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No. 215InterviewsR.I.P. ポール・ブレイ

#70 (Archive: Part 1) – PAUL BLEY (pianist)

ポール・ブレイ
Interviewed by Ken Weiss (JAZZ IMPROV MAGAZINE) & Nobu Stowe
Photo by Hirohiko Kamiyama
Questions by Ken Weiss, Pachi Tapiz (TOMA JAZZ), Kenny Inaoka & Nobu Stowe

@ International House, University of Pennsylvania (Philadelphia)
2008年10月25日

取材協力:Mark Christman (Ars Nova Workshop)/ David Good


去る2008年10月25日、フィラデルフィアでポール・ブレイとドラマーのリチャード・プール(www.richardpoole.com) のデュオ・コンサートが催されると聞き思い切ってインタヴューを申しこんだ。主催は、当地でアメリカ内外の著名な前衛派を中心に精力的にコンサートをプロモートしているアースノヴァ・ワークショップ。この団体の活動の詳細は、ホームページを参照して欲しい:www.arsnovaworkshop.com

フィラデルフィア在住の批評家/写真家のケン・ウェイス氏もアメリカのJAZZ IMPROV MAGAZINE誌のためのインタヴューを計画中と知った。スペインのTOMA JAZZ誌 (www.tomajazz.com) の編集長パチ・タピス氏からも「インタヴューへ是非参加させてくれ」と熱い要望があり、JAZZ TOKYO/JAZZ IMPROV MAGAZINE/TOMA JAZZの日/米/西3誌での共同インタヴューと相成った。

ウェイス氏/タピス氏/稲岡編集長及び筆者(須藤伸義)が用意した質問をウェイス氏と筆者が交互に、ポールに聞く形式を取った。本誌及びTOMA JAZZ用の写真は、何時も通り神山博彦氏が撮ってくれた。

ポールのコンサートは、ゲイリー・ピーコックbとポール・モチアンdsとのトリオを過去2回すでに経験している。しかし、ピアノとドラムという変則的デュオは、自分個人にとって特別重要な編成なので大いに期待して出かけて言った。(註1)

註1:個人の宣伝で恐縮だが、ドラムのアラン・マンシャワーとのデュオ及びマイルス・デイヴィス等との活動が有名なタブラ奏者=バダル・ロイを加えたトリオで『アン・ディー・ムジ-ク』(SOUL NOTE)という作品を発表していますので、興味のある方はチェックして見て下さい。本誌でのレヴューは:www.jazztokyo.com/newdisc/482/stowe.html

公演1時間ほど前に会場に着き、ポールと雑談する機会を得たが。ポールは、終始上機嫌でジョークを飛ばしていた。「ウォーム・アップは、カンニングだ」ということで、事前の音合わせをパスした。しかし、これが裏目に出て、ピアノのチューニングの狂いに公演開始後に気づく事態となってしまったのだ。

演奏継続を拒否したポールは、楽屋に引き込んでしまった。場を持たせるために、リチャードが、ドラム・ソロを15分間ほど披露。興味深い部分もあったが、状況のせいもあり精彩にかける演奏だった。

プロモーターの説得に応じやっとステージに顔を出したポールだったが、ドラムとのデュオを拒否し、ソロで演奏を始めた。チューニングが狂っているピアノという状態を考えれば、『ソロ・イン・モンドゼー』(ECM)を思わせる中々の演奏を聞かせてくれたが、20分ほどで演奏を切り上げてしまった。

その後、インタヴューのキャンセルを覚悟しつつ、ホテルへ向かったポールを追いかけた。しかし、出迎えたポールは上機嫌に戻っていて、素直にインタヴューに応じてくれた。

♪ 練習することは、カンニングすることと同じだ

Ken Weiss (KW): 最近の生活及びコンサートの状況は?

