったこと、また後 輩への引き継ぎもままならず、結果的に放任することになり、それが心残りでした。

しかし社会人として働いて 2、3 年がたち仕事に少しずつ余裕ができ、やはり「全国の学生 が集まり、上を目指すジャズ・イベント」へ関わりたいという想いが募ってきました。仕事 の楽しさも感じ始めた時期でしたが、同時に自分が一番やりたいことは別にあるというよ うに感じたことが背景にあります。

そして「ジャズライン」が現在は継続していない、という話も人づてに聞いたこともあり、 学生時代にアイディアにはあったものの、運営しきる勇気がなく実行できなかった「コン テスト形式での、全国の大学のジャズ・コンボの一番を決める大会をつくる」という想いに至り、「代々木ジ ャズ (ジャズライン)」に関わる友人 3 人を集め団体を結成いたしました。

次に、「コンテスト開催の意図」について;

自分が大学時代に、ジャズ研究会に所属していた時、「どうして他大のメンバーとのセッシ ョンに行かなかったり、一緒に演奏したりしないのだろう」と感じた疑問がきっかけです。

当時私が所属していた東京理科大学のジャズ研究会は、「セッション」というジャズならで はの素晴らしい文化があるにもかかわらず、他の大学のジャズ研究会とのつながりがほと んどありませんでした。

中学・高校時代にラグビー部に所属していた私は、「実力を他校と比べるのは当たり前の環 境」にいたこともあり、大学のジャズ研に所属すると「(部員しか参加しない) 定期演奏会 の、XXのバンドの演奏がすごかった。」と、自分を含め、所属する小さなコミュニティ内 での評価に一喜一憂していることに疑問を感じ始めました。

そんなこともあり、他の大学へのセッションに参加しても、素晴らしいプレイをする学生 ももちろん多数いるものの、基本的には自身の所属するコミュニティと同じ構造になって いるのが実情でした。

そこで、大学ジャズ研究会の閉塞感を打破したいと感じ、学生時代に「代々木ジャズフェ スティバル」を立ち上げ、当日は関西・関東の大学 25 大学を集めたイベントを実施。 社会人になった今、その想いのまま“コンテスト”という形式で、第 1 回目となる本イベ ントを実施したのが経緯・意図です。

プロを目指すようなプレイヤーは、大学内や一部のコミュニティにとどまらず、同世代同 士、全国の素晴らしいプレイヤーの演奏を聴きあって、それが刺激になればと思います。 また、セッションを通じて交流いただくことで、これからのジャズ界を牽引するプレイヤーに なってほしいと思います。
入部の浅いプレイヤーにも、自分の大学だけではなく、色々な大学のトップ・プレイヤーの 演奏を聴いて、それが刺激になればと思います。 また、大学のジャズ研究会には、バップ系統、コンテポラリー系統、ラテン系統など、そ れぞれの特徴がありますが、自分が所属する大学が目指す音楽だけがジャズだ、と決めつ けるのではなく、本コンテストが、色んなジャズに触れる機会にもなればと思います。

最後に、壮大な夢ですが、このイベントが毎年の風物詩になり、子どもたちの憧れになれ ばと思っています。 オリンピック、ワールドカップ、甲子園、春高バレー、高校サッカー、六大学野球等、世 の中の関心はスポーツ・ジャンルがほとんどです。 吹奏楽部の全国大会(普門館)、海外の著名な国際コンクールも、様々なメディアで取り上 げられることによって、世の中の関心事になることもありますが、スポーツに比べるとま だまだ一部のコミュニティだけのものになりがちであると感じています。 将来的に、本イベントをさらに大きくし、継続していくことによって、ジャズの良さを子 どもたちにも知ってもらい、ジャズって、音楽ってこんなにかっこいいものなんだ、と思 ってもらえるようなものにしていきたいと思っています。

堀内 一樹 (ほりうち かずき)
1989 年 6 月 11 日生まれ、茨城県出身。
中高はラグビー部所属。全国ベスト 16 を経験。大学時代、東京理科大学にてジャズ研究会 に所属しながら、代々木ジャズフェスティバルを立ち上げる。演奏する楽器はバイオリン。 現在は広告代理店で営業をしながらイベント「全国大学ジャズコンテスト」を立ち上げ。

さて、いよいよ12月9日に開催された第1回全国大学ジャズ・コンテストの結果報告である;
参加コンボは下記の通り:

電気通信大学モダンジャズ研究会
京都大学ジャズ研究会
岡山大学JAZZ研究会
昭和音楽大学ジャズ研究会
関西大学ジャズ研究会
(十文字学園女子大学ジャズ同好会は棄権)

各大学30分のステージで、レイモンド・マクモーリン(ts)、岩崎壮平(p)、小澤基良(b)、森永哲則(ds) の4人が審査員となり、メンバー各人の「演奏力」、バンド全体としての「一体感」、バンドの個性を生かした「アレンジ」、ステージの「全体構成(選曲/MC )」の4点を評価基準とし「グランプリ」のみが選出された。「グランプリ」のみに絞られたのは、音楽に順位をつけたくないという連盟の基本的考えに基づくという。
その結果、「関西大学ジャズ研究会」がグランプリを獲得した。ちなみに「関西大学」が演奏した曲目は、<Satin Doll>、<Fee-Fi-Fo-Fum>、<The End Of A Love Affair>の3曲で、他の大学もすべてオリジナルではなくいわゆるスタンダードが演奏された。

