追悼 川添象郎 by 竹村 淳
text by Jun Takemura 竹村 淳
音楽プロデューサーの川添象郎さんが、去る9月8日に亡くなられたことをニュースで 知った。1969年に大きな話題となったミュージカル『ヘアー』来日公演をプロデュースし たり、70年代半ばからはアルファレコードを創業した村井邦彦氏とともに、制作担当役員 としてYMOや荒井 (松任谷) 由実などのアーティストらを世に送り出すなど、日本の音楽 シーンに大きな足跡を残してきた。そんな彼に初めて会ったのは、神彰さんが93年9月に 新宿コマ劇場近くにオープンしたビアレストラン&ライブハウスの「ココロコ」の仕事 だった。同年3月にぼくが出版した『ラテン音楽パラダイス』をたまたま本屋で見かけた 神さんが、その著者のぼくをココロコの音楽監督に招いてくれたのだが、その関係で神さ んから紹介されて川添象郎さんを知ったのだ。神さんは当時居酒屋チエーンの『北の家 族』を経営していたが、日本がまだ敗戦後遺症からたちなおれずにいた1954年に、アー ト・フレンド・アソシエーション を設立し、56年のドン・コサック合唱団を皮切りに有名 アーティストやグループを招聘して、評論家の大宅壮一氏から“呼び屋” と呼ばれたほどの やり手だった。それはともかくココロコの最初期に、川添象郎さんにはなにかとお世話に なった。その川添さんが亡くなる頃に、NHKテレビで放送された風吹ジュンさんのファ ミリーヒストリーを見て、一時期彼女と結婚していた川添象郎さんのことを思い出してい ただけに、彼の死のニュースには因縁めいたものを感じ、少なからず驚かされた。川添象 郎さん、心からご冥福をお祈りします。
photo:courtesy of Tower Records
竹村 淳 (たけむら じゅん)
1937年神戸市に生まれ、5歳から現在の京田辺市で育つ。音楽ジャーナリスト。
1981年~85年と 87年~2005年にかけてNHK-FMでラテンアメリカとカリブ音楽のDJを務める。85年に株)テイク オフ(Takemura Officeの略)を設立し、キューバのレコード公団EGREMの音源を積極的にCD化した ほか、ブラジル/ボリビア/ペルー音楽の本邦紹介にも努めた。またペルーの至宝ギタリスト、ラウ ル・ガルシア・サラテの初来日公演を2000年に実現したほか、ブラジル/ペルー/パラグアイの有 名アーティストたちの招聘にも尽力した。その傍ら、NHK文化センターや立教大学ラテンアメリ カ研究所の講師を務めた。2009年3月に開講したラテン音楽パラダイス塾を月1回のペースで2022 年11月まで主催した。著書に『ラテン音楽パラダイス』(NHK出版→講談社+アルファ文庫)、『ラ テン音楽名曲名演ベスト111』(講談社→アルテスパブリッシング)、『国境を超えて愛されたうた』 (彩流社)、『反戦歌 戦争に立ち向かった歌たち』(アルファベーターブックス) など。