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特集『私のジャズ事始』

ジャズ無分別智 河合孝治

私の音楽への旅 は5歳の時に始まった。当時、開発されたばかりの電子楽器エレクトーンに触れ、2年ほど学んだ後、小学校入学を機にピアノへ転向。最初の先生は、テレビアニメ「鉄腕アトム」の主題歌で知られる作曲家、高井達夫氏だったが、父が転勤族の為、札幌、新潟、鳥取と転居を重ね、その間何人もピアノの先生が変わるが小学校6年生までピアノを続けた。野球ほどの熱中ぶりではなかったものの、ピアノのレッスンはまずまず楽しかった。しかし、それはあくまで受動的な学びの域を出ず、自発的にピアノに向き合うようになるには、後年のジャズとの出会いを待たねばならなかった。

中学進学と共に吹奏楽部に入部し、トロンボーンを担当することとなった。だが、そこで待ち受けていたのは、上級生による理不尽な「指導」だった。「ラッパを吹くには腹筋が肝要」との名目で、時折り1年生のみぞおちに拳を叩き込むのである。これは大学の体育会でよく耳にする「集合」と呼ばれる行為だった。いつ呼び出されるか恐怖でしかなかった。幸いにも中学2年で東京に戻ることとなり、この状況から解放されたが、この体験が尾を引いたのか、音楽への興味は薄れ、しばらくは自宅でポップスを聴く程度の関わりしか持たなくなってしまった。

しかし、東京へ戻った中学2年生の文化祭で、私の人生を変える出来事に遭遇した。2年生と3年生のバンドが演奏を披露し、2年生のバンドは都留教博(現在ニューエイジ系のバイオリン奏者・作曲家)がリーダーを務め、ビートルズのナンバーを演奏した。その演奏も良かったが、3年生のバンドの演奏が私の心を揺さぶった。

ギター、ピアノ、ドラム(恐らくベースはなかったと思うが)という編成で、3年生バンドはジャズを演奏したのだった。特にピアノを担当したAさんの演奏に、私は衝撃を受けた。あれほど自由にピアノを弾くことができるのかと驚いたのだった。それが即興演奏だと知った瞬間、私の音楽観が一変した。

多くのジャズミュージシャンやジャズファンがそうであるように、私もこの即興演奏との出会いがジャズへの興味のきっかけとなった。楽譜通りに演奏するクラシック音楽の固定的エクリチュール表現から解放され、自由な表現の世界に魅了されたのだった。この経験は、私の音楽人生における重要な転換点となった。

私をジャズに導いてくれたのは、マイルスでもコルトレーンの音楽でもなく、中学時代の一年先輩のAさんだった。

それを機に高校生活の幕開けと共に、ジャズという新たな音楽の扉が大きく開かれた。当初は手探りの状態でジャズピアノの練習に励んでいたが、やがて同級生たちを巻き込み、ピアノ・トリオにサックスとトランペットを加えたコンボ・バンドの結成へと発展していった。文化祭の舞台で、デイヴ・ブルーベックの「テイク・ファイブ」や、ジャズ・メッセンジャーズの「危険な関係のブルース」を演奏した記憶は、今なお鮮やかな彩りとして心に刻まれている。

高校3年生に差し掛かる頃には、音楽的探究心はさらに高まり、フリージャズへの傾倒や、ジョン・ケージ、シュトックハウゼンといった現代音楽に触れることで、自身の音楽性は次第に前衛的な方向へと舵を切っていった。

そして大学進学を機に、私の音楽的興味は一層の広がりを見せ、フリージャズや現代音楽に加え、民族音楽の世界にも足を踏み入れた。特に現代音楽の多様な表現に没頭する中で、私の心を最も強く捉えたのは、室内楽やオーケストラよりも集団即興の魅力であった。これは、ジャズ、殊にフリージャズからの影響が色濃く反映された結果だろう。特に1970年代の日本は、タージマハル旅行団、GAP、イーストバイオニックシンフォニアといった集団即興グループが多く存在した。

中でもGAPは、単なる技巧的な即興追求を超え、音楽を通じて思想や社会問題を喚起する卓越した存在として、私の関心を強く惹きつけた。彼らの活動に僅かながら関与する機会を得たが、その高度な思想的表現は時に難解を極め、本質が広く理解されなかったことは、今なお惜しまれる。

また同じ頃、現代音楽とフリージャズの研究会「イスクラ」へも時々顔を出していたが、そこで出会った末冨健夫(ちゃぷちゃぷレコード)とは、現在に至るまで本やアルバム制作での共創につながっている。さらにこの頃の思い出として、尺八奏者の中村明一氏と行ったデュオコンサートがある。それは高橋悠治、小杉武久、佐野清彦の楽曲演奏、さらにはフリーインプロビゼーションを探求するものだった。

1980年代に入ると、私の関心は徐々に音楽から現代アートへとシフトしていった。当時、アートの最前線を彩っていたのは、ビデオアートとパフォーマンスであり、ナム・ジュン・パイクやヨーゼフ・ボイスが脚光を浴びていた。私の興味は特にパフォーマンスに向かい、これもまたジャズから受けた影響の延長線上にあったように思う。この流れの中で、池田一氏のパフォーマンスに深く魅了され、現在では氏との共同活動を展開するに至っている。

さて改めて私にとってジャズ(特にフリージャズ)との出会いはどんな意味を持つかを省察すると、そこに仏教の説く無分別智の真意を見出すことができるように思う。人間の認識は往々にして「分別(ふんべつ)」という行為に根ざしている。「理解する」という言葉が「分ける」に由来するように、我々は日常的に国籍、年齢、性別、学歴、年収といった基準で世界を分類し、理解しようと試みる。しかし、このような固定観念や先入観による分別が、かえって事物の本質を覆い隠してしまう可能性は看過できない。

例えば宇宙船から飛行士が地球を眺めたとき、そこに国境という人為的な区分が存在しないことに衝撃を受け、それまでの世界観が一変するという逸話がある。この経験は、我々の日常的な分別意識がいかに限定的で、時に真実を歪めるものであるかを物語っている。フリージャズは、まさにこの宇宙飛行士の体験を地上にもたらす表現行為だと言えるのではないか。その全体の構造を規定しない音楽は、作動のまま、その都度自己言及的に境界を決定することで、分別された枠組みを超越し、純粋な音の流れと共鳴する感性のみが存在を許されるのである。

結局、私にとって、ジャズとの出会いは単なる音楽体験の域を遥かに超えるものであり、生き方そのものに深遠な影響を及ぼす存在である。固定観念や先入観から解放され、世界をより直接的かつ本質的な体験、つまり日常の「分別」の殻を破り、より開かれた自由な認識の世界へと踏み出す扉を開いてくれるのである。


河合孝治(かわい・こうじ)

サウンド・コンセプター。ISEA電子芸術国際会議、ISCM世界音楽の日々2010、サンタフェ国際電子音楽祭、ETH-Digital Art Weeks 2008 (スイス)、チリ・サンディアゴ・国際電子音楽祭 “Ai-maako 2006”、Opus-medium project 、東京創造芸術祭などで、主としてセンサーを使用したパフォーマンスや作品を発表。TPAF発行による「無分別智の現代音楽」、「新・仏教美学」、「現代音楽とメディアアートの空観無為」などの著書。また、ちゃぷちゃぷレコードの末冨健夫、アースアーチストの池田一との共創によるアルバム・プロデュースやアート誌(アート・クロッシング)の編集なども行っている。

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