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インプロヴァイザーの立脚地No. 306

インプロヴァイザーの立脚地 vol.12 本藤美咲

Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by Akira Saito 齊藤聡 and m.yoshihisa (noted)
Interview:2023年9月10日 下北沢にて

本藤美咲は自分の話をしながら「わたし馬鹿なんですよ」と笑う。彼女の底知れないおもしろさは、つねに眼前にある音楽に没頭し、文字通り身を投じ続けてきたところから形成されてきたように思われる。

音楽でやっていきたい

ミュージシャンになることを意識したのは驚くほど早い。小学5年生のとき、クラスの音楽会でボンゴを担当し、THE BOOMの<風になりたい>などを演奏した。拍手を浴びる快感を覚え、その時点で「音楽でやっていきたい」と思ってしまった。良い先生だったことも大きい。本藤は地元の公立中学に進み、さっそく吹奏楽部に入った。楽器へのこだわりは特になかったが、見た目がカッコいいサックスを選んだ。埼玉県は吹奏楽が盛んな地でもあり、複数の中学校が専門家に合同で教わる機会があった。

高校受験のときには、すでに音楽の道に進むという気持ちが明確になっていた。進学先は普通科だが、自分でカリキュラムを工夫できる「音楽系」である。入学試験ではその場で指定されるスケールやエチュードを演奏しなければならないため、前に教わったサックスの先生に個人レッスンを受けた。高校では「早く現場に出たい」と気持ちがはやり、音大に行くのは遠回りではないのかとさえ自問自答。音楽の専門学校に行くことも検討したが、2年間では足りない。高校2年生の冬になり、埼玉県から通うことができる音大をすべて見学した。吹奏楽部では副部長を務めていて忙しく(部員が250人くらいもいた)、自分の時間がなかなか取れず受験勉強にも限界がある。そんな中で選んだ最善の進学先が、洗足学園音楽大学である。

 

大学

洗足音大では「ちがうことをやりたい」こともあって、最初から吹奏楽のコースを取ることはしなかった。なにしろ散々やってきたし、奨学金も借りることができた。まずは自分のやりたいことに集中したかった。

はじめに入ったゼミでは演奏会の企画や運営を手掛け、演奏もやった。ユニークだったのはサックス・オーケストラの授業だ。サックスは伝統的にオーケストラを構成する楽器ではないが、ここでは他の楽器のパートがサックスにトランスクリプトされたものに取り組んだ。低音のコントラバスサックスから高音のソプラニーノサックスまで揃い、打楽器を加えた編成である。本藤はソプラノサックスを担当したが、ほんらいは特性がまったく異なるヴァイオリンのパートでもあり、リムスキー・コルサコフの難しい曲についてゆくのが精一杯だったという。

もちろん苦労しただけではない。気力と体力を養うことができたのはたくさんの演奏をこなしたからだ。それにダブルタンギングもこのとき習得した(舌の先でリードに触れるだけでなく、喉の近くでも音を切るテクニック)。マウスピースが小さいソプラノはこれに向いていた。

大学時代に大きな転機がふたつ訪れた。ひとつめは、大学2年生のときにビッグバンドのサークルに誘ってもらったこと。ジャズ科の人たちと一緒に活動する機会となったのだが、本藤はジャズのことをさほど意識していたわけではない。もとより彼女にとってサックス奏者のアイドルだと呼べるような人はいなかったし、ビバップを聴いてもハマることはなかった。だから、ジャズは本藤のルーツではない。興味を持ったのはサックスではなく、ヨーロッパのピアノトリオだ。E.S.T.(エスビョルン・スヴェンソン・トリオ)、それにヘルゲ・リエン・トリオ。それでも、これを機にいろいろなCDを借りてきて聴いた。

ビッグバンドではテナーサックスを担当し、山野楽器のビッグバンドコンテストに出場して10位に入賞することができた。このとき、松本治(トロンボーン)に曲のアレンジを委嘱し、本藤も知己を得た。

ふたつめは、大学3年生のとき、サックスの大石将紀が「現代の音楽表現研究」ゼミを立ち上げる際に1期生として参加したこと。即興がおもしろいと思いはじめた機会でもある。大石は「サウンドペインティング」によって集団即興を行った。これは現代作曲家のウォルター・トンプソンが考案した即興作曲手法であり、コンダクターたるサウンドペインターはハンドサインで合図を出し、それを演者が受けて演奏を展開する。ジョン・ゾーンのコブラとも異なる独特な方法論だ。

このころは、曜日によって演奏するサックスの種類が違うような生活だった。バリトンサックスとの出会いもあった。

 

東南アジアへの旅、ジャズ

大学を卒業するすこし前に、本藤は国際交流基金のプロジェクトのオーディションに合格した。東南アジアの若い人たちと一緒にビッグバンド「Asian Youth Jazz Orchestra」を組み、1か月をかけてインドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンを回るというプロジェクトである。松本治と片倉真由子(ピアノ)が指導し、ツアーに同行した。これを機に、本藤はバリトンサックスを買った。

