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インプロヴァイザーの立脚地No. 322

インプロヴァイザーの立脚地 vol.28 矢部優子

Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by Akira Saito 齊藤聡, Kiyomi Sakuma 佐久間雪 (front photo) and Toshio Murayama 村山利夫
Interview:2025年1月3日 駒込にて

ふたたびピアノを弾き始めたのは二十代になってからだし、ピアノトリオを組んではじめて人前で演奏してからまだ10年ほどしか経っていない。矢部優子は遅咲きの音楽家だ。だがその間に「残暑ジャズ」やアイヌ音楽とのコラボレーション、映画音楽など、多くの独創的な仕事を展開している。それも偶然を引き寄せる力があるからにちがいない。

ピアノを再開した

幼少時からピアノを習っていたとはいえ、もともと目指していたのは空間デザイナーだ。ちゃんと弾きたいと思い、ふたたびピアノを始めたのは23、4歳のときだ。かつてジャズピアニストとして活動していた古田雄二に師事したが、肝心のジャズピアノは「挫折」してしまった。コードやアドリブの方法論に沿って弾いても、音がまったく自分の中に入ってこなかった。古田からは演奏よりも音楽のあり方や人生そのものを学んだようなものだ。「好きだと思う」と武満徹の音楽を教えてもらったときには、現代音楽のことなんてまったく知らなかったが、「うわあ、わかる」と激しく共感した。

だから、十年以上も教わったあとで歳を取ったから教えるのを辞めると古田に言われたときには、そんなことは無理だと泣いてしまったという。だが、師から離れたら外で演奏もするようになったのだから、不思議なものである。

偶然を引き寄せる

二十代の終わりころ、めぐろパーシモンホールで大友良英(ギター、ターンテーブル)が主催するイヴェントがあった。どんな人でもエントリーできるもので、矢部も参加した。「変な人」がたくさんいて知り合いもできたし、グループを組んで演奏を始めるきっかけにもなった。

このころから、トラックレコーダーで素材を切り貼りし、それを組み合わせた音楽を作り始めた。また、たまたまジャケ買いした吉沢元治『Inland Fish』に衝撃を受け、ピアノをのせ録音したりしていた。これがフリージャズや実験音楽というジャンルであることも、また矢部の模索が「テープ音楽」の手法に近いことも、あとで知ったことだ。矢部は、そういった作品を電子音響音楽コンクール「Contemporary Computer Music Concert」に応募してみた。最終選考ではアクースモニウム(複数のスピーカーで構成される音響システム)を使って競い合うのだが、数百人の応募のなかでファイナリストにまで進んでしまった。

またあるとき「いい音環境を体験できる」といった広告を見つけて、深町純(キーボード)の生前最後の録音(のちに『黎明』としてリリース)を聴くイヴェントに出かけていった。矢部は感動のあまり涙が止まらなくなった。まるで深町がその場で演奏しているようだ。最近では上原ひろみなどのレコーディングも手掛ける沢口真生の音であり、いつかこの人にレコーディングしてもらいたいものだと思った。沢口と縁ができたのは、たまたま帰り道に一緒になったe-onkyo music(現在、Qobuz)の人が紹介してくれたからだ。沢口とは意気投合し、一緒にフィールドレコーディングをして回るようになった(*1)。

またあるとき、たまたま国立市のライヴハウス・ノートランクスに広瀬淳二(サックス)が出演するライヴに足を運んだところ、遠藤昭に声を掛けられた。遠藤は同じ店内で絵の個展を開いていたアーティストであり、その場で広瀬にも引き合わせてくれた。矢部は広瀬が有名な即興演奏家だと知らず飲み友達になった。

またあるとき、青梅市のパン屋・麦(muji)でイヴェントがあると聞き、近所でもあるからパンを買いがてら足を運んでみた。そのイヴェントは板橋文夫(ピアノ)のコンサートなのだと知って自己紹介する矢部に、麦の主人が「前座の演奏をやらないか」と誘ってくれた。人前で演奏したのはそのときがはじめてだ。ピアノトリオでの演奏は良いものだったようで、耳の肥えた観客にも、板橋のマネジャーにもとても褒められ、自信を付けた。板橋グループのメンバーだった太田恵資(ヴァイオリン)とはこのとき知り合い、のちに自分の曲を演奏してもらうことになる。麦の庭にグランドピアノを持ち込み撮影しようとしたところ、秋なのに54年ぶりという雪が降り、幻想的な写真を撮ることができた。だから、矢部にとって麦は「パワースポット」。

またあるとき、レコーディングするからと沢口に誘われて武蔵野市のUNAMASに足を運んだところ、ドラマーが芳垣安洋だった。もともとUAのバックも務めていた芳垣のファンでもあり、矢部はハイテンションになって自己紹介してしまった。ちょうど矢部は奥多摩町の音楽イヴェントでウィーンフィルのメンバーが演奏するステージの前座を頼まれていた。ダメ元で芳垣に打診してみたところ参加してくれた。その効果があり、矢部、芳垣、渡辺隆雄(トランペット)、ギデオン・ジュークス(チューバ)、奥田敦也(法竹)からなるグループの演奏は、当初予定されていた前座からジャズ枠のメインに「格上げ」されてしまう。

