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インプロヴァイザーの立脚地No. 325

インプロヴァイザーの立脚地 vol.31 アキオ・ジェイムス

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
Interview:2025年4月5日 オンラインにて

アキオ・ジェイムスはパワフルなドラミングをみせる一方で、つねに新たな方法論を模索する独自性をもつ。ひとつの場所に安住しない音楽家である。

シカゴでドラムを始めた

シカゴの郊外に生まれた。母親が日本人、父親がアメリカ人である。音楽についてのもっとも古い記憶は、カーラジオからの80、90年代の音楽、それに母親が聴いていたサザンオールスターズ。いまではサザンも好きだが、そのころは音楽にまるで興味がなかった。ラジオで流れる曲ではゲートリバーブのかけられたスネアの音が目立っていて、本当に嫌いだったという。好きな音楽はといえば、兄と遊んでいたこともあって、スーパーマリオやドンキーコングなんかのサウンドトラックだけ。

11歳(小学5年生)のとき、学校で楽器を始める機会があった。本当はトランペットを吹きたかったが、ドラムスを演りなさいと指示されてしまった。兄のほうが音楽への情熱をもっていたし、深くも考えずに兄に従った。1、2年もすればやめる可能性が高いと思っていたくらいだ。

世界が変わったのは1年くらいあとのこと。兄の友人が家に遊びにきてドラムを演奏した。スネアのシングルストローク(左右を交互に1回ずつ叩く)が上手くてすごいと思った。それに比べ、自分自身は左手が弱くていまひとつ。13歳になったときにドラムセットを買ってもらい、スポーツや他の趣味よりも音楽のほうにどんどんはまるようになった。

そんなこともあって、学校ではずっと吹奏楽部やジャズバンドで音楽をやっていた。友人と一緒にバンドをはじめて組んだのも中学生のときである。はじめはステッペンウルフやAC/DCなどクラシックロックの曲。そのうち兄の影響でどんどんブルースバンドになってきた。

夏休みに東京のブルースをはじめて聴いたのもこのころである。兄と自分が音楽をやることを応援してくれていた母親が、東京にあるブルースクラブや飛び入りできる店を調べてくれた。荻窪のルースター(もとの本店)や中野のブライトブラウンでのジャムに入ることができたのはそのおかげだ。店に集まっていたミュージシャンたちはシカゴ・ブルースを気に入って、とてもフレンドリーだった。本当にいい経験ができた。

高校生になってマーチングバンドに入った。ショーもカデンツもかなり難しかったが、上達したのは間違いない。友人とのバンドも続けていて、さまざまなライヴを演ることになった。近くのバーでは毎月演奏した。

そのころとくに影響を受けたドラマーは、シカゴ・ブルースのフレッド・ビロウ(ジ・エイシズ)やウィリー・”ビッグ・アイズ”・スミス(マディ・ウォータースのバンド)、それにミッチ・ミッチェル(ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)。叔父がいろいろなブルーノート・レーベルのレコードを見せてくれたから、トニー・ウィリアムスやフィリー・ジョー・ジョーンズもすぐに好きになった。

フリージャズ

フリージャズと出会ったのは17歳のときだ。

後輩からPASICというイヴェントに誘われ、ふたりで足を運んでみた。打楽器協会のPAS(Percussive Arts Society)が開くパーカッション教育の場である。マイケル・スパイロが目当てだった。ファンクのタワー・オブ・パワーのドラマーであるデイヴィッド・ガリバルディらとパーカッション・グループを演っているパーカッショニストである。そこでシカゴに住んでいたフランク・ロザリーの演奏を観て、音もテクニックも素晴らしいドラマーだとすぐに解った。その夏には2回のレッスンを受けることができた。(なお、ロザリーは現在オランダに住んでおり、ジェイムスは昨2024年に現地で再会し普通のドラムがない状態で遊んだりもした。)

このとき参加したマスタークラスの後半になり、ロザリーとジェフ・パーカー(ギター)の即興演奏があった。途中から完全にフリーになり、ジェイムスは不思議なフィーリングを覚えた―――ワーオ!信じられなかった。畏敬の念を抱きながら観ていたら、呼吸が変わるのを感じた。いまもよく思い出す経験だ。他の場でフリーを発見してもここまで没入することはなかったかもしれない。ラッキーだった。

模索

フリーとの出会いがあったとはいえ、そのあと自分が演奏する機会はあまりなかった―――どうすればいいのだろう。

18歳になりシカゴで大学に進みおもしろいミュージシャンたちと出会うことができた。フリーは少なかったがいろいろなバンドに誘われ、ヒップホップ、フォークやシンガーソングライター、マスロックなどを演った。

