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Reflection of Music 横井一江No. 236

Reflection of Music Vol. 57 ヒロ・ホンシュク

 


ヒロ・ホンシュク @茅ヶ崎 Jam In The Box 2017
Hiro Honshuku @Jam In The Box, Chigasaki, November 05, 2017
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江


もう随分前、ベルリンに住む高瀬アキと他愛もない会話をしている時のこと。
彼女の友人の作家から、ある日ラジオをつけた時に流れてきたヴァイオリンの演奏を聴いて、演奏者は日本人だなと感じた、そんなこと聞かされたという。そして、こう続けた。「私なんかいまでも日本的だと言われる。そういうつもりで演奏しているわけではないのに」と。
「これ、どうしてだと思う」と問いかけるので、「たぶん、言語、母語だと思う」と私は答えた。うなづきながら彼女は「私もそう思う」と言い、ひとしきりそれについて話をしたのだった。

なぜ、ヒロ・ホンシュクについて書こうとした時にこの会話を思い出したのか。本誌に連載中の彼の楽曲解説の第1回(→リンク)で、こんなことを書いていたからである。

「タイム感というのはそれぞれの文化と根強く関係し、当事者たちはまったく考えずに自然に生み出しているということである。(中略)すべての音楽にはまず「パルス」が存在する。言語学のことは無知だが、話す言葉と関係があるのではないかと思う。「パルス」はメトロノームのクリック位置ではない。「パルス」は人間の鼓動がまちまちであるように文化によって違いが現れるものである」

これを読んだ時に思わずウンウンと頷いた。第1回の楽曲解説は『ロバート・グラスパー・トリオ/カヴァード』だったのだが、どんな評論家/音楽ライターが書いた記事よりも彼の音楽性を捉えていて、ストンと腑に落ちた。ジャズ誌では楽理的な解説をした記事というのはほとんどない。そういう意味でホンシュクの書く文章は貴重で、勉強になる。かなり好みもはっきりしていて、言いたい放題ぶりも面白いから、毎回楽しく読んでいた。

しかし、ある時に気がついた。日本に居るジャズ・ミュージシャンとはどこか違う、と。彼がJazzTokyoに関わるようになって、コミュニケーションも増えたのだが、クラシック畑の人と話をしているような感じなのである。それはおそらく、大学でクラシック音楽、フルートの演奏や作曲を学んでいることもあるのだろう。だが、なによりも日本のジャズ・シーンを知らないまま(全く聴いていないとは思わないが)、変に感化されることなく、「ジャズはこういうもの」、「ジャズはこうあるべき」という先入観をもたずに留学したからではないのだろうか。そして、ジョージ・ラッセルに出会った。ツーファイヴ(Ⅱ-Ⅴ-Ⅰ)は用いないとジャズ・ミュージシャンにあるまじきことを言うのもそれゆえに違いない。

ホンシュクの音楽を最初に聴いたのは、ハシャ・フォーラによるマイルス作品を演奏した『ハシャ・ス・マイルス』だった。このアルバムを聴いて感じたのは「ポップ」だということ。それをもたらしているのはブラジルのさまざまなリズムを取り入れた卓越したアレンジなのだが、さんざん聴いている曲なのに今書かれた曲のように新鮮に聞こえるのはなぜだろうと思った。軽快なのだが、昔流行ったフュージョンとは違う。楽器編成の妙も確かにある。ジョージ・ラッセルのアシスタントを務めていたくらいだから、リディアン・クロマティック・コンセプトを使用してることは容易に想像がつく。彼が言うには、そのトーナル・グラヴィティ(Tonal Gravity)、つまり音の重力概念を用いているらしい。

ジョージ・ラッセルというとシリアスな音楽を連想してしまう。しかし、ホンシュクの音楽は、たぶん譜面もかなり書き込まれ、複雑なことをやっているにもかかわらず、さらりと聴ける。そのわけはグルーヴにある。彼のグルーヴに対するこだわりは半端ない。誰かの演奏の話をしていても、グルーヴのない演奏だと「ボク、そういうのはダメなの」とか「アメリカに来てからそういう演奏を受けつけない身体になっちゃたの」とかよくいう。しかし、それもまたジョージ・ラッセルの教えだったとは。10月にリリースされた『ハッピー・ファイアー』のタイトル曲をお題にした楽曲解説(→リンク)に彼はこう書いている。

「授業や本で説明されていないもっとも重要な点は、じつはグルーヴだったのである。何せリズムセクションの譜面はスラッシュではなく細かく書き込まれているのに、正しい音を間違えずに演奏してもグルーヴしない生徒はその場で退場だ。「白い食パンのような演奏するな」と怒鳴っていたのを思い出す。反対にグルーヴしていれば譜面通りでなくても許される。(中略) グルーヴが重要視されるからこそリディアン・クロマティック概念で複雑なハーモニー構造が進行して行っても他の追従を許さないサウンドが醸し出される。ラッセルの音楽の凄さはここだ」

そのホンシュクのタイム感、そしてグルーヴはアメリカに行ってから身につけたものと思われる。日本でクラシック音楽を学んだ彼がこれを体得するには分析と訓練もまた必要だったに違いない。こだわりが人一倍強く感じられるのはそのためだろう。それは楽曲解説にもよく表れている。タイム感やグルーヴについてこだわりをもって書いている文章を他に読んだことはない。そういう意味でも彼の楽曲解説は面白い。

ところで、ハシャ・フォーラの楽器編成は一般的なジャズを演奏するグループとはかけ離れている。ピアノもベースもドラムスもトランペットもサックスもいない。しかし、音楽は成立している。いや、お決まりの編成でないからこそ、構成も音色的にも耳にフレッシュでもある。ハシャ・フォーラ自体、結成時と比べて楽器編成が変わっている。それはなぜか。彼は、あるメンバーがバンドに参加出来なくなった場合、同じ楽器でメンバーを探すのではなく、参加ミュージシャンに合った作曲なり、編曲をするのだという。これは、1987年から2000年代にかけて定期的に活動してきた「A-NO-NE」バンドのアイデアだということだ。初めに曲ありきではなく、初めにミュージシャンありきで、曲を書き、編曲する。このような発想の柔軟さ、自由さは、彼がジョン・ゾーンなどとインプロを演奏した経験もまた関係しているのかもしれない。

実はハシャ・フォーラもホンシュクの演奏もCD、YouTubeも含めた諸々の音源で聴いていたものの、ライヴを観ることはなかなか出来なかった。やっと今年11月その機会に恵まれた。ホンシュクのフルートは楽器奏法の基礎がしっかりしていて、ブラジル音楽のエッセンスもほのかに感じられ、聴いていて気持ちがいい。譜面は書き込まれているに違いないが、それを感じさせず楽しげに演奏し、聴衆に心地よいサウンドを届けるバンドの秀逸さ。お客さんから好き勝手にコードを呈示してもらって、それでインプロするという遊びも。踏み外しや思わぬ展開もまたよし。もちろんバンドはグルーヴしていた。

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説: https://jazztokyo.org/category/column/analyze/

11月5日、茅ヶ崎 Jam In The Boxで撮影したハシャ・フォーラ の写真をスライドショーで。

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横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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