Paul Bley (PB): ゼロから出発した自分にとって「これ以上のものは望み得ない」という位、最高だね。 人生の最終章を迎えるにあったって、幸せな結婚生活や美しい娘達・孫達に囲まれ、150を超えるレコーディングを達成することができたんだ。成功の秘訣は「辛抱強さにある」と思う。一過性のピークで終わらないように、つねに成長の余地を残すように心がけてきたんだ。毎年20-30回のギグで生活を支えられるように、貯蓄してきた。ある程度不動産があれば、毎年一ヶ月間ほど働くだけで、十分な暮らしができる。タクシーの運転手に「一ヶ月働いて後の11ヶ月は休業する生活をしている」と言うと、信じてくれないが...。(笑い) 要するに、何も不満無く大変満足しているよ。

KW: 練習は?
PB: 出来るだけしない。練習することは、カンニングすることと同じだからさ。

KW: 大変ユニークな演奏スタイルを保持していますね。
PB: ユニーク(Unique)という単語は、宦官 (Eunuch)に似ているな。

KW: 他意は、無いですが...。
PB: 言葉の響きは、関連する単語を想起させ、また、暗示する。とくに形容詞の使用は、難しい。ユニークは、そういった形容詞で、慎重に使わなければならない。

KW: 分かりました。以後、気をつけます。もしかして、前世で英語の先生だったとか?
PB: かつて、ニューイングランド音楽院で1-2年程教鞭を執った。一ヶ月に一回程、大きなロブスターが食べられるのが魅力だった。しかし、教師としての情熱は、すぐ冷めてしまった。人生、『人に教える』ことを生業にするか、自分の目標に向かって『走り続けるか』どちらかひとつさ。

KW: 質問に戻ります。他のミュージシャンに比べて、ポールさんは、スペース(静寂)を音楽に生かすことにことさら長けているように思います。現在のテクニック至上主義のミュージシャンとは、一線を画する存在です。
PB: 重要なのは、バランスさ。音数の多い演奏とスペース生かした演奏を対峙させることにより、音楽を引き立たせることができる。

Nobu Stowe (NS): 今日のコンサートもそうですが(註2)、長い音楽生活において、数々のデュオを演奏・録音されてきました。デュオの“特別性”とは?
註2:実際は、すでに記したように、デュオのコンサートを楽しむことは、できなかった。

♪ 最初、乗り気がしなかった『オープン、トゥ・ラヴ』録音のオファー

PB: デュオもたくさん演奏して来たが、個人的にはソロの方に魅力を感じる。1972年にECMレコードに吹き込んだ『オープン、トゥ・ラヴ』に因む話をしよう。マンフレッド・アイヒャーが、ソロ・ピアノでアルバムを制作しないかと持ちかけて来たのは、もうだいぶ前の話だ。当時ECMは、チック・コリアpやキース・ジャレットp等のソロ作品を発表していた。

最初乗り気がしなかったので「少し考えさせてくれ」と答えておいた。それまでは、グループとしての音楽表現を念頭に活動していたんだ。しばらくして、当時率いていたクィンテットの練習時、試しにソロで演奏してみた。すぐに分かったことは、グループ演奏に比べソロの方が、音楽の自由度が大きく広がるということだ。すぐマンフレッドに電話して、「ソロ・レコーディングをぜひやらせてくれ」と頼んだね。結果には、大変満足しているから、マンフレッドに感謝しないと。

しかし、次のソロ作『ソロ・イン・モンドゼー』を2001年に録音させてくれるまで、だいぶ待たされたな。でも、それは、結果的に良い効果をもたらせた。『オープン、トゥ・ラヴ』から『ソロ・イン・モンドゼー』までの期間、僕のソロ・ピアノのスタイルは、確かなる変化を経て熟成を遂げたと思う。

NS: 1971年から2001年の間に、他のレーベルにもソロを吹き込んでいますが...。
PB: たしかにECMに待たされている間、幾つかのレーベルにソロ作品を録音して来た。いうなれば、それらの作品は、ECMへのソロ第2弾を吹き込むにあたっての「ウォーム・アップ」の役割を果たした。ECMは、それくらい“特別”なレーベルということさ。おかげで、準備万端の体制で『ソロ・イン・モンドゼー』の録音に臨むことができたよ。

