Reflection of Music Vol. 105 JAZZ ART せんがわ
photo & text by Kazue Yokoi 横井一江
第18回JAZZ ART せんがわが 9月11日(木)から14日(日)まで調布市せんがわ劇場で開催された。立ち上げから17回目まで世界でも珍しい不動のプロデューサー3人体制(巻上公一:総合プロデューサー、坂本弘道、藤原清登)で行われてきたが、そこに坂口光央が加わり今年から4人体制となった。坂口はキーボード・シンセサイザー奏者で作曲家、若返りによる新たなネットワーク作りを期待してのこと。それに呼応するように、今年のテーマは「エレクトロニクスと奇抜」だった。
そこで、坂口にプロデューサーを引き受けた経緯について尋ねた。彼は演奏家として最近ではJAZZ ARTせんがわによく出演していたこともあって、3人のプロデューサーよりも若い人の意見を聞きたいからと会議に呼ばれ、その流れの中でプロデューサーになったということである。これは少し意外だった。
ところで、坂口自身はこのフェスティヴァルをどう捉えていたのだろうか。「JAZZ ARTと付いていますがインプロヴィゼーションを中心としたエクスペリメンタルなフェスティバルで、この規模では日本で唯一のものだと思っていましたし、今でもそう考えている」という。では、今後どのようなことをやりたいのか、リスナーが固定化され、なかなか聴き手にとって馴染みがない音楽を聴いてみようという人が少ない中、聴衆の拡大についてどのように考えているのだろう。この問いに彼はこう答えた。
確かにリスナーの年齢層が比較的高めだったり固定化されている傾向はあって、それはせんがわ以外のジャズや即興演奏のライブ会場でも起こっていることですね。ただ若い20代、30代の即興演奏などを行うミュージシャンがいないわけではないと思っています。見方を変えれば、特に電子音楽の場やライヴではあまり演者が即興演奏であるということを意識せずに、しかし方法としては即興に近いやり方でライヴは行われていたりしますし、比較的若いリスナーもいます。私は10年以上前から自分の音楽の特性上というのもありますが、意識的にいろいろな即興(のようなもの)の場や電子音楽、POPSの場にも足を運ぶようにしています。昔はハードコア寄りのバンドもやっていました。自分がその場に行って実際に演奏をしてコミュニケーションをとることで JAZZ ART せんがわの認識が広がったりお互いが交わったり、知るきっかけになればいいと思っています。それから関東圏以外のたとえば関西方面から20〜30代のミュージシャンを呼びたいと思っています。
前回、前々回に続いて、JAZZ ART せんがわの幕開けは『John Zorn’s Cobra』、「JAZZ ART SENGAWA作戦 エレクトロニクス部隊」だった。ジョン・ゾーンの斬新な発想が1980年代半ばに世界中で多くのミュージシャンに影響を与えた作品で、日本でも繰り返し様々なシチュエーションで演奏され続けてきた。今回は「エレクトロニクスと奇抜」というテーマに合わせたメンバー構成。いつも思うのだが、<コブラ>は作品として音だけで聴くのもよいが、現場を見るとミュージシャン同士のやりとりがよく分かって実に楽しい。今回はエレクトロニクスや機器を用いるミュージシャンが多かったが、不思議と皆身体的な演奏をしていたのが面白かった。例えば、想定内?想定外?に井谷享志がシンセドラムではなく自分の顔をペチペチと叩き始めたら、それが波及してしまったということも。<コブラ>においては各々のミュージシャンのキャラクターが使用する楽器を問わず現れる。百戦錬磨のプロンプター巻上の差配と遊ぶ力量のあるミュージシャン達のなせるステージだった。音楽におけるコミュニケーションのひとつのかたち、である。時を経ても革新性や新鮮味を失わない作品は珍しい。
2日目には坂口プロデュースによるSF deck [坂口光央(syn)/野本直輝(computer)/okachiho(computer)]の演奏があった。坂口は野本直輝、okachiho それぞれと共演経験はあるものの、このユニットでは JAZZ ART せんがわ直前に一度ライヴを行っただけだったという。坂口のステージは何度か見ているが、フィジカルな演奏をする彼と他の2人とは対照的だ。okachiho はコーディングも行っていたようだったがまだ動きがあるものの、ライヴ・コーディングをやる野本はMacの画面を見続けている。ライヴ・コーディングについては、2017年から3年ほど通った共同研究会*でメディア・アートに関する著書もある久保田晃弘が発表していたので幾分知識があったものの、実際に行っているのを見たのは始めて。しかもタイプの異なるミュージシャンとの共演だったため、そのアプローチの違いを興味深く観ると同時に、エレクトロニクスでの即興的な表現におけるさらなる可能性を感じたステージだった。このプログラムには前述した坂口の意図が現れていたといえる。観ることは出来なかったが、この日の昼間にカフカ鼾 [石橋英子(p, fl)/ジム・オルーク(syn, g)/山本達久(dr)]+巻上公一(vo, theremin)、また太平楽 [四家卯大(cello)/田中邦和(sax, 笛, 他)/佐藤直子(perc)] +ウンシル・ノ(パンソリ/韓国)+スーホ・ムーン(人形/韓国)のステージがあったこと、また、1日目と2日目は一般公募ミュージシャンにプロデューサー陣を加えたセッション「自由即興」も久々に行われたことを付け加えておこう。
