Reflection of Music Vol. 53 高瀬アキ
高瀬アキ @新宿ピットイン 2016
Aki Takase @Shinjuku Pit-Inn 2016
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江
嬉しいニュースが届いた。
高瀬アキ&デイヴィッド・マレイによる『Cherry – Sakura』(Intakt) がドイツ批評家賞 (Preis der deutschen Schallplattenkritik) をジャズ部門で受賞したのだ。
ドイツ批評家賞は、その名のとおりドイツの音楽評論家などで構成されたレコード批評家賞協会が四半期毎に選ぶ賞で、クラシック、オペラからロック、フォーク、民族音楽など幾つものカテゴリーがあり、ジャズもそのひとつ、対象となるのは世界中でリリースされるレコード、DVDである。高瀬アキは『Shima Shoka』(enja 1990)で ドイツ批評家賞を最初に受賞してから、これが9回目の受賞となる。詳しく調べたわけではないが、9回も受賞したジャズ・ミュージシャンは稀だろう。賞をもらったからエライとか、それが作品の優劣を必ずしも表すわけではないし、賞はもらわなくとも良い作品はもちろんある。しかし、これもまたひとつの評価軸だ。高瀬が渡独してから約30年、その地で確実に実績を積み重ねてきたことが評価されているのだと私は捉えている。
このアルバムのリリースから少し経った頃、黄昏時に桜並木を歩きながら、桜のもつ不気味さ、コワサを春風の中で感じていた。このタイトル曲<Cherry – Sakura>を高瀬は、昨2016年11月新宿ピットインでの坂田明とのデュオ・ライヴで演奏している。高瀬はこの曲を演奏する際に、坂口安吾の『桜の森の満開の下』、幻想的で不気味なこの小説についてその語りで触れていた。ゆったりとしたシンプルで美しいメロディーの曲だが、坂田の即興演奏でどんどんイメージが広がっていき、桜の妖気、狂気が漂い、その日の演奏で特に印象に残ったことを覚えている。上の写真はその日に撮影したショットだ。他方、日本人とはまた異なった感受性、豊かなイマジネーションでデイヴィッド・マレイが吹く<Cherry – Sakura>は、異国の地に根付いた桜のよう。怪奇譚から想を得た物語を見事に変容させていた。
高瀬がマレイとのデュオを始めてから、約四半世紀経つ。1993年のアルバム『Blue Monk』(enja) もまたドイツ批評家賞を受賞している。高瀬はこれまでルディ・マハールやルイ・スクラヴィス、夫君アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハなどとデュオで多くの快作を残してきた。デュオにおける即興演奏の展開では、各々が引き出される面白さ、1+1が2以上のものになる醍醐味がある。高瀬はこれを巧みに引き出す。マレイとのデュオでも然り。
『Cherry – Sakura』で取り上げている曲は高瀬とマレイそれぞれのオリジナル曲にモンクの曲がひとつ。バックグランドの異なる二人だが、重ねてきた年輪が音の層となった奥行きの深い音色に包み込まれつつ、ジャズの味わいをしみじみと感じたのは、バラードが多い選曲だったからだろうか。それにしても、高瀬がよく言っていたようにマレイはイントネーション(音程)が素晴らしくいい。粒立ちのいい高瀬のピアノ共々、音ひとつひとつがきっちりと積み重なり、曲に内在するドラマを構築していく。現代のジャズにはない滋味が溢れていて、聴き終わった後もしばらくその余韻が耳から離れない。個人的には、高瀬が昨年亡くなった母に捧げたという<Nobuko>が、同様の身ゆえにレクイエムとしてココロに響いたのだった。