シカゴでは生でたくさんのライヴを観ることもできた。ケン・ヴァンダーマーク(サックス)、マーズ・ウィリアムス(サックス)、それからロスコー・ミッチェル(サックス)はなんども。ニューヨークからツアーで来たマイケル・フォスター(サックス)、ブランドン・ロペス(ベース)。住んでいた近くのエラスティック・アーツでは大好きなデイヴ・レンピス(サックス)がブッキングやキュレートをしており、週に1、2回は想像できないほどの演奏を観た。チャージは10ドル程度と手ごろで、たまに海外のアーティストも演ったりもして素晴らしかった。数年前に中谷達也(ドラムス)や藤井郷子(ピアノ)とはじめて会ったのもエラスティック・アーツだ。

ジェイムスも即興演奏をするようになった。シカゴには、普通の店やハコだけでなく普通の家や地下室でも演奏するDIYシーンというものがあって、パンクな感じだ。DIYでバンドでの演奏もはじめての即興演奏も行った。

このころの演奏はどちらかといえばノイズ系。周囲の友人たちは大きい音量で演っていたが、ジェイムスは発見したばかりのザック・ヒルの真似をした。自分の演奏の途中に客同士が遊んでレスリングを始めることなんかもあって、ちょっと狂った場でもあった(笑)。いい思い出だが、音楽にもっと集中ができる環境を見つけたくなってもいた。

日本

高校生のときまで、何回も家族と日本を訪れた。「いつか日本に住んでみたいな~」と思いついたのは16歳のときだが、実現したのはずっとあとになってのことだ。ジェイムスは6年ほど前に大学院生として日本に来た。移住した東北からライヴを観るために東京に足しげく通ったのは、日本の音楽をたくさん体験しなければならないと強く思っていたからである。事前に「Tokyo Gig Guide」、「ト調」、「Tokyo Dross」といったサイトで調べ、その中から慎重に観たい演奏を選んだ。そんなわけで、なってるハウス、下北沢Apollo、ShowBoat、公園通りクラシックスを知ることとなった。

自分でも次第に演奏を始めてみた―――はじめは大学のサークルのコピーバンドやシューゲイザーなどだが、即興演奏もしてみたいなと思っていた。そして旧知の柳沢幸吉(ギター)との連絡がきっかけとなり、Permianでふたりのセッションをすることになった。2020年のことであり、それから日本で即興演奏を続けている。縁が次の縁を生んだ―――誘ったり、誘われたり。5回の日本ツアーを通じていろいろな人と会うことも、いろいろな国内の場を見ることもできた。

フリージャズ、フリー・インプロヴィゼーション

はじめて即興演奏に触れたとき、「スペシャル」で好きだと感じた。それまでは普通に叩くしかなかったのだが、即興演奏には無拍子音楽と不規則なリズムが多い。即興演奏に魅力を感じた点でもあるし、拡張的テクニックのおもしろさもやはり好きになった。いまでも不規則性や拡張的テクニックにインスパイアされている。もし演ったことのない拡張的テクニックや使い方を演奏中に発見したら、いい演奏ができたかなと思ってしまうかもしれない。フランク・ロザリー、山本達久、中谷達也の拡張的テクニックは本当に好きだ。

また、ドラムセットを演奏すること自体の身体性も好きだ。ドラムセットを動き回る新しい方法や触り方については以前から好んで試している。エルヴィン・ジョーンズはシンバルの一枚から20種類の音を出すことができると言った。まだそれはできないが、すごいことだ。

インプロヴァイザーたち

そんなわけだから、日本の即興シーンにはおもしろい人が多い。とくに多大な影響を受けたのは、中村としまる(ノー・インプット・ミキシング・ボード)と秋山徹次(ギター)のふたり。一緒に演奏したり話したりすることを通じてかれらのアプローチをある程度理解できたりもしたし、アメリカではじめて即興ツアーをする際にはアドバイスをもらった。

そして初共演にはいつも興味がある。最近の川島誠(サックス)とのデュオでは、普通よりも無音を使った。Merzbow(ノイズ)とのデュオでは観たときと印象がまったく異なった。音を出すときに少なからず驚きつつ、久しぶりにザック・ヒルのようなアイディアを出したりもできた。

今後の活動

ジェイムスはインプロヴィゼーションなどに加え、他にも活動領域を拡げている。昨2024年には関西のミニマル・ミュージックみたいな音楽を演るグループのgoatに参加した。いろいろなロックバンドでもドラムを叩いているし、いくつかの即興レコーディング・プロジェクトの完成にも取り組んでいる。

かれは福島で大学を卒業し、この2025年5月からは居を東京に移す。

アルバム紹介

https://akiojeimus.bandcamp.com/album/multipresence
https://tissueboxasc.bandcamp.com/album/haihen-dittologue
https://rancheternal.bandcamp.com/album/era-2

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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