最近、マンフレッドが、オスロでのライヴ・レコーディングを提案してきた。その案に乗り、今年(2008年)の8月にオスロの教会でソロの新録音をした。セロフォンに覆われた教会で変な景観だった。じつは、マンフレッドは、あまり視覚的なことに無頓着なんだ。だけど、個人的に、やる気十分だったので、オスロ・ジャズフェスティバルでのソロを(変わりに?)録音した。

NS: 『ソロ・イン・モンドゼー』に収められている楽曲は、即興されたものですか?それとも、作曲を基に演奏されたのですか?
PB: 難しい質問だね。何故かと言うと、同じ(即興)演奏を2度演奏することは不可能だからだ。即興の核心は『瞬間の閃き』にある。だから、何のプランも無しに即興を始めることもあれば、他人の作曲を即興の導入に使うこともある。一方のルールを、押し付けることはしない。つねに自由な姿勢を、保持したいんだ。目標は、前と同じ演奏をしない~クリシェを回避すること~にある。達成困難な目標だ。あまり音楽の先生に、私がこう言っているって、知ってもらいたくない話だが、『音楽的成長は、植物の成長に似ている』。植物に世話をかけすぎると成長を妨げてしまうように、練習や努力は、音楽的成長にとってできるだけ少しで良いということさ。同じレパートリーを繰り返し演奏することによって、音楽は成長する。安心を得るために、10時間の練習をしたいならすればいい。しかし音楽は、練習するか否かにかかわらず成長するんだ。

NS: 即興の核心は『瞬間の閃き』にあるとすれば、『ソロ・イン・モンドゼー』の第1音は「鳴るべくして鳴った」ということですか?
PB: 無から始め、音楽が何処に行くか見届けるんだ。『ソロ・イン・モンドゼー』の第1音は、その時に必要だった“音楽”だ。前に鳴っていた音を消し、新たな一歩を踏み出すんだ。

♪ カーラ・ブレイとアネット・ピーコックは素晴らしい作曲家だ

NS: カーラ・ブレイp/compやアネット・ピーコックvo/compの楽曲を多く取り上げています。彼女たちの曲に惹かれる理由は?
PB: 自分のガールフレンドたちが、素晴らしい作曲家に変身するなんて、誰も想像もつかないだろう?(註3)恋に落ち、素敵な女性が自分のものになったと喜んでいると、素晴らしい作曲家に変身するんだ。

註3:ポールは、最初カーラ・ブレイと結婚した後、ゲイリー・ピーコック夫人だったアネット・ピーコックと再婚。その後、ヴィデオ・アーティストのキャロル・ゴスと再々婚し現在に至っている。

NS: カーラ・ブレイが作曲を始めたのは、ポールさんと付き合う以前ですか?
PB: いい質問だ。その答えを言おうとしていたんだ。まず僕は、ゲイリー・ピーコックにカーラが知っていることをすべて教えた。カーラは、僕にアネットが知っていることをすべて教えてくれた。同じことをあと二回繰り返せば、話が完結するだろう。

NS: スティーヴ・スワローbの存在が抜けていると思うのですが?(註3)
註3:カーラ・ブレイは、ポールとの離婚後トランペット奏者のマイク・マントラーと再婚したが、その後スティーヴ・スワローと生活を共にしている。ポールと一番長く重要な関係を持つベーシストは、スワローとゲイリー・ピーコックという事実を考えれば、関係の“複雑”さに気がつくだろう。

PB: スティーヴの話は無しだ!(笑い)皆、スティーヴのことを愛している。カーラがスティーヴと結婚するか、僕がスティーヴと結婚するかの競争だったんだ。カーラに負けたよ。みんな、スティーヴと結婚したがるんだ。彼は、世界で一番“スイート”な男さ。スティーヴと一緒になれば、もう他の誰とも暮らせない。

KW: アネット・ピーコックが作曲を始めたのは、ポールさんと付き合う以前ですか?
PB: どうも、僕のせいでアネットやカーラが作曲を始めたかのような質問だね。彼女たちのキャリアに口をはさんだことは無いよ。世の男は、女性の自主性を尊重しなさすぎる。そのせいで、彼女たちの栄光が妨げられてしまうんだ。僕が彼女らの世話をやいたなんてとんでもない。怠け者だからね。彼女らは「天才」さ。成るべくして作曲家になったんだ。アネットの曲<ナッシング・エヴァー・ワズ、エニイウェイ>なんて、本当に素晴らしい!タイトルだけで、何て詩的なんだろう!

