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インプロヴァイザーの立脚地No. 320

インプロヴァイザーの立脚地 vol.26 今西紅雪

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
Interview:2024年10月22日 上野にて

今西紅雪のことを即興にも活動を拡げた筝奏者と捉えるのは妥当ではない。サウンドアートや電子音楽などとの関わりの中で自然に即興演奏を行ってきた人である。彼女にとって即興とは「ありのままの自分」だ。

音楽家になろうと思っていた

筝が生家にあった。書道家、画家でもある母親がたしなむ芸事のひとつだった。音楽好きの父親のおかげでピアノもあった。幼少期の今西は箏よりもピアノを好み、親友のように接して1日に7時間くらいも弾いていた。

習い事として箏をはじめたのは、小学5年生のとき向かいの家のお姉さんが箏教室を始めたことがきっかけだ。中高と箏を続け、先は音楽家になろうと思っていた。それは箏に限らなかったし、高校では美術部で絵も描いていた。願望は漠然としたものだった。

今西は、大学で英文学を勉強したあと、大阪に創設されたIMI(インターメディウム研究所)のサウンドメディアコースで現代音楽の有馬純寿やヲノサトルに師事した。大学などを卒業した人たちを対象とするアートスクールである。変人が多く居心地がよかった。ヲノのイヴェントでコード巻きなどしているうちにクラブミュージックの世界にはまり、海外レーベルと日本のハコの交渉を手伝うようになった。

ロンドン

その後ロンドンに留学した。英国のレーベルと直にやりとりすることも大学で学んだ英文学の世界に触れることもできるし、誰も知らない場所に行くためでもあった。箏もピアノも置いて行ったが、縁あってピアノのある家に住み、箏を沢山所蔵するロンドン大学の大学院で民族音楽学を学んだ。あらゆる国の民族楽器の演奏家がいて、シタールやタブラと一緒に演奏したり、アフリカのコラを少し習ったり、ヨーロッパ唯一の沖縄音楽のバンドに入ったり、中国の古琴や韓国の伽耶琴、コムンゴといった箏の親戚と出会えたり、日本音楽を教えたり。それもこれも国際都市ロンドンならではのことだった。オックスフォード・ストリートにあるヴァージン・レコーズ&メガストアの店主と知己を得て、店に行くたびに良いCDを教えてもらった。かれはカムデンタウンの店でイヴェントを主催しており、そこで箏を演奏し始めたのが最初のライヴ活動だった。このときには既にエフェクターを用いてミニマルミュージックを演奏していた。さまざまな刺激があった。

そのころ演奏していた曲は、自分のオリジナルやスティーヴ・ライヒのようなミニマル系の曲だ。ソロや尺八とのデュオなども演った。箏への接し方が日本にいるときとは異なることもあって、現地在住の箏奏者に箏と三味線のレッスンを受けた。また、箏が貴重なロンドンだからこその考案もした。たとえば<Music for Two Kotos>という向かい合わせのデュオ曲は、琴柱(ことじ)を左右両方に付けて両側を使い片方は軽く練習した参加者が弾くといものだ。

田中悠美子(三味線、大正琴)の知己を得たのもロンドン時代である。渡英したころ、たまたまフライヤーを手にして大友良英の率いるGround-Zeroのライヴを観に行ったところ、田中も出演していた。再会したのは4、5年が経ったあと、ロンドンを引き払い帰国する帰路に立ち寄ったシンガポールでのこと。クラスメイトがアートフェスを取材するというので同行したら田中もいた。以前より『邦楽ジャーナル』に田中が寄稿した文章も読んでいたし、話をして盛り上がった。邦楽にこんなおもしろい人がいるのかと思った。

帰国、大阪

彼女はことばの存在をもどかしく感じることがあった。どこの国でも友人ができたのは音楽があったからだ。日本に帰ってきてからは、ことばに向き合おうと考えて翻訳の仕事を始めた。大変な仕事だったが、一方でライヴ活動を始めたら健康になり、他者とのコミュニケーションもでき、気持ちが楽になった。

