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インプロヴァイザーの立脚地No. 323

インプロヴァイザーの立脚地 vol.29 石当あゆみ

Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by Akira Saito 齊藤聡 and m.yoshihisa (noted)
Interview:2025年1月12日 神保町・月花舎にて

石当あゆみは国内での演奏活動なしにNYのシーンに飛び込んだ人だ。エフェクターでサウンドのテクスチャーを追求する独創性はその中で生まれた。

バークリー

高校のブラスバンド部でサックスを演りたいと思ったが、定員オーバーだった。クラリネットを選ぶことはしなかった。だから、テナーサックスを吹き始めたのは大学に入ってからだ。ヤマハの廉価なモデルを買った。じつは演りたかったのはスカバンド。

立命館大学のジャズ研・JAZZ CLUBにはたくさんの部員がいた。石当も、多くの初心者たちとともにビッグバンドに入った。演奏曲はカウント・ベイシーばかり(なおビッグバンドには校風のようなものがあって、京都大学はデューク・エリントン、同志社大学はコンテンポラリーやフュージョンが得意だった)。ビッグバンド、それからカルテットでも学祭に出演した。

当時吹いていたのはデクスター・ゴードンのコピー。一方でジャズ研の先輩がジョン・コルトレーン『Blue Train』を貸してくれて、ハマった。ソニー・ロリンズ、マイルス・デイヴィスといった「定番」を聴き進めていった。

同じジャズ研の2学年上の先輩が西口明宏だ。ずっと「プロになる」と口にする人で、石当も密かに憧れていた。とはいえ、実際のところ「レヴェルが違いすぎた」。そして有言実行、大学を出た西口はすぐにバークリー音楽院へと旅立っていった。

石当もバークリーに行きたいと思い、大学を出てから学費のため地元の石川県で2年間働いた。神戸のサックス奏者・小曽根啓(ピアノの小曽根真の弟)が推薦状を書いてくれた。

バークリーにいる人たちは「みんな凄すぎた」。メリッサ・アルダナも同期生で、コルトレーンの曲をばりばり吹いていた。石当は「これでは埒が明かない」と思い知り、練習に明け暮れた。3年間で卒業することができたのはその甲斐あってのことだ。とはいえ、まだ外でのセッションには「ビビッて行けなかった」。級友たちとアンサンブル室でセッションをしていた。

ニューヨーク

卒業した石当は、すぐにニューヨークに引っ越した。ちょうど西口が帰国するタイミングで、そのアパートの部屋を借りることができた。家賃は月に1,300ドルと安くはないため、仲間と3人でシェアした。

吉田孟(ギター)や山田吉輝(ベース)とは当時もいまもニューヨークで共演する仲だ。ただ、周りのミュージシャンたちは上手すぎた。メアリー・ハルヴォーソン(ギター)やジム・ブラック(ドラムス)といったスターたちも活躍していた。5、6年は「うずうずしていた」。

転機は2014年、アレックス・ロズポーン(ギター、ベース)のグループ「Eighty-Pound Pug」にサブで演奏しないかと呼んでもらったことだ。ヘビーなリフにサックスやドラムスなどが絡んでいくスタイル。そこではじめてフリー・インプロヴィゼーションを「わけもわからず」演った。その後も呼んでくれるようになって、マンハッタンのロウアー・イースト・サイドやイースト・ヴィレッジのパンクバーなんかで演奏した。このころは「呼ばれればなんでも演る」スタンスだ。エフェクターもまだ使っていない。

石当は、そのうちに詩人スティーヴ・デラチンスキーと知りあった。フリー界隈で顔が広く、ニューヨークのNPO・Arts for Artの主催するイヴェントなどにはいつも顔を出しているような人だった。そのようなところから人との関係が広がっていき、デミアン・リチャードソン(トランペット)に声をかけてもらってセッションバンド「Platypus Revenge」にも出ていくようになった。コアにいたのは、DJマジック・クラウンズ(ベースなど)、スティーヴン・バータシェーヴ(ドラムス)といった人たちだ。月に2回リハーサルがあって、かなり大変。映画1本の上映に合わせて演奏し続けるスタイルで、終わるといつも深夜の3時か4時になった。エフェクターを使うようになったきっかけは、たくさん持っているDJマジック・クラウンズが貸してくれたことだ。

ダニエル・カーター

「Platypus Revenge」にも、また「Eighty-Pound Pug」にも、ダニエル・カーター(サックス、トランペットなど)が出て演奏することがあった。ニューヨークのレジェンドとも言うことができる存在である。ダニエルのプレイを観て泣いている観客もいたし、なにより「ビビビと来た」のは石当本人だ。「出会ってしまった」。

それまで、石当は「上手くないとダメだ」と考えていた。しかし、ダニエルの演奏はそんな考えなど超越している。何をやっているかわからないけれど、凄い。そんなこともあって、彼女はテクニックよりもテクスチャーやサウンド全体のことを気にするようになった。

好きすぎて声をかけられないダニエルに対し、勇気を出してメールを送ってみたのは2018年のこと。「いいよ、やろう」との返信が来た。そして翌年になり、ブルックリンのPine Box Rock Shopで共演が実現した。そのころから週1回くらい共演していたフェデリコ・バルドゥッチ(ギター)とのデュオに、ダニエルがゲストで入る形だった。

パンデミック

コロナ禍の時代に入った。新しいバンド「The Spacemen」のメンバーたちと出会ったのもこのころだ。密な場所に集まることができないため、屋上にアンプを持ち寄ってセッションをした。人の家に集まる機会が必然的に増えていった。

アーロン・ネイムンワース(ギター)はフェデリコ経由で知り合った。アーロンは自宅を開放して月1回のセッションを行っており、そこでケヴィン・シェイ(ドラムス)、エリック・プラクス(ピアノ)、ジョン・パニカー(ドラムス)、ザック・スワンソン(ベース)らとも出会うことができた。ブルックリンのアヴァンギャルド人脈だ。ただ、まだ皆が何をしているのかよく理解していなかった。のちにアーロン、ケヴィンとはトリオ「Entropic Hop」を組む。

指向するサウンド

エフェクターを使うことを推してくれたのはダニエルだ。「皆がやっているものだけではダメだよ。「Tomorrow’s music」をやりなさい」と。だから、彼女はいまもエフェクターを使っている。

それに加え、石当自身は個人芸よりもバンドの共同作業に向いていると認識している。サックスソロを看板にするパフォーマーとしての自信はない。それよりもエフェクターでアンビエント効果を出すほうがおもしろい。

自分のバンドではポストロックとフリー・インプロヴィゼーションを合わせたようなものを指向する。キメキメでありつつもテクスチャーのおもしろさやサウンドスケープも併せ持つもの。

いまのバンドメンバーは、吉田孟(ギター)、ヤナ・ダビドワ(ギター)、山田吉輝(ベース)、カーター・ベイルズ(ドラムス)。定期的に演奏しており、これまでに3枚のアルバムを出した。今後も、長期スパンでみて2年に1回くらいのペースでアルバムを出したいと考えている。

東京

すずえり(ピアノ、自作楽器)がニューヨークに来たとき、石当に対し「ニューヨークは上手いフリーばかりだ」との印象を口にしたことがある。石当は、これが逆に東京のエクスペリメンタルなシーンの独特さを示すものだととらえている。

そういった人たち、それから本藤美咲(バリトンサックスなど)、石渡岬(トランペット)、有本羅人(トランペットなど)、レオナ(タップ)も再演をしてみたい人たちだ。さらにはノイズも「正解がない系の音楽」として興味津々だという。

ディスク紹介

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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