菅原光博 ジャズを撮る「追悼 ウェイン・ショーター」
photo & text by Mitsuhiro Sugawara 菅原光博
突然、ウェイン・ショーターの訃報が飛び込んできた。驚いた。不死身の男と思い込んだいただけに。ここのところ自分も体調を崩して会うチャンスがなかったキースのパートナーの顕子ジャレットさんと会った稲岡編集長から初めて聞くエピソードを伝えられたばかりだった。顕子さんによればキース・ジャレットがチャールス・ロイドのカルテットに在籍していた頃、ウェインからキースに共演の申し入れがあった。チャールスにひと言「ノー!」と言われ、共演が実現しなかったと言う。キースは興味があったらしいが、キースは半身不随となり、ウェインは旅立ち、この興味ある共演は永遠に夢に終わってしまった。
ウェインの訃報を聞き、一瞬、戸惑ったがすぐ思い直し、資料室に入って写真を取り出した。ウェインのファンと思い出を共有したかったからだ。
どれも日本で撮影したもので、ライヴ・アンダー・ザ・スカイ ’77に出演した V.S.O.P.@田園コロシアム、1981年のウェザー・リポート@普門館、最後の1点は1983年のウェザー・リポート@読売ランドである。
ウェインは、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズとマイルス・デイヴィスのカルテット、続いて自分も結成に加わったウェザー・リポートでの活躍、近年は自分のバンドで何度もグラミーに輝いた。
プレイヤーに加えて作曲の才も際立っていた。〈Speak No Evil〉〈Black Nile〉〈Prince of Darkness〉、多くのジャズ・ミュージシャンに愛されてジャズ・スタンダードになった〈Pinocchio〉〈Footprints〉〈Nefertiti〉と次々に出てくる。
享年89。8月の誕生日で90歳を迎えるところだった。