3日目は早い時間に映画『トワイライツ』(監督:天野天街)とダンサー石丸だいこ、車椅子ダンサーかんばらけんたに、リキッド・ライティング技法を用いたライヴ・パフォーマンスを行っている仙石彬人、坂本弘道 (sound) によるプログラム『わたしのともだち』があった。私は午後に行われた「庭師の夢 [今西紅雪(箏)/リゾットム Rhizottome (アルメル・ドゥーセ Armelle Dousset (acc) & マチュー・メッツガー Matthieu Metzger (ss))仙石彬人(TIME PAINTING, visuals)」 に石川 高(笙)が加わった2番目のステージから観た。この「庭師の夢」はリゾットムの2人が京都のヴィラ九条に滞在していた2016年に東京日仏学院で公演があった時に一度見ている。日仏のヴィジュアル面も含めた伝統的な音楽による共同制作だが、今回は石川高が加わったことでサウンドがより空間的に広がり、リアルタイムに変化していくヴィジュアルによる表現と相俟って移ろいゆく情景を描いていた。マチュー・メッツガー はかつてルイ・スクラヴィスのクインテット、フランス国立ジャズ・オーケストラにも参加していた力量のあるミュージシャンなので、彼自身のプロジェクトでの演奏も聴きたかった。続いて、声の表現者3人(赤い日ル女、大隅健司、巻上公一)と片倉真由子 (p) 、坂口光央 (syn) によるステージ。片倉と坂口のデュオで始まり、ヴォイス・パフォーマーはそれぞれソロで、そしてデュオ、最後は3人でのパフォーマンスで、ピアノとシンセによる演奏と相俟って、三者三様言葉未満のヴォイスが、時にドラマティックに舞っていた。片倉真由子がこのような即興パフォーマンスの場にいるのが意外で、じっとサウンドに耳を澄ませつつ音を紡いていた姿が印象的だった。そして、坂田 明 (sax, vo)、ジーン・ジャクソン (ds)、藤原清登 (b) による演奏。トリオの演奏もさることながら、聴衆の耳目を引いたのは坂田の<死んだ男の残したものは>を吟ずる場面。よく知られた谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の反戦歌である。それが始まると客席の空気が変わった。その歌から何を読み取るのかはその人次第、そう思わせるのもそのフレーズの奥深いところから詩の世界を引き出す坂田の表現者としての昇華されたパフォーマンスがあってこそ。
最終日の本ステージは「テクノ・ボイスの誕生」と題した初期ヒカシューのメンバーが集合したヒカシュー 1978 [巻上公一 (vo, b), 三田超人 (g), 井上 誠 (syn), 山下 康 (syn), 戸辺 哲(sax)] とイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のシンセサイザー・プログラマー松武秀樹の共演から。ヒカシューとYMOが活動していた当時だったらあり得なかった共演で、このステージだけは前売り券が早々に売り切れたという。ここでは巻上はエレクトリック・ベースを弾いていた。懐かしい曲も色々聴けたが、巻上と松武のデュオなど、ノスタルジアだけでは終わらせないという姿勢がいい。松武秀樹は3日目の最後に大人のためのシンセワークショップ、最終日の早い時間に子どものための音遊びワークショップも行っていた。「テクノ・ボイス」の次は坂本弘道による「音の十字路」。このシリーズでは思わぬ組み合わせに出会えるので毎回楽しみにしている。今回は細井徳太郎(g)と原田 節(オンド・マルトノ)との共演。オンド・マルトノは1928年にフランス 人電気技師 モーリス・マルトノによって考案された電子楽器。そうそう聴く機会のない楽器だが、その演奏をJAZZ ART せんがわで観たのは2回目である。そのセッティングによるものか、細井のアプローチも私の知る彼の演奏とは異なっており、原田がオンド・マルトノのスピーカーに張られた弦を弾く場面もあったりと、耳に新しいサウンド体験をした。トリは例年どおり、プロデューサー陣によるJAZZ ART トリオならぬJAZZ ART クインテット、今年はプロデューサー4人にクリストフ・シャルル (electronics) が加わったテーマを意図した編成による演奏で締め括った。
最終日のお昼時には会場近くの公園にCLUB JAZZ 屏風が出現した。こちらのキュレーションは屏風をデザインし、制作した長峰麻貴とバンド「恥骨」の活動で知られる大隅健司。初期は街を歩く人たちの「何をやっているのだろう」という冷ややかな目線を感じたものだが、時を経てすっかり定着した感がある。遠巻きに見ている人も間近で見る人さまざまではあるが、徐々に人が集まってきた。最初はCLUB JAZZ 屏風を閉じた状態で、この企画では常連の吉田隆一(baritone sax)、高岡大祐(tuba)の演奏で始まったのだが、9月とは思えない蒸し暑さで早々に屏風を開くことになった。屏風の周りで演奏するミュージシャンに加え、人形遣いの黒谷都やパペット・メイカー/パフォーマー のスーホ・ムーンなども加わるなど、パワーアップした展開のCLUB JAZZ 屏風だった。公園では、ダンサー/振付家のアオキ裕キと路上生活経験者たちで構成されたダンスカンパニー「新人Hソケリッサ!」が踊り、楽器を持ったミュージシャンが公園で遊ぶ子供たちに混じっている。最後は公園周りをパレード、恒例の障子破りで締め括った。