渡航前には代々木のオリンピックセンターで1週間のリハーサル、帰国したあとにも東京と東北のツアーを行った。ずっと一緒の仲間たちとの共通言語は英語。みんなさほど堪能ではないが、そんな中からバンドの言語が生まれてくる。生きたコミュニケーションであり、おのおのが互いを見て支えあうような関係ができた。家族のようにやさしくなれた。

このとき演奏した曲はなにもアジアのものではない。アジアだからといってルーツ音楽を想起するのは思い込みであり、基盤とするのはジャズの高等技術。訪れた街ではジャムセッションにも連れていってもらい、熱気を感じることができた。だから、東京こそジャズの中心地だといったような発言を聞くと、それはちがうよと思ってしまう。

帰国したら、サックス・クインテットのSAX CATSに誘われて加入した。9割は譜面を使うバンドであり、本藤はバリトンサックスでフォービートのウォーキング・ベースを弾くような感覚で演奏している。リズムやタイミングといったものに、ここで初めて向き合ったようなものだ。ただ、いまでも油断すると遅れてしまい、まだベースになりきれていない。どこを捨てればよいのか、アンサンブルになるとどうなるのか。これまでになかったリズム側の感覚である。また、SAX CATSではメンバー全員が編曲を手掛けており、彼女にとってもいい経験になった。

バリトンサックス、楽器

本藤が東南アジア行きを機に買ったバリトンサックスは、ヤマハのラインナップのうち廉価なタイプである。セルマーにも憧れたが、扱いきるのが難しかった。ヤマハが彼女の体格に合っていた。決してバリトン専門ではなかったし、まずは楽器と仲良くなりたい。最優先すべきは扱いやすさだ。

もともとクラシック奏者だったし、マウスピースはメタルではなくラバー。ジャズに移行するとしても、無理に道具を変えることはしなかった。いまでもポピュラー音楽的、ジャズ的なバリトンサックスの音は出しておらず、まだ憧れの領域だ。むしろ、バリトンサックスのおもしろい使い方を見つけることに楽しみがある。

もとより使う楽器をしばっているつもりもない。メインの楽器がたまたまバリトンサックスになっているというだけのことだ。いまはエレキギターも弾いている。とにかく楽器が好きなのだ。

エレクトロニクスにはサウンドを拡張するものとして取り組んでいる。非現実的で、生楽器とはちがうおもしろみを感じている。

 

サウンドペインティング

大石ゼミでの経験は本藤にとって大きいものだった。あるとき、大学の先輩である小西遼(サックス)のラージアンサンブルを観に足を運んだところ、たまたま小西とサウンドペインティングの話になった。小西はバークリー音楽大学に留学していたころ、ニューヨークでもサウンドペインティングに取り組む機会があったという。

こんなことがきっかけになって、「Tokyo sound-painting」が結成された。メンバーは、小西(サウンドペインター)、石川広行(トランペット)、秋元修(ドラムス)、杉本亮(ピアノ)、小金丸慧(ギター)、高良真剣(パーカッション)に本藤であり、活動の初期には向啓介(エレクトロニクス)も参加していた。

ここでは、とくにコロナ禍に入ってからデュオやトリオなどの小編成でも演奏することが多く、自分自身でもインプロヴィゼーションを展開してゆく契機になった。

ライヴ狂

2016年になり、本藤は新宿ピットイン夜の部でアルバイトを始めた(ほぼ同時期に、ギターの細井徳太郎が昼の部でアルバイトをしている)。ヘルゲ・リエンを観に行ったところ先輩が働いており、人が少ないのだと聞かされたことがきっかけだった。

これが予期せぬ効果を生み出した。働いていれば、予備知識や好みに関係なくさまざまな演奏を観て、世界を拡げることになる。しかもすべて上質なサウンドであり、許容できないものなどない。彼女は東京のミュージシャンのことをだんだんと知り、他の店も覗くようになってきた。それが高じ「ライヴ狂」になったのは2018年ころのことだ。アケタの店、Clop Clop、Velvet Sun、Ftarri、七針、Permianなどに暇さえあれば足を運び、たいへんな勢いで現在進行形のインプロヴァイザーたちを目の当たりにすることになった。

そんな中でも、自分の指向性を自覚してきた。インプロヴィゼーションを演る日にこそ、演奏者たちのパーソナリティに興味を覚えてしまう。たとえば加藤崇之(ギター)、外山明(ドラムス)といった人は、曲の途中でもずっとインプロヴィゼーションを演っている。にわかには理解できず、それが「知りたい」という気持ちに変化した。

この2018年は、働くか、演奏を観に行くか、自分で演奏するかのどれかで自分の時間が占められる有様。CDを聴く時間はないが、むしろライヴが良い。必然的に、興味を持つミュージシャンは東京で現在活動している人ということになる。音が生まれる現場こそ大事に思えるのは、小学5年生のときに人前で演奏して拍手を浴びた快感からつながっているのかもしれない。

