JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

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InterviewsNo. 275

Interview #217 jazz singer 関根みちこ

関根みちこMichiko Sekine

Interviewed by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

Colorful Scenery

Part 1

クラウドファンディングで制作資金を調達する

JazzTokyo:デビュー・アルバム『Colorful Scenery』の完成おめでとうございます。どんなお気持ちですか?

関根:ありがとうございます。遂にCDをリリースできたという胸いっぱいに広がる喜びと同時に、ここからがジャズシンガーとしての節目であり新たなスタートだと背筋の伸びる思いです。浮かれている場合ではないですね。(笑)

JT:アルバムの制作に至った経緯を教えてください。

関根:以前からなんとなくですが、CD制作はぼんやりと意識していました。ミュージシャンの先輩たちが「とても勉強になるよ」と仰っていて。その意味が当時はよくわからなかったんですが、今はよくわかります。

その頃はただ単に勉強になるならいつかはやってみたい、挑戦してみたいなぁ。という安易な発想でした。そうやってなんでもすぐに好奇心やら探求心やら衝動に駆られて無鉄砲に走り出してしまうんです。例えるなら私はブレーキがない自転車ですね。ですがこれはさすがに慎重になりました。お金がかかることですし...。

そこにお客様たちから、CDはいつ出すの?楽しみにしてるんだけど。そろそろかな?と嬉しいプレッシャーをかけられたことがきっかけになりました。私は木畑さんにCDを出したいとお話しを以前から何となくしていたことがあって、その時は「まぁ、そのうちね」と流されて、あ、うまく交わされたなって思ったんですけど、二年前の秋にCD作る?っておっしゃって頂けて。覚えていてくださったことがとにかく嬉しかったのを覚えています。そして今がそのタイミングだな。もう進むしかないって思ったんです。

JT:制作費を作るためにクラウドファンディングを立ち上げたそうですが。

関根:クラウドファンディングに至るまでにまず頭を悩ませたのが資金調達でした。長年勤めた会社で頂いた退職金は、引っ越しやレッスン費用、関西での生活費、帰省旅費などでほぼ費やして底をついていましたから。ですが今回私を支えてくださるファンの皆様やいつも温かく応援してくださる方々にこの際思い切って甘えてみよう!そう思いました。

クラウドファンディングをすることで多くの人目に触れ、自分を知ってもらう良いきっかけにもなるのではないかと考えました。

プロジェクトでも語っていますが「何歳からでも挑戦はできる、楽しめる、一歩踏み出すのは自分次第。このプロジェクトを知った方がそんな勇気をもつきっかけを得て頂けたら...」

私の父は9年前に他界したのですが、亡くなる前日まで本当に元気でした。大好きな父を突然失った時、人の命ってなんてあっけないものなのだろうと思いました。

だからこそ、そんな心の思いを発信したかったのがあります