余談になるが、昨年のメールス・フェスティヴァルでは、無断で”CLUB JAZZ 屏風もどき”が制作されるという不幸なことが起きた。JAZZ ART 実行委員会はメールス側に苦情を申し立てる。その後、JAZZ ART 関係者がメールスでの制作者の連絡先を見つけ、連絡をとったことから、この問題はその制作者から長峰麻貴に送ったメールが届かなかったことに端を発したことが判明した。今や連絡手段はメールだけではないし、例え規模が大きいので準備に追われていたとはいえ、承諾を取らないままに進めたことにメールス側の非があったことは明らかである。音楽監督ティム・イスフォートからお詫びのメールは送られてきたが、JAZZ ART 側が求めていた通りの謝罪ではなかったので、後味の悪いまま幕引きされたような状態だった。ところが、今年に入って突然、CLUB JAZZ 屏風をデザインした長峰麻貴にメールス・フェスティヴァルから招待がきた。それを受けて彼女がメールスに行ったところ、プログラムにはきちんと紹介されていたものの、現地で制作された屏風を確認すると障子紙ではなく全く異なる性質の耐久性のある素材が使われていたことなどが判明。また、単なるステージセットではないということを理解してはおらず、極小のライヴ空間という本来のコンセプトを伝える必要もあった。最終的には、障子破りとはいささか異なる形ではあったが、貼られていたペーパーを破り、枠だけの状態にして長峰は帰ってきた。本来のCLUB JAZZ 屏風がメールスに登場することになったのは良としよう。また、来年は日本人ミュージシャンを数名連れて来てほしいとの招待を受けているということだ。
新たな体制となったJAZZ ART せんがわ、20周年へ向けてのさらなる展開を期待したい。
①『戦術は反響する─TacticalFeedback』
John Zorn’s Cobra JAZZ ART SENGAWA作戦 エレクトロニクス部隊
坂口光央 (syn)/山本達久(ds)/有馬純寿(electronics)/直江実樹(radio)/坂本弘道(cello)/本藤美咲(baritone sax)/秋山Bob大知(electronics)/山川冬樹(khoomei, etc.)/神田佳子(perc)/ヨシガキルイ(guitar)/井谷享志 (synth-drum)
プロンプター: 巻上公一
9月12日(金)
④『身体とプログラミングβ ─ physical and programming β』
SF deck [坂口光央(syn)/野本直輝(computer)/okachiho(computer)]
9月13日(土)
⑥『庭師の夢に呼吸あり ─ Breath in the Gardener’s Dream』
庭師の夢 [今西紅雪(箏)/Rhizottome(ARMELLE DOUSSET & MATTHIEU METZGER:s-sax)/仙石彬人(TIME PAINTING, visuals)] +石川 高(笙)
⑦『声帯がよじのぼり、鍵盤が飛び跳ねる ─ Urban Larynx, Forest Keys』
片倉真由子(p)/坂口光央(syn)/赤い日ル女(vo)/巻上公一(vo)/大隅健司(vo)
⑧『連絡先: 三重奏 ─ Contact Triplets』
坂田 明(sax, vo)/Gene Jackson(ds)/藤原清登(double bass)
9月14日(日)
☆ CLUB JAZZ 屏風・公園ライブ
仙川駅前公園にて
吉田隆一(baritone sax)/高岡大祐(tuba)/笠村勇樹(sax)/黒谷都(人形遣い)/横手ありさ(voice)/落合康介(ba, 馬頭琴)/熊坂路得子(accordion)/岸田佳也(per)/新人Hソケリッサ!(dance)/ウンシル・ノ(パンソリ/韓国)/スーホ・ムーン(人形/韓国)
長峰麻貴(屏風キュレーター)/大隅健司(公園キュレーター)
9月14日(日)
⑨『テクノ・ヴォイスの誕生─The Birth of Techno Voice』
ヒカシュー 1978 [巻上公一(vo, b)/三田超人(g)/井上 誠(syn)/山下 康(syn)/戸辺 哲(sax)]+松武秀樹(syn)
⑩『音の十字路』
細井徳太郎(g)/原田 節(オンド・マルトノ ondes martenot)/ホスト:坂本弘道(cello, etc)
⑪ 『Jazz After Matter ─ 即興は物質を越えてゆく音なり』
JAZZ ART Quintet [巻上公一(vo, theremin)/坂本弘道(cello, etc)/藤原清登(double bass)/坂口光央(syn)]+Christophe Charle(s electronics)

注:
* 音楽学者である細川周平が国際日本文化研究センターで主宰した共同研究会、その論集『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング、 2021年)には久保田晃弘のライヴ・コーディングの起源と意味を再考した論文も収録されている。