NS: カーラ・ブレイの代表曲<アイダ・ルピノ>とは、誰ですか?
PB: アイダ・ルピノは、1940年代の有名な映画女優兼監督さ。カーラは、彼女に捧げてこの曲を作ったんだ。

KW: レコーディング回数が一番多いミュージシャンという噂は、本当ですか?
PB: そのことは、秘密にしておいてもらわないと困るよ。レコーディング回数が多いミュージシャンだと知れ渡れば、誰も僕にアルバム制作の依頼に来なくなるだろう。個人的見解では、僕は『いちばんレコーディングの機会に恵まれていないミュージシャン』さ。

KW: ESPレコードから最近再発された『クローザー』(1965年度作品)とECMレコードからの『オープン、トゥ・ラヴ』(1972年度作品)は、私の最も好きなポールさんの作品ですが、制作姿勢にかなり隔たりがあるように思うのですが?
PB: 勿論。制作年度が10年以上、違うからね。

JI: 『クローザー』は、(その当時)分かれたばかりのカーラ・ブレイに対する思いが感じられるのですが。
PB: 『別れ』が、悲しいとは限らないよ。女性に別れの主導権を取らせるのは、良いことだよ。たとえ、自分自身が別れたかったとしてもだ。

NS: じゃあ、別れ話はカーラから?
PB: じつのところを言うと、僕の別れ話はみんな女性側からさ。良いマナーだろう。カナダ人だからね。紳士なのさ。(笑い)女性を捨てるなんてとんでもない話さ。大変なダメージを与えることになるからね。別れ際こそ女性にパワーを与えるべきさ。彼女らの幸せのためにね。この世界は、男に有利なようにできている。だから、男として最低できることは、自分が持っているものすべてを女性に与えることさ。社会は、彼女たちに冷たいからね。僕は、女性と別れるとき、出会った時以上の状態に彼女らを置く。それは、良いカルマさ。

KW: 『オープン、トゥ・ラヴ』に収められた<アイダ・ルピノ>は、本当に素晴らしい演奏です。とくに空間の使い方が絶妙です。ムーグ・シンセサイザーを使った“実験”のフィードバックが、ピアノ奏法上の独自性として生かされているように感じるのですが?
PB: (演奏されている楽器が)ピアノと考えるのは、間違えているよ。僕は、自分のことを“ピアニスト”とは考えない。ピアノの前に座った時「鍵盤がストリングに繋がった機械の前にいる」と考えるようにしている。ピアノじゃないんだ。ピアノだと思った瞬間に、色々な(ピアノに対する)歴史や取り決めごとに精通しなければならないし、縛られるんだ。そんなこと、誰が決めたのか?ピアノを“現在形”で捉え直さなければ、駄目だ。楽器の(慣例に捉われない)全体像を把握・理解するんだ。そうすれば、自ずと「自分が今その瞬間に、何をなすべきか?」という問いに対する答えが見つかるはずだ。それが「ジャズ」だ。「ジャズ」の核心だ。ピアノは、共鳴する楽器だ。だから、15分間同じ音を共鳴し続けることは意味のあることだ。とくに30分かそこらの演奏についてギャラを貰っている時にはね。(笑い)たくさんの音符を弾くことに、何の意味があるのか?弾いた音の数に応じてギャラを貰っているのなら別の話だが...。そんな話は無いだろう。ミュージシャンは「観客が自分たちより音楽に関する訓練が足らない」という事実を熟慮するべきだ。観客の立場で音楽を演奏しなければいけないんだ。過度の情報=音符過多は、混乱を招くだけだ。(コメディアンは、)観客の反応を見ながら、ジョークを繰り出すだろう。音楽も同じことだ。急ぐ必要は無い。

NS: 以前、「世界で一番“鈍い”ピアニストになる努力をしている」と仰っていましたね。
PB: 「世界で一番“早い”ピアニストになる努力をしている」とも言ったよ。現在は、「世界で一番“駄目”なピアニストになる努力をしている」。もう少しさ!

