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インプロヴァイザーの立脚地No. 298

インプロヴァイザーの立脚地 vol.4 細井徳太郎

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
Interview:2023年1月15日(日) 高田馬場にて

何年もの間、東京のシーンにおいてギタリスト・細井徳太郎の名前をみない日はほとんどない。かれの活動は多岐にわたっており、バンドも、デュオも、ソロでの弾き語りもある。そしてかれをジャズギタリストと呼ぶことは難しいかもしれない。それは活動領域ではなく指向性のゆえである。

 

ギターとの出会い

1993年、群馬県伊勢崎市生まれ。音楽的に早熟だったわけではなかったが、音楽好きの母親の影響もあって、ポップスやロックに親しんでいた。ビリー・ジョエル、ビートルズ、エンヤ、スピッツ、ミスチル、それにメタルも。中学2年生のとき、大学生の従兄がギターを持って遊びにきた。ふとつけっぱなしのテレビから話しかけられているのかと思ったら、その従兄がエレキギターを爪弾いていた。「話しているみたい」という強い印象を受けて、自分も母親に頼んでギターを買ってもらった。

ただ、そのころはバスケ部の活動が忙しくて、楽器に触る時間がなかった。入学した高崎高校には「変な先生が多かった」。音楽の授業で「ひとり一芸」をやるようにと言われ、細井は「メタルの曲をやってやろう」と思いつき、準備のため練習をした。それまでやっていたわけではなかったが、なぜか自分では「できる」と信じていたという。1週間が経って本番の授業となり、披露したところ「教室中がシーンとした」。自分のあとに、同級生がゆずの曲をうまく弾き語りし、「ボコボコに負けた」。

高校でもバスケ部に入って忙しく、ギターをちゃんと始めるのは引退後にしようと思っていた。ところが、インターハイの予選中に中学の友人から電話があり、「弾ける?」と訊かれ「弾ける」と答えた。試合で敗退し、演奏本番は2週間後。公園での野外イヴェントが、細井にとっての初のライヴである。パンクロックのような曲を2曲提供した。

それからというもの、周囲が受験勉強をがんばっている間も練習に明け暮れた。近所迷惑のことも考慮して風呂場でアンプにつなぎ、脱水症状に近い状態でも練習を続けた。学校に行ったふりまでして弾き続けた。曲を演るでもなく、「ただひたすら弾いていた」。そのころ、ジミ・ヘンドリックスの伝記を読んだところ、マイルス・デイヴィスとの関係、即興演奏のこと、それはジャズをやればできるのだと書いてあった。

そして、細井は地元の群馬大学に進んだ。「ギターとベースの違いさえわからなかったし、音大なんて知らなかった」。ジミヘンの本の内容を強く記憶していたこともあり、ジャズ研に入った。そこで始めたのが「ドレミファソラシド」である。それだけで楽しく、大学の教養棟の廊下でずっと「ドレミファソラシド」ばかりを弾いていた。昼の講義が終わったら練習を始め、気が付いたら暗くなり空腹を覚えるまで。もちろん同じことを繰り返すばかりではなく、いろいろなことを試した。いま思い返してみると、あれが「かんたんなインプロ」だったのだ。

一方、ジャズ研では先輩にフレーズを練習するよう言われたりもして、いまひとつやり方が合わなかった。曲の途中で転調したことが解らず、なぜ「ドレミ」が合わないのか不思議に思ったりもしたという。それだけではない。細井には「部活マインド」のようなものがあって、なんとなく周囲から浮いているように感じていた。できないならなぜもっと練習しないのか、突き詰めないのか、と。

もちろんジャズ研の仲間たちとはバンドを組み、地元のライヴハウスで演っていた。先輩のベース奏者・金森もといは演奏のついでによくジャズ研に顔を出していろいろと教えてくれて、それが細井にとってもプロを志すきっかけになったという。地元・桐生市のライヴハウスVillageには、金森、佐藤浩一(ピアノ)、黒田卓也(トランペット)、スガダイロー(ピアノ)、川島哲郎(サックス)らが出演して刺激にもなり、また、自分たちにも演奏の機会があった。

東京シーンへ

細井は大学を卒業後、ひと月もしたら東京に出てきた。「ジャズギタリストになる」つもりだったという。すぐには仕事が見つからず、金森が演奏の機会を見つけてくれもした。いくつかのバイトで糊口をしのぎ、半年後に新宿ピットインの昼の部に雇ってもらうことができた。

