ノスタルジックなひびきがジャズ 小沼純一
ジャズだ!とおもったことはない。発見も出会いも、とくに、気にしたことはない。
気づかないまま、1960年代、ジャズは、ジャズのかおりはそばに漂っていた。第二次世界大戦の後はすぐにながれこんできて、15-6年経ち、ちょっとは薄くなっていたかもしれないけれど。タイトルにブギとある流行歌はすこし古く、ブルースとついているのは健在なころ。
ジャズっていうんだ、とおもったのはTVでみたアメリカ映画、からか。『五つの銅貨』『ベニー・グッドマン物語』『グレン・ミラー物語』。『亜米利加交響楽』や『夜も昼も』。その他あまたのミュージカル。すでに時代はビ・バップからクール、エレクトリック。でも、モノクロが主の映画に馴染んだ子どもの耳にはノリのいい、ノスタルジックなひびきがジャズと認識された。
エリントンが二度目の来日をしたのは1966年。TVへの出演もあった。歌謡曲のバックで演奏し、見慣れているはずのビッグバンドが、全然違う音楽をやっている! これは驚いた。小学生になったばかりだったかな。エリントンの初来日は2年前の1964年。新潟地震が起こり、急遽チャリティ・コンサートをおこなった、と知ったのはずっとあと。
大阪万国博覧会のお祭り騒ぎも終わり、中学生になって、まわりはロック熱が高まっていた。ロックも聴いたが、おつきあい程度。こちらはクラシック/ゲンダイオンガクに軸足をおきながら、ときどきNHK-FMでジャズを聴いていた。アート・アンサンブル・オブ・シカゴに驚き、マイルスの来日公演をTVでみた。マイルス・アレルギーを発症、しばらく敬遠しつづけた。リターン・トゥ・フォーエバーの《スペイン》を、デオダートの《ツァラトゥストラはかく語りき》を買った。時代はエレクトリック・サウンドである。ジャズ入門書を買って、すこしずつコードをおぼえた。でも、入門書にあるコードや譜例は、まわりにあるのとは大違い。なんか古臭い。結局投げだした。
中高一貫校、正確にいえば小中学校、高校の一貫校に通っていたのだが、中3のとき、音楽系のクラブでお手伝いピアノを弾いた。もしかしたら、ここで、ジャズとすこしつきあえるようになったのかもしれない。演奏に加わる、音楽に参加する、という意味で。ごく短期間ではあったけれど。吹奏楽をやる人数がいないからビッグバンドもどきになるという編成。やったのはクインシー・ジョーンズ《アイアンサイドのテーマ》、エリントン《A列車で行こう》、ベイシー《クイーン・ビー》、バカラックやビートルズのナンバー、などなど。オリジナルの新作もあった。
あるとき手書きのパート譜が渡された。2学年上の先輩による書き下ろしだった。文化祭では演奏しなかったけど、カッコ良かった! しかも、クラシックに重心がある身からすると、スコアを書かず、パートごとに譜面を渡されるなんて驚異であり脅威。作曲は鷺巣詩郎さんだった。
こうして高校になるころにはクラシック/ジャズ/ロックはおなじ平面上にならんで、それがゆえ、勉学がおろそかになるという末路。まわりまわって、音楽と文学と折衷するしごとになるのはずっと先。そんなこんなをちらっと書いたのが、でたばかりの拙著『リフレクションズ JAZZでスナップショット』(彩流社)なのだった。
小沼純一 こぬま・じゅんいち
1959年東京生まれ。音楽・文化批評家・詩人。現在、早稲田大学文学学術院教授。
1998年第8回出光音楽賞(学術・研究部門)受賞。
音楽系著作に『小沼純一作曲論集成』(アルテスパブリッシング)、『武満徹逍遥』(青土社)、創作に『sotto』(七月堂)、編著に『武満徹エッセイ選』(ちくま文庫)他著書多数。最新刊に『リフレクションズ JAZZでスナップショット』(彩流社 2024.7)、『小沼純一 作曲論集成〜音楽がわずらわしいと感じる時代に』(アルテスパブリッシング)。