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特集『ECM: 私の1枚』

小美濃悠太『Ketil Bjornstad / The Sea』
『ケティル・ビョルンスタ/海』

はじめて「レーベル」というものを意識したのがECMだったと思う。

大学のモダンジャズ研究会の伝統的な様式に則り、ブルーノートレコードやリヴァーサイド、インパルスの歴史的諸作は「一般教養」(偏ってはいるが)として履修してはいる。マイルス・デイヴィスの例の4部作だって、プレスティッジというレーベルとの契約が生んだものだということも認識はしていた。

今にして思えば、レーベルごとにずいぶんカラーが違うことにどこかで気づいてもよさそうなものである。しかし、ジャズ研一年生がジャズの何たるかを知るにはとにかく「量」が必要であり、ジャズの分類学は二の次だった。どれを聴いても「ジャズだなぁ」としか思えなかった18歳が、はたと立ち止まり、レーベルとは何なのか、と考えるに至るまでに実に6年を要した。

さて、学生生活を終える頃、先輩ドラマーが彼の車の中で聴かせてくれたのが本稿の主題となるアルバム『The Sea』。先輩曰く、いいか、このアルバムに音楽の全てが詰まっている、これこそ音楽だ、と。いやいやそれは言い過ぎでしょう…と半笑いで返す前に、深いリヴァーブに包まれたチェロのトレモロ音が意識を暗い海へと連れていってしまった。

海が生と死を内包する巨大な存在であることに思い至るまで、わずか30秒。光と闇を象徴するピアノとチェロを、地の底から聞こえるギターが統合する。永遠不変に思えるその世界も、やがて鳴り出すバスドラムが時間を前に進めはじめる。三次元の奥行きと時間の経過の表現をもって、ひとつの世界の存在を切り取って見せてくれる音楽であった。その圧倒的な表現の前に、ただただ涙を流すばかり。

ECM諸作の中でも屈指のデザインである(と個人的に思っている)本作。そしてジャケットの右下に書かれたECMの文字。これを手がかりに自分の信じる音楽を探す旅に出て、ボボ・ステンソンやアンデルシュ・ヨルミンに出会い、北欧や中欧への憧憬を抱くに至った。おかげでいわゆる「モダンジャズ」からは遠いところまで歩いてきてしまったが、自分の音楽観にひとつ筋が通ったことは間違いない。

本作のリーダーであるケティル・ビヨルンスタの音楽を追いかけたかと言われるとそんなことはなく、続編の『The Sea II』もそれほど聴き込んではいない。本作と出会ったことの衝撃の大きさは、タイミングが作用した部分も大きかっただろう。あれから10年と少しが経ったが、今なお多くの示唆に富んだ作品をリリースし続けるECMのカタログからは目が離せない。


ECM 1545

Ketil Bejornstad (p)
David Darling (cello)
Terje Rypdal (g)
Jon Christensen (ds)

Recorded September 1994, Rainbow Studio, Oslo
Produced by Manfred Eicher



小美濃 悠太 おみの ゆうた
コントラバス奏者。1985年、東京生まれ。千葉大学文学部卒業、一橋大学社会学研究科修了。大学在学中から演奏活動を開始し、数々のミュージシャンの薫陶を受ける。モダンジャズからコンテンポラリージャズ、ヨーロピアンジャズ、ブラジル音楽まで貪欲に吸収し、国内外を問わず活躍。https://yutaomino.com/bio/
ライブ情報: https://yutaomino.com/live/

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