青木ひかる『Egberto Gismonti / Dança das Cabeças』『エグベルト・ジスモンチ/輝く水』
ブラジルのギター界の偉人、鬼才音楽家、ジャズ界の革命児、様々な異名を持つエルベルト・ジスモンチ。彼の初ECM作品であり代表作「輝く水 (ダンス・ダス・カベサ)」について紹介したい。
経緯についてだが、1970年までフランスで歌謡曲の作曲家をしていたジスモンチは、1971年に母国ブラジルへ帰国する。ここでインストルメンタルな楽曲制作に傾倒していたところ、1975年頃にECM創設者、マンフレート・アイヒャーと出会い契約を結ぶ。前年のベルリンで行われたジャズ・フェスティバルで共演した、同郷出身のナナ・ヴァスコンセロスと共に、自国ブラジルから約一万キロ離れたオスロのタレントスタジオで収録を行う。
作品の序幕は、耳を澄まし目を閉じれば、瞑瞼の奥に光彩陸離たる桃源郷が広がる。まるで彼らが楽器と共に故郷をトランクに詰め込んで、長旅から荷解きしたかの様だ。アマゾンの熱帯雨林の茂みからカナリア達や動物が遠方で鳴いている。ヴァスコンセロスがパーカッションで動物と化し、そこへジスモンチが霧の中から笛を奏で現れる様に彼らの挨拶は始まる。ジスモンチは次第に、多弦ギターやピアノ用いてブラジルの民族的旋律を歌い、迸る指捌きとマルチプレイで鬼才の頭角を現す。アマゾンの世界へ更に没入させるかの如く、ヴァスコンセロスが高鳴る鼓動を息吹に打楽器を操る。幼少期に育ったアマゾンの環境音が彼らの血肉となり、音楽家として体現された産物だ。後半になれば、フランスの印象派主義音楽を彷彿とさせる旋律とラテンリズムが織り成すソロピアノが登場する。ジスモンチがフランスで受けた影響と欧州音楽へのリスペクトが垣間見える。丁寧で品のある打鍵にも欣慕する者もいるだろう。ヴァスコンセロスがマレットでシンバルを叩くと章が変わり、再び2人の演奏となる。ジスモンチが鍵盤ハーモニカで前衛的な激しい打鍵と変貌し、ヴァスコンセロスがそれに対し、肉声と小物楽器を用いてラテンビートを刻む。その後ジスモンチが多弦ギターへと持ち替えフォルクローレの片鱗を見せる。その変幻自在に音楽を操る様は、音楽のボーダーレス化を先駆けている。
発売当初20万枚の売り上げ、アメリカやヨーロッパ各国からジャズのみならずクラッシックやフォルクローレ、ポップスの分野で評され賞賛を受ける。そして、ジスモンチとヴァスコンセロスが世界中に認知される代表作となった。ジャズ界に新しい境地を拓いたレーベルとして、ECMは彼らと共に趨勢を成せたのではないだろうか。
ここで欠かせないのは、ECMサウンドを確立し、彼らの世界を更に自然美へと導いた、録音技師のヤン・エリック・コングスハウクだ。米国がルディ・ヴァン・ゲルダー(略称:RVG)なら、欧州はコングスハウクだ。ECM創設者のアイヒャーが提唱してきた、「静寂の次に美しい音」を言い得て妙なサウンドへと施してきた。楽器音の抑揚と臨場感はあるものの露骨な存在感でなく、録音時に音場から生まれるハーモニーに微小なリバーヴ (俗に言うエコー) を加え、聞き心地の良い、柔らかくも透き通った空間を演出し、どんな媒体で試聴しても距離感が掴める楽器配置が特徴的だ。彼の創り出すサウンドは英国画家のターナーの代表作「松 (夏目漱石の小説に登場する名画「金枝」)」を見た衝撃と似た感覚で、遠近法を駆使し、光彩と空間を操り、柔和神秘的な自然を描写をする様にどこか形而上学的を想わせるアプローチで魅了する。コングスハウクが如何様にしてサウンドを創造したかの記録や資料は乏しく、謎に包まれたまま2019年に逝去。コングスハウクと同じ、録音技師を生業としてる私からこの場を借りて彼の功績を改めて礼讃したい。
閑話休題、ジスモンチとヴァスコンセロスだが、2016年4月に2人での来日公演を控えていた。しかし同年3月9日、ヴァスコンセロスが肺癌のため71歳で息を引き取る。「輝く水」の実演は幻となり空へと消えてしまった。2人が揃う姿はもう見れないが、作品が地球上に遺る限り、世界中で聴ける。それが録音の醍醐味だ。これからも音楽のジャンルの垣根を越え、世界中の音楽愛好家に語り継がれる名盤であり続けることを祈りたい。
ECM 1089
Egberto Gismonti (8-string guitar, piano, wood flutes, voice)
Nana Vasconcelos (percussion, berimbau, corpo, voice)
Recorded November 1976 at Talent Studio, Oslo
Engineer: Jan Erik Kongshaug
青木ひかる あおきひかる
レコーディング・ミキシングエンジニア。ディスクユニオン御茶ノ水駅前店でアルバイトを経験し、音楽とレコードの魅力に没頭する。その後、FM東京、JFNのミキサーを務め、フリーダムスタジオでレコーディング、ミキシングエンジニアのキャリアをスタートさせる。2022年に独立し、本業の傍らアナログレコードDJ,レコーディングコンサルタント等を行う。
Instagramアカウント→@hikaroomusica416