Reflection of Music Vol. 95 トニー・オクスレー
トニー・オクスレー @ベルリン・ジャズ祭 1994 & ベルリン・ジャズ祭 1999(*)
Tony Oxley @JazzFest Berlin, November 20, 1994 & JazzFest Berlin, November 08, 1999(*)
photo & text by Kazue Yokoi 横井一江
昨2023年12月26日、イギリス、シェフィールド生まれのドラマー、トニー・オクスレーが亡くなった。1938年6月15日生まれ、享年85。
その訃報を目にした時にまず思い出したのは、彼と初めて言葉を交わした時のことだった。指で宙に?マークを描いて「即興は、永遠に『?』である」と開口一番に言う。「それはある種のプリパレーションでもあり、インプロヴィゼーションでもある」と。2003年のトータル・ミュージック・ミーティング (TMM) でセシル・テイラーと彼のデュオ公演終了後、会場となったたポーデヴィルのカフェでのことだ。なるほど、言われてみれば確かに。セシル・テイラーとの演奏はまさしくそうだったからだ。そして、翌日に会った時には「ふつうオスカー・ピーターソンを好きな人はセシルを聞かないし、セシルを好きな人はオスカー・ピーターソンを聞かない。どちらも偉大なんだけどね」という話になった。そして、「セシルの音楽はモダン・ミュージックのように決してシリアスに捉えることはない。とっても自由でエナジーに満ちていて、演奏していてすごく楽しい」と語っていたことが忘れられない。
トニー・オクスレーがドラムを始めたのは意外と遅く、17歳の時である。1957年から1960年にかけて、ミリタリー・バンドで音楽理論とドラムを学ぶ。1963年には、同じシェフィールド生まれのデレク・ベイリーと大学生だったギャビン・ブライヤーとの伝説的なジョセフ・ホルブルック・トリオでの演奏をザ・グレープスという店で始め、その活動は1966年にこのトリオが解消されるまで定期的に続けられた。この時期、彼はウェーベルンやシュトックハウゼンなどの現代音楽作品からも刺激を受けている。その後、ロンドンに出た彼はロニー・スコッツのハウス・ドラマーとなり、ソニー・ロリンズ、スタン・ゲッツ、ジョー・ヘンダーソンを始めとする著名なアメリカ人ミュージシャンと共演を重ねた。また、ゴードン・ベック・トリオでも活動。そして、1969年アラン・スキッドモア・クインテットが結成された時にメンバーとなる。同じ頃、彼はジョン・マクラフリン・カルテットにも参加、名盤と言われる『エクストラポレーション』(Marmalade) でも当時の演奏が聴ける。自身のクインテットによる『ザ・バプティスト・トラベラー』(CBS) を録音したのも1969年である。ヨーロッパのジャズについて造詣の深い音楽研究家 星野秋男は、この時期のオクスレーを「白いトニー・ウイリアムス」と高く評価していた(*1)。
他方、オクスレーはジョン・スティーブンスのスポンティニアス・ミュージック・アンサンブルの拠点となっていたリトル・シアター・クラブにも出入りしている。そこはミュージシャンにとっての出会いの場でもあった。そのようなミュージシャンの何人かが自主組織ミュージシャンズ・コープを立ち上げた時に、オクスレーは日曜日の夕方にロニー・スコッツを使わせてもらうように頼む。そこから、ハワード・ライリー・トリオやイスクラ1903などのグループが生まれた。皆んなを集めてひとつのバンドにしようと考えたバリー・ガイはロンドン・コンポーザース・オーケストラを始める。ミュージシャンズ・コープは短命に終わったが、オクスレーは1970年にデレク・ベイリー、エヴァン・パーカーと共に Incus Records をスタートさせた。この時、友人のマイケル・ウォーターズから資金面で協力を得ている。オランダのICP、ドイツのFMPに続いて、ミュージシャンによる自主レーベルがイギリスにも出来たのだ。
こうして、オクスレーの初期の活動を振り返ってみると、モダンジャズとフリージャズを行き来しながらも、さらにその先へと音楽的探求を続けた彼の姿が浮かび上がってくる。英国ガーディアン紙やロンドン・ジャズ・ニュースの追悼記事では、ビル・エヴァンスとセシル・テイラーと共演したドラマーということが書かれていた。1972年には短期間ながらもビル・エヴァンス・トリオのメンバーとして欧州ツアーし、トリオにそのまま残るように誘われたが、彼は断っている。リュブリャナ・インターナショナル・ジャズ・フェスティヴァルでの<ナルディス>の音源を改めて聴いたが、オクスレーの演奏がエヴァンスに刺激的だったことがわかる。80年代初頭にオクスレーはドイツに移り住む。セシル・テイラーとの出会いは、1988年にFMP主催で行われた「Improvised Music Ⅱ」だ。一ヶ月に亘って、セシル・テイラーはヨーロッパのミュージシャンと共演を重ねたが、その中にオクスレーもいた。デュオが上手くいったことから長い付き合いが始まり、デュオやウイリアム・パーカーも加えたフィール・トリオでの活動がその後も継続したのである。2013年にセシル・テイラーが京都賞を受賞した時に記念公演の共演者にオクスレーを望んでいたが健康上の理由で実現しなかったのは返す返す残念でならない。もっとも、2016年のホイットニー美術館で行われた、おそらくセシル・テイラー最後のパフォーマンスでは、トニー・オクスレーと田中泯との共演だったことには感慨を覚えた。日本では実現しなかった組み合わせでの公演が最後に叶ったのだから。
私がトニー・オクスレーを最初に観たのは、1994年のベルリン・ジャズ祭だ。ジュルジュ・グルンツが音楽監督を務めた最後の年で、大きなテーマは「グレイト・アメリカン・ミュージック」。そのためか、ビル・ディクソンをフィーチャーした「セレブレーション・オーケストラ」での出演だった。ディクソンとオクスレーを繋いだのはセシル・テイラーで、1993年にはディクソンの『Vade Mecum』(Soul Note) にオクスレーが参加、交流が始まる。セレブレーション・オーケストラのステージについて、私は『ジャズ批評 No. 83』(ジャズ批評社、1995年)にこう記した。