グランプリに輝いた「関西大学ジャズ研究会」を代表して丹羽詩織 (b) さんの喜びの言葉;

「もらえると思っていなかったです。メンバーがすごくいい演奏をしてくださって、ステージもめちゃくちゃ楽しくて。 だから、このメンバーで出れて賞をもらえたのがうれしいです。今後も、(審査員から) 言われたことをちゃ んと覚えて、練習して頑張りたいと思います。」

それでは、参加した他の大学の健闘ぶりを写真で追ってみよう;

レイモンド・マクリーンが語るコンテスト全般の感想に耳を傾けてみよう;

「今日、色んなバンドを聴いて、すごく刺激になりました。色んなスタイルのプレイとか、アレンジとか、個性、 やっぱりジャズを演奏すると、その人のキャラが出るので、色んな人の面白さが見れて楽しかったです。 僕は、11 歳からテナーサックスをやっていますが、こういうコンテストは (自分が) 大学の頃は出場しなかっ た。たまに故郷の街や州で、色んな学校から集まって 1 位を決めるジャズ・コンテストや、ビッグバンドのオー ディション、街から 1 人しか入れないものに出ていたが、それとは違って、面白かった。みなさんの演奏を聴 いて楽しかったし、僕たちも演奏・セッションできて良かった。 みなさんはまだ大学生ですが、将来的に考えて何パーセントがミュージシャンになって、何パーセントが普通 に社会人になるのか。(何になっても) それは大丈夫なんですけど、心から音楽で行きたいと決めたら、絶対にできると思います。この道しかない、とポジティブな気持ちで、例えばボーカリスト、サキソフォニストにな りたいと思って、一生懸命頑張って、研究・勉強し、ハートがあれば、ミュージシャンになれるし、音楽だけじゃなくても、色んな職業になれる。もちろん音楽を続けてほしいですが、ミュージシャンは大変。特にジャズは (笑)。人によっては生徒に教えながらとか、スタジオ・ミュージシャンとか、ポップスとかやりながらジャズやっ てる人もいる。音楽が大好きだから音楽をやる。お金持ちになりたいからではないです。 僕が小さい頃、モノクロ映像で、リーモーガンとかコールマンホーキンス、チャーリーパーカー、コルトレーンとか をみて、将来的にそれをやりたいと決めた。音楽だけはやめなかった。いい意味で諦めずずっとやってきた。み なさんも夢を追いかけて頑張ってほしいです。」

各審査員の意見は:

レイモンド・マクモーリン (ts)
「1 つは、みなさんの一番最初のカウント。ものすごく大事なので、中途半端にカウントすると、(いい演奏 が) やりたくてもできない。最初のテンポを強く出した方がみんな演奏を始めることができる。 あと、今日の全部のバンドを聴いたら、プロでもレコードでも同じく、最初と最後でテンポの違うことがいっぱ いあります。それはいいのですが、例えば、最初始まって、エネルギーがずっと重力のように自然に落ちるの ではなく、エネルギーを自然に前に進めないとダメです。自分のタイム感が下手だったら、テンポが落ちたり 早くなったりします。それはダメなので、自分のタイムを強くすることが重要です。 もう1つ(アドバイスをするなら)は、曲をたくさん覚えること。コンボは必ずできるだけ覚えたほうがよい。も っと素晴らしい演奏ができるから。」

岩崎壮平(p)
「みなさん、想像以上に素晴らしい演奏で感動しました。僕も大学でジャズ研に入っていましたが、みなさ んのようにレベルが高いところではなかったので、みなさんの年齢ですごい演奏ができるのがうらやましいです。 僕もただ音楽が好きでやっているので、みんな素晴らしいのでずっと続けていってほしいです。お互い頑張っ ていきましょう。」

小澤基良(b)
「審査がすごく割れました。(関西大学は)ジャズの面白さみたいなものをちゃんと地道に勉強していって いる。古いところからちゃんと楽しくやっていっているっていうのが自分の中の決め手です。これから、またどんど ん時代を追っていって、ジョーヘンとかマイルスとかのサウンドもやっていくと思いますが、ひとつひとつ楽しんで 勉強していってほしいと思います。 他の学生からも刺激を受けました。非常に楽しい思いをさせていただきました。僕もウッドベースを始めたのは 23 歳 (社会人) からでした。それを続けていったらプロになったので、信念があれば何者にでもなれるの で、これからの音楽人生を頑張っていってほしいです。」

森永哲則(ds)
「僕はジャズを始めたのが遅くて、みなさんの年齢 20 歳前後はジャズを聴いていませんでした。正直自分 が審査をする立場ではありませんでした。みなさん、音楽力やスキルもあって、自分からするとスゴイなぁと 尊敬に値します。こういう場に僭越ながら呼んでいただいてありがたいです。レイモンドさんがおっしゃる通り、 プロのミュージシャンとしてやっていくかどうかは、本人の気持ちの問題なので、もしそう思っている方は、貫い ていってもらいたいと思います。」

以上、日本学生ジャズ連盟から提供された情報をもとに第1回全国大学ジャズ・コンテストの模様をレポートさせていただいた。広報担当の藤原さんによると、来年はさらに周到な準備と広報活動への注力を経て充実したコンテストにしたいとのこと、大いに期待したい。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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