KW: その目標まで、あとどれぐらいですか?
PB: 失敗が自分の演奏の「自然なパート」になるまでさ。

♪ チェット・ベイカーの思い出

JI: たくさんの一流ミュージシャンと共演されてきましたね。
PB: ベン・ウェブスターtsから始まり、すべての一流ジャズマンと共演して来たね。共演の機会にこそ恵まれなかったが、ルイ・アームストロングtp/voと同時期にベイズン・ストリートにも出演したよ。重要なのは、色々なミュージシャンと“録音”してきたということだ。“共演”は、一過性の出来事かもしれないが、“録音”を共にするということは、それ以上のことさ。彼らと生活を共にし、ソウルを共有しあうということだからね。

KW: ポールさんが録音を一緒にしたミュージシャンのひとりが、チェット・ベイカーtp/voです。チェットは、ポールさんの演奏スタイルに多大な影響を与えたと聞いています。1955年に、チェットのバンドに参加するためにカリフォルニアに出向いたんですよね? チェットについて何かコメントは?(註4)
註4:チェットとポールは、デュオで『ダイアン』(1985年度作品)という好作品をSTEEPLE CHASEレコードに残している。

PB: じつは、チェットに関して大変気に入っている話があるんだ。もう長いこといろいろな人に話してきたが、あとで「間違っている」と分かった話だがね...。1955年の冬のこと、私はニューヨークにいた。ドラマーのエドガー・ベイトマンが、レコーディングの仕事を用意してくれたんだ。雪が多い年で、毎日凍え死にそうだった。そんな時、チェットから電話があり、ロス・アンジェルスのクラブでの一ヶ月間の仕事と録音へ誘ってくれた。(註5)勿論「2月のニューヨークから脱出しカリフォルニアに行けるなんて、大変ありがたい!」とすぐに受諾したんだ。何年も経って、チェットと(フランスの)アンティーブ・ジャズ・フェスティバルで話す機会があった。カリフォルニアに誘ってくれた御礼をちゃんと言おうと思いその話をしたら、チェットは、電話をしてきたのは、私のほうだと言うんだ!(笑い)

註5:チェットのバイオグラフィー・サイト=www.chetbaker.net によれば、1955年に行われたチェットとポールの録音は、確認出来ない。

KW: チェットの薬物中毒について、何かコメントは?
PB: チェットのバンドにいた連中は、皆(ヘロイン=阿片)ジャンキーだった。録音の最中すら、注射を打っていたんだ!だけど、驚いたことに普通に演奏できていたな。普段以上のエネルギーだったかもしれない。自分に、「大変危険な仕事を引き受けてしまったな」と呟いたよ。

KW: どうやってその仕事から“生還”したのですか?
PB: うーん、ワインすら飲まないことが幸いしたのさ。10代の頃は、周りはみんな酒飲みだった。だけど、私は酒を飲まない。好きじゃないんだ。

KW: ドラッグがジャズ界に蔓延していた時に活動していたわけですね。ポールさん自身のバンド・メンバーは、どうでしたか?
PB: どの世代にも『悪い癖』があるよ。たとえば、スイング時代のミュージシャンは、みなアルコール中毒だった。スティーヴ・スワローが言うには、ピー・ウィー・ラッセルは、フレーズごとに起こさなければ演奏できないほど、つねに泥酔状態だったらしい。

♪ レコード業から足を洗った...