帰国したころまでは即興シーンのことなど知らなかった。好きなのはクラブカルチャーや現代音楽。当時、南港の赤レンガ倉庫を拠点とする大阪アーツアポリアというNPOがあり(2000~2017年)、現代美術やサウンドアートのアトリエ、ライヴ会場、ライブラリーとして機能していた。今西も出入りして、小島剛(現在、大阪音楽大学)が手掛けるサウンドアートの活動を手伝った。小島のPCやバンジョーとのユニットを組んで即興演奏のライヴを演ったりもして、自然に即興シーンに居場所を見つけていた。

同時期、磯端伸一(ギター、高柳昌行に師事)とデュオを組んだのが本格的に即興演奏に関わり始めたきっかけとなった。イタリアから来たジャンニ・ジェビア(サックス)、磯端と神戸のBig Appleで共演した体験は素晴らしいもので、その後、ジェビアとの共演を重ねることになる。

コモンカフェ(2004~23年)では児嶋佐織(テルミン)と定期的に即興ライヴを開催し、それが短冊というユニットになった。短冊は即興から生まれた曲もたくさんあり、必ず即興的要素があり毎回違うのがコンセプトのひとつだという。山内桂(サックス)やユーグ・ヴァンサン(チェロ)とはじめて手合わせしたのもこの時期だ。

シーンに意図的に属するわけではないものの、関西にはゆるやかにつながるコミュニティがあった。

電子音楽、アンビエント

関西では和楽器女子グループを組んだ。今西の箏の他に和太鼓、津軽三味線、篠笛が何人も入るユニットであり、ライヴをやるとどこでも満席になるくらいの人気があった。また邦楽でYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のカバーを演るユニットも結成し、YMOメンバー3人と同じステージで演奏することもあった。坂本龍一ファンだったから、夢が現実のものになってしまった。電子音楽やテクノの影響は確実に受けている。

いま、そのシーンにいた人たちの多くがアンビエント音楽を手掛けている。ほとんど即興演奏であるともいうことができるし、箏とも相性がいい。

「Off-Tone」は日本ではじめてのアンビエントの野外フェスティヴァル「CAMP Off-Tone」を開催したレーベルで、今西はいまなおそこでも活動している。また、アンビエントのレーベル「涼音堂茶舗」は毎年京都法然院で「電子音楽の夕べ」を開催しており、そこにも出演している。

東京

今西は2012年から東京に住み始めた。クボタテツ(PC)、行川さをり(vo)、岡野勇仁(ピアノ)らと頻繁に共演もして、東京も愉しいなと思うようになった。今西玲子から今西紅雪に改名したのは2017年。事情があってのことだが、大阪を中心とした活動に胡坐をかかないほうがよいとの気持ちも反映した。なお、紅雪は母親が書家として使っていた名前だ。

2018年になり、巻上公一(ヴォイス等)のプロデュースで「JAZZ ARTせんがわ2018」に出演した。もちろんヒカシューのことは昔から知っていたし、共通の知り合いという縁があった。そのときちゃんと把握しておらず、フライヤーに話題のピーター・エヴァンス(トランペット)、石川高(笙)との共演者として自分の名前を見つけ、驚いたという。

せんがわへの出演はとてもいい体験だった。それまで男社会から引き気味なところもあったが、あらためて即興をおもしろいと思うことができた。今西は、「ほんの一握りでもそういう新境地に至ることができるのが即興の凄さだと思う」と言う。

彼女にとって、即興とは「本当の意味でありのままの自分がさらけ出されるので良い時も悪い時も清々しい」ものだ。人に教えられるものではなく、現場での偶然性を前提として実践するものだ。今西は、これを機に即興シーンに迷いなく入っていくことになる。