ちょっと変わった店員だった。毎日ギターを持っていき、飛び入りさせてくれる機会をねらっていた(そうでなくても、他の場所でセッションに参加するときや、いきなり何かの声がかかったときに必要だったのだ)。機会は訪れた。昼の部(昼ピ)に出演する多士済々、たとえば、斉藤社長良一(ギター)、高橋保行(トロンボーン)、藤原大輔(サックス)、荒武裕一郎(ピアノ)、本田珠也(ドラムス)、立花秀樹(サックス)、山口コーイチ(ピアノ)、清水くるみ(ピアノ)、津上研太(サックス)といった面々が飛び入りさせてくれた。かれらは下北沢のApolloにも出演していたから、細井もまたApolloに出入りするようになった。昼ピの独特の匂いは日本のロックやフォークに通じるところがあって、細井にとって自然に入れる雰囲気だった。

かんたんにこの水準に達したわけではない。自分の確固たるものを出す人たちを前にして、そうはなれなかったし、ついていけないことも、音が演者や観客にうまく伝わらないこともあった。それどころか、ダメ出しをされることもあったし、直接言われない場合もそのことは明らかに解った。細井はそのたびに「次は勝つ!」と思い、タイミングや音色などの技術を研究し、次の機会に備えた。昼ピにいた3年弱の間、壁に当たっては乗り越え、そのうちにかれは腕を上げていた。

ジャズ?インプロ?

昼ピで働いていた23、4歳のころ、イップスのような症状が出たことがある。本人によれば、それも「ジャズを演ろうとしていたから」。周りの人たちは上手いし、自分は演ろうとしてもできなかった。それよりも大事なことは、「演りたいことを演る」こと、師事したギタリストの故・橋本信二がよく言ってくれた「自分のうたをうたう」こと。もちろんセロニアス・モンクなどジャズの曲も演るし、共演する先輩たちにもジャズ的な人はいる。細井は自分自身について「ジャズ色はない」と言う。根底にはなにかあるかもしれないが、フレーズもリズムも「ジャズ」ではない。もはやそれはあまり重要ではない。

かといって、ことさらに「インプロ」を演っていると言うつもりもない。最初のころは「インプロとは」と考え、雰囲気や緊張感などばかりに焦点を当てていたという。だが、それでは「マジで通用しない」と気づかされた。

決定的だったのが2018年に東北沢のOTOOTOで秋山徹次(ギター)と共演したことである。「歯が立つどころではないし、小手先で何か演っても、それっぽいことを演っても、へにゃへにゃのハンマーでぽにょぽにょと叩いているだけだった」。だから、「ジャズ」だとか「インプロ」だとか頭で考えて入るのはもはやどうでもよくなった。それよりも、誰か人がそこにいること、話の内容だけではなく雰囲気や相手との関係や相性、そういったことが音と直結するありようの方が大事だ。それはつまり「会話」なのだった。従兄の爪弾く音がしゃべり声に聴こえたときから今の自分の指向性まで、どこかでつながっていたことになる。ただ、かれにとって今の姿も「中間地点」。

どこに向かう

細井曰く、「根底は音楽ファン」だ。最近であれば、ラップのOMSBがヤバいし、曽我部恵一や友部正人や井出健介、ジャズのジェリ・アレンもオーネット・コールマンもジェフ・パーカーも、ベースの千葉広樹も、ロックの赤い公園も、よく聴いている。だから自分自身の音楽の方向性もさまざまにならざるを得ない。今はギターでの弾き語りも演っている。もとより歌が好きだからでもあるが、なにしろ新しいことをやりたいし、うまくもいかない。だから、ギターを始めたときのように躍起になって「修行」を続けているところだ。

デュオも多い。たとえば君島大空とは歌と即興の両方を演り、昔からのインプロのリスナーも、若い女性たちも聴きにくる。石若駿(ドラムス)が細井、マーティ・ホロベック(ベース)、松丸契(サックス)と組んだSMTKでは派手なパフォーマンスをみせ、また新たな客層を拡げている。細井は、ジム・オルーク(ギター等)や石橋英子(ピアノ、フルート等)といった、独特のシーンを切り拓いてきた者たちの名前を挙げ、自分たちもまた違うムーヴメントを起こしたいと語る。「役者は揃っている」と。

時間があるときには気になるライヴによく足を運び、「聴くたびに色々な気付きや感動をいつももらっている」。先輩も同世代も後輩もいるし、ジャンルも超えている。

最近のおもしろい存在はと訊くと、まず梅井美咲(ピアノ)の名前を口にした。高橋佑成が自分と同世代のなかで随一のピアニストだとして、まだ二十歳になったばかりの梅井もまたそのような存在になるのではないか、と。それから荒悠平(ダンス)について、ナマの音楽と一緒に演ることを切り拓いている、どこかに属することのない人だ、と話す。ベースの阿部真武は?―――友人枠なので客観的に判断できないけれど、インプロの強度を高めていて、また柔軟にもなっている。大ヴェテラン・渋谷毅(ピアノ)は聴くたびになにか発見がある。いつもゆったりとしているのに音を出すときには「top of the head」、すべて解っているかのような先回り感が凄い。石田幹雄(ピアノ)も「とんでもなく速い」。

(文中敬称略)

ディスク紹介

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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