KW: 1974年に、キャロル・ゴスとIAI(Improvising Artists Incorporated)レコードを設立されました。その当時、他のミュージシャンの多くも自分たちの音源を発表するためにインディー・レーベルを立ち上げました。しかし、ポールさんは、レコード発表の機会に恵まれていなかったわけではないと思いますが...。
PB: IAI設立の原動力は、キャロルさ。個人的には、プロデューサー業に興味があった。キャロルは、自身がヴィデオ・アーティストなので、ヴィデオ・アーティストとインプロヴァイザーとのコラボレーションをプロデュースしたかったんだ。自主レーベルを持って、『他人が自分の作品を録音してくれること』について『大いなる感謝の念を持たなければいけない』と学んだ。赤の他人が、金や手間暇を惜しまず、自分の作品を世に出してくれるんだ。プロデューサーやレーベル・オーナーの悪口を言うミュージシャンがたくさんいるが、何も分かっていないね。そういったミュージシャンは、自分のレーベルを持ち、『レコードを作って売るということ』が、いかに大変か身に染みさせるべきだね。それが分かった時点で、自主レーベルを維持する気持ちが萎んでしまったのさ。短期間しか、続かなかったよ。

KW: 前の質問に戻りますが、レコード発表の機会を得るためにIAIを立ち上げたのですか?
PB: そうじゃない。面白いアイディアだと思ったから、始めたんだ。自分の好きなアーティストを選び、録音させる。リー・コニッツasやジミー・ジェフリーreedsがIAIに残した(独得な)作品は、レーベルがチャンスを提供したからこそ実現したんだ。(註6)レコード会社というのは、大変な仕事だ。そのことを理解せず、多くのミュージシャンは『ギャラが少ない』とか文句を言う。とんでもないことだ。『レーベルが努力しているからこそ、作品発表の場が広がっている』、という事実を肝に命じるべきだ。ミュージシャンに賞を贈るより、レーベル・オーナーにこそメダルが贈られるべきだ。

註6:ポールは、IAIにコニッツと『ピラミッド』(1977年度作品)、ジェフリーと『クワイエット・ソング』(1974年度作品)及び両ミュージシャンと『IAI フェスティバル』(1978年度作品)を録音/発表している。

NS: IAIレコード“再始動”のプランは?
PB: そんなこと言わないでくれ!聞きたくもない!

NS: IAIに残された好作品が廃盤状態なのは、残念な状況だと思うのですが。(註7)
註7:じつは、レーベル・サイト(www.improvart.com)でIAIレコードの全カタログを購入することができる。

PB: 良いことだ。そのままにしておいた方がいい!もう、レコード業から足を洗ったんだ。

KW: IAI作品と同じように、ポールさんの著作も手に入れにくい状態が続いています。
註8:ポールの著作『Time Will Tell 』と『Stopping Time』は、IAIのレーベルサイト(www.improvart.com)で購入することができる。

PB: レコードだろうと本だろうと、手に入れにくくすれば“ヒーロー”になることができる。誰も、批判できないからな。

KW: ポールさんの著作は、インターネットで何百ドルもの値段で取引されているのですよ。音楽を止めて作家になる案は、どうですか?
PB: 音楽を止める気は毛頭無いよ。作家なんか、音楽家より飽きられるのが早いからな。 大体、1年につき1ヶ月演奏すれば生活が成り立つんだ。(この状況を考慮すれば)音楽を止める必要が、何処にあるというんだい?好きにできる時間が、いっぱいあるんだ。

須藤伸義

須藤伸義 Nobuyoshi Suto ピアニスト/心理学博士。群馬県前橋市出身。ピアニストとして、Soul Note(イタリア)/ICTUS (イタリア)/Konnex(ドイツ)の各レーベルより、リーダー作品を発表。ペーリー・ロビンソンcl、アンドレア・チェンタッツォcomp/per、アレックス・クラインdrs、バダル・ロイtabla他と共演。学者としての専門は、脳神経学。現在スクリプス研究所(米サンディエゴ)助教授で、研究室を主宰。薬物中毒を主とするトピックで、研究活動を行なっている。

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