せんがわでは坂田明(サックス)との縁もできた。リハーサルを見ていた坂田が、箏を演奏する今西に対して「隙間産業!」と声をかけてくれたのだ。うれしい出来事だった。坂田はその日のうちに今西とのデュオをブッキングしてくれた。坂田のような巨匠がフランス帰りの若いサックス奏者から新しいテクニックを学んでいると話してくれたのも驚きだった。今西自身も、また学ぼうかなと考えるきっかけになった。

翌2019年には、マット・モッテル(キーター)とケヴィン・シェイ(ドラムス)のデュオユニット・タリバム!、トム・ブランカート(ベース)とルイーズ・ジェンセン(サックス)とのデュオといったニューヨークあたりのアヴァンギャルドとの共演の機会も得た。

コロナ期に入り、箏を学ぶため竹澤悦子に師事することにした。竹澤は即興演奏も行い、音楽的方向性がいいなと思える存在だった。学んだ結果、古典曲などで弾き方も変わってきた。何より一匹狼であった今西にとって竹澤との出会いは大きくあたたかいものだ。

最近では通常の箏(十三絃)に加えて十七絃箏を使うインプロヴァイザーが多く、今西も音色が好きだという。だが、いまの彼女にとって十七絃は必要とする楽器ではない。幅広い音を出すという点ではピアノという存在があるし、なにより楽器が大きすぎて運搬を含め身の丈に合わない。演奏の出発点がミニマル音楽でもあり、音の数は少なくてよいと考えている。サウンド全体を捉えるなら、箏という楽器の世界だけに住むことはできない。

箏の楽譜は西洋音楽のそれとは異なっている。演奏の際に渡されることもあるが、書き込まれた音符やコードを積極的に使わないようにしているという。もとより箏曲は調絃によって成り立ってもいて、コードでもないし五線譜の中で音をどう使うかという世界でもない。どのように伝え、どのように美しい状態を作るか。

もちろん五線譜的なアプローチを選ぶ箏奏者もおり、細かく琴柱をずらしたりして巧みに箏を扱う。大変だが、そのようなこともできなくはないだろう。それに喜びを感じるか、そうでないアプローチを選ぶかの違いである。今西は後者だ。

そのようなスタンスでいえば、アルゼンチン音響派のフェルナンド・カブサッキ(ギター)とは大阪時代に縁ができてから相性がいい。事前に調弦の並びだけを共有し共演に臨む。それはジャズのアプローチではない。

今後の表現

2017年にJazztronikの野崎良太に見出され、田ノ岡三郎(アコーディオン)、高橋弥歩(サックス)と組んで野崎主宰のレーベルMusilogueからアルバム『秘色の雨』を出した。いまでも海外を含めて聴かれているアルバムであり、いい形にすることができた。今年(2024年)の5月には野崎が今西の特殊奏法を駆使して作曲した楽曲『蒼穹・弦舞』が発表された。

アルメル・ドゥーセ(アコーディオン)とマチュー・メッツガー(ソプラノサックス)によるデュオ「Rhizottome」、ヴィジュアルアーティストの仙石彬人とのプロジェクトでも、2017年にアルバム『庭師の夢・根無し草』を出した。もともとフランス人ふたりが京都にアーティスト・イン・レジデンスの形で滞在したときに知り合い、意気投合して組んだユニットであり、フランスツアーも行った。このプロジェクトは来年(2025年)に日本で再演予定で楽しみだという。

京都の電子音楽家・武田真彦と茶人の中山福太朗、メディアアーティストのジクリ・ラフマットと今年取り組んだ『置花』というインスタレーション作品は、茶の湯と作曲に共通する「配置」の美学に着目し、互いの空間・時間に対する感覚をそれぞれの手段を越えて響き合わせることを試みるものだ。今後の展開も楽しみな手応えを感じている。

2011年には、最先端のアート・ヴィジュアル・音楽の要素を融合した世界的祭典「SONAR SOUND」が東京で開催され、今西も出演した。古舘健(エレクトロニクス)とのデュオ「メタル・マシーン・ミュージック」はノイズミュージックの領域に及ぶものだった。

こういったプロジェクトも、またやりたいと考えている。

ディスク紹介

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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