トニー・オクスレー(ドラムス)が「セレブレーション・オーケストラ」の活動を始めて十年が経つ。今回はビル・ディクソンをゲストに迎えており、ヨハネス・バウアー、エルンスト・ルードヴィッヒ・ペトロフスキーやフィル・ミントンの顔も見える。トニー・オクスレーはステージ中央手前に指揮用の譜面台、その向かって右横にドラム・セットを置き、左に管楽器、右に弦楽器、正面奥にピアノというように自由な発想で指揮しやすいように楽器を配していた。演奏された作品は構造的で譜面はあるが個人、集団での即興部分をかなり組み込んでいるように思う。多彩な展開を見せるサウンドは時に混沌とし、時に静寂に帰り、時に不安を誘い、時には破壊的である。また、ロンドン・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラも彷彿させるようなところもあり、実にシリアスな演奏であった。
上述しているように、セレブレーション・オーケストラは1985年にベルリン・ジャズ祭で演奏しているが、複数のドラムス/パーカッション奏者が参加していることは同じものの、ヨハネス・バウアーやE. L. ペトロフスキー、フィル・ヴァックスマン、アレックス・コルコウスキーを除いて、メンバーは入れ替わっていた。エレクトロニクスを扱うマット・ワンドやパット・トーマスが参加していることに時代の変遷を感じた。(*2)
次にオクスレーを観たのもベルリン・ジャズ祭である。1999年はベルリンの壁崩壊から10年という節目の年だったこともあり、通常4日間の会期を1日延長し、最終日はいつも同時期に開催されるTMMが前日まで行われていたポーデヴィルに会場を移しての特別プログラムだった。音楽監督はアルバート・マンゲルスドルフ、この日はTMMを主催するFMPの協力を得て行われ、そのためかヨスト・ゲーバースがステージの進行やセッティング等を行っていたのが印象に残っている。アンチ・ベルリン・ジャズ祭としてTMMがスタートしたことを思い起こせば、隔世の感があった。オクスレーはビル・ディクソン・アンサンブルでの出演(*2)。『ジャズ批評 No. 103』(ジャズ批評社、2000年)に私はこう書いている。
「ジャズの10月革命」の首謀者として有名なディクソンだが、低めの調性でサウンド・テクスチュアやフレーズを変化させながらロングトーンを駆使して吹く姿はとても74歳に見えない。トニー・オクスレーのドラムと2台のベースにぶつかったり、からまりあったり、それらの上に乗って変化しながら流れるサウンドに河が流れていく様をイメージしたのだった。
トニー・オクスレーの共演者は多い。その中にはポール・ブレイやアレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ、トーマス・スタンコもいる。彼はまさしくヨーロッパ随一のドラマーだったといえる。稀に見る瞬発力、一流のテクニックを持ち、イン・テンポでもフリーでも叩け、繊細でありながらもダイナミズムのある演奏で、独自の世界を築いていた。彼は大きなカウベルが取り付けられた通常のドラムセットを改造した独自のセットで演奏するだけでなく、1970年代からエレクトロニクスにも興味を持っていて、最後の作品『The New World』(Discus Music) でも使用している。また、画家として抽象画を描いており、CDカバーにも使用されていることも付け加えておきたい。
即興は、永遠に『?』であり続ける。心からご冥福をお祈りします。
JazzFest Berlin at Podewil 1999*
【注】
1. 『ジャズ批評 No. 79』ジャズ批評社、1993年
2. 1994年ベルリンジャズ祭出演時のメンバー等。
Ten Year Jubilee: Tony Oxley Celebration Orchestra feat. Bill Dixon
Alfred Zimmerlin (cello) Marcio Mattos (cello) Alex Kolkowski (vin) Phil Wachsmann (vln) Johannes Bauer (tb) Ernst-Ludwig Petrowsky (sax) Frank Gratkowski (sax) Matt Wand (electronics) Pat Thomas (electronics) Phil Minton (voc) Tony Levin (perc) Stefan Hölker (perc) Jo Thönes (perc) Tony Oxley (perc)
Bill Dixon (tp)
Auditorium at Haus der Kulturen der Welt, Berlin, November 20, 1994
3. 1999年ベルリンジャズ祭出演時のメンバー等。
10 Jahre Maueröffnung
Bill Dixon Ensemble
Bill Dixon (tp, flh) Matthias Bauer (b) Klaus Koch (b) Tony Oxley (dr)
at Podewil, Berlin, November 08, 1999
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#40 故人を偲ぶ:
ペーター・ブロッツマン 、エルンスト・ルードヴィッヒ・ペトロフスキー、ヨスト・ゲーバースとFMP
https://jazztokyo.org/monthly-editorial/post-94649/
#06 セシル・テイラーとベルリン、FMP
https://jazztokyo.org/monthly-editorial/editorial-yokoi/post-27566/
Reflection of Music Vol. 4 ビル・ディクソン@ベルリン・ジャズ祭1994
http://www.archive.jazztokyo.org/column/reflection/v04_index.html