 

自分自身の活動へ

人の音楽は十分聴いたし、そろそろ自身の音楽を展開したいとうずうずしはじめていた。それまでは誘ってもらって人のやりたいことのために尽くしてきたが、それだけなのがつらくなってもきた。名刺代わりになるバンドがほしい。2018年に「galajapolymo」(ガラヤポリモ)を結成したのは、そういう気持があったからだ。メンバーは、本藤と竹内理恵(バリトンサックス)、伊神柚子(ヴォイス)、岡本のはら(ベース)、富田真以子と高良真剣(パーカッション)の6人。すぐにコロナ禍が到来しライヴ活動ができなくなったが、最近になってようやく再始動できた。演奏を半年に1回程度に抑えているのは、ちゃんとギャラを払いたいからでもある。

一方、ひとりで身軽にやりたくもある。インプロのライヴに声をかけてもらい、たくさん演っているうちにまた次の機会を得たりもする。いつまで続くのかわからないが、いまは、個人として外に出て自然な縁をつなげることをやっていくべきだと思っているという。今年(2023年)からは関西でも演奏しているし、海外にもひょっとしたらどこかからつながってゆくのかもしれない。

生活と音楽

ミュージシャンであることは特別なことではないのだと本藤は強調する。生活のためにはオカネが要ることだって普通に話せばよいのだし、むしろそれを積極的に発言してゆきたい。生きていることを表に出したい。

彼女自身は半年ほど前にライヴハウスの真上でひとり暮らしを始めたばかり。新宿ピットインやBillboard Live東京でのアルバイト、ライヴでの演奏、録音物、編曲や広告の仕事などが収入源で、金銭的にはシビアだ。それでも仕方なく仕事をやっているわけではなく、演奏に活かすものを得ている。音楽を生活の中に組み込みたいし、社会の端ッコにいるという意識を持っておきたいと思っている。

 

インプロヴィゼーション

本藤の即興演奏のベースはジャズにはない。だから、自身の中に蓄積したコードやスケールといった方法論を使ってゆくのではないし、なにか予めイメージした場所への着地をめざすことはしない(できない)。むしろ、その場にあるもの、聴こえているものから表現を発展させてゆきたい。そして何かへの反応だけでなく、その場にないものも提示したい。こうやってみたらもっとおもしろいのではないか、という感覚だ。

だから蓄積に基づく手癖が出るわけではないのだが、結果的に「またやっちゃった」という振り返りはあった。だが、それを気にしすぎるのは良くないことだ。いまは「出たんだからそれをやれば良い」という気持になってきた。目指す場所が最初からあるのではないし、「こうならなければダメ」はない。見つける時間も即興演奏の大事な一部だ。

自分自身がヘヴィリスナーであったから、演奏を聴いてくれる人のことも信頼している。真摯に音を探す姿勢を見せれば良いのだと考えている。

インプロヴァイザーたち

新宿ピットインで外山明(ドラムス)と話す機会があって、本藤は「音を出していない時間が怖い」と言ってみた。外山の答えは「本当に出したい音を見つけるまでの空白は、本当の空白だからそれで良い。本当に出したい音が見つかったら音を出せば良い」と。それもあって、彼女は音が鳴っていない時間を怖がらないようになってきたという。

また、原田依幸(ピアノ)となってるハウスでデュオを行ったとき。演奏を始めるまで、原田は本藤にひとことも発することをしなかった。大ヴェテランとの共演、彼女にはやれることしかできない。ファーストセットで聴くことに重みを置いた演奏をしたところ、原田が休憩時間に「いくところはいけ」と助言した。そしてセカンドセットの15分間、本藤はずっと吹き散らかした。不本意で恥ずかしいところもあったが、自分自身が聴いたことのない音が出たし、観客も喜んでくれた。コントロール外の試みにも意味があるのだと気づかされた事件である。

他に素晴らしいと思えるミュージシャンは、彼女にとって多すぎて誰と抜き出して答えることが難しいという。それでも敢えていうなら、サックス奏者は林栄一、中尾勘二、鈴木放屁、森順治、広瀬淳二、宮野裕司、田中邦和。他の楽器であれば加藤崇之(ギター)、中村としまる(ノー・インプット・ミキシング・ボード)、大友良英(ターンテーブル、ギター)、内橋和久(ギター、ダクソフォン)、山﨑比呂志(ドラムス)、ナカタニ・タツヤ(ドラムス)、古池寿浩(トロンボーン)、竹下勇馬(エレクトロベース、自作楽器)。同世代でみれば、岡千穂(ラップトップ)、アキオジェイムス(ドラムス)、宮坂遼太郎(ドラムス)、それから高良真剣(パーカッション)の演奏は空間をみているようで、音楽だけの魅力だけでないと感じている。ユニットとしては夏の大△、サンガツ、正直、PUNSUCA。

ディスク紹介

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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