こうして振り返ってみると、ずいぶんと偶然を引き寄せている。

アブ・バース、残暑ジャズ

法竹の奥田敦也と知り合ったのは沢口の紹介による。矢部が尺八の良い奏者を探していたからだ。彼女は、もともと師の古田が教えてくれた武満徹の<November Steps>に触発され、和楽器を取り入れた音楽を作りたいと思っていた。逆に奥田のほうは和楽器としか演奏したことがなかったが、もとより早稲田大学のジャズ研出身でもあり、進取の気性があった。

その奥田から「オランダからジャズをやる人が来るから食事を一緒に」との誘いがあり、矢部も出かけていった。それはICPオーケストラにも所属するリード奏者のアブ・バースであり、奥田に師事して法竹を学んでいたのだった。ふたたび麦のイヴェントに前座で出演することになっていた矢部は、せっかくなのでアブ・バースにも出てもらおうと話をつけて連れていった。事前に連絡して到着したところ、皆がざわざわしている。バースがそんなに「すごい人」だと、矢部はそのときはじめて知った。そして、15分の前座の演奏だけのはずがメインステージでのバースのロングインタビューも急遽行うという奇妙な展開。(矢部はその後もバースとの交流を深めているという。)

そんな経緯もあって、矢部の認知度もあがってきた。そのためかどうか、生まれ育った羽村市の教育委員会から「何かやってほしい」との依頼があって、羽村市のホールで「残暑ジャズ」という企画を立案した(2015年)。芳垣が率いるオルケスタ・リブレの演奏も観に行って、メンバーに加えた。コンセプトは和楽器と洋楽器との共演。矢部、芳垣、奥田、波多野敦子(ヴァイオリン)、河元哲史(チェロ)、長谷川美鈴(篠笛)、金子友紀(民謡)、それにオルケスタ・リブレが出演した。

これが好評だったため、翌年の2回目は矢部が教育委員会に頼る形でなく実施した。これまで共演してくれたチェロ奏者が不都合で、矢部はほかにいないかYouTubeで探してみた。たまたま見つけた四家卯大の音が気になり(それまで四家の存在を知らなかった)、DMを送ってみたら引き受けてくれた。そんなわけで、矢部、金子、四家、芳垣とオルケスタ・リブレに加え、石川高(笙)、長谷川武尚(ベース)、清水きよし(パントマイム)を誘い、また独特のステージを実現した。

即興演奏の縁

そういった模索を続けているうちに、自然に即興演奏のシーンにも足を突っ込むことになる。ピアノを弾くときにはかなり没入し、そのあたりを蹴ったり尻で鍵盤を弾いたりすることもある。そのうちに池田陽子(ヴィオラ等)など気の合う人とも、憧れの梅津和時(リード)とも共演できた。今後共演してみたい憧れの存在は、外山明(ドラムス)、それに「無理かな!(笑)」と言いつつ、ハン・ベニンク(ドラムス)。

映画音楽

2017年になり、沢口から映画音楽を作らないかとの誘いがあった。大墻敦によるドキュメンタリー『春画と日本人』(2018年)である。急な抜擢だったが、長谷川美鈴(篠笛)と池田陽子(ヴィオラ)に声をかけて、作曲やレコーディングでは戸惑いながらもライヴの快感とはちがう何かをつかんだ。映画は『キネマ旬報』の2018年文化映画部門で7位に入賞し、一般上映もなされた。これをきっかけとして、同じ大墻敦による次の監督作『スズさん』(2021年)でも音楽を担当した。エンディングテーマで歌ものを作曲したのはこのときがはじめてだ。

この経験で、矢部は映像に音楽を付けることが好きなのだと気が付いた。劇伴は音楽の長さが決められているので、それに当てはまったときの快感があるという。それまでと異なる作曲の方法論はこれからの楽曲作りに活かせると思えた、とも。

アイヌ音楽とのコラボレーション

あるとき矢部はYouTubeでアイヌの子守歌<60のゆりかご>をたまたま聴いた。心を動かされた彼女はすぐさま北海道に旅立つ。この子守唄を歌う豊川容子の夫・川上将史が北海道のウポポイ(アイヌ文化発信の拠点)で働いていると聞き、訪ねてみることにした。ポロト湖の前ではたくさんのアイヌの人たちが踊っている。そのうちのひとりに声をかけてみると、川上本人だった。これが、豊川容子率いるnincupとのコラボコンサート「ラマチウケシコロ -魂を受け継ぐ-」(2024年)につながった。羽村市のホールは満員。アイヌの伝統音楽を演奏し、また豊川と川上がアイヌ語で作詞し矢部が作曲したオリジナル曲を披露した。豊川の歌声に惚れ込んでいた矢部は、本番で演奏しながら感動のあまり泣いてしまった。2025年の北海道での再演も決まり、沢口のプロデュースで豊川とのコラボアルバムも制作予定だ。

「私の人生、たまたまとか偶然とか、そんなんばっかだね」と矢部は笑っている。

(文中敬称略)

(*1)3年かけて沢口とフィールド録音し、音楽(ピアノ、篠笛、民謡)を付けた作品はアルバム『The Sound of TAMA~Surround Scape~』となり、中国のSONYハイレゾ配信アルバムの上位にも入った。

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。linktr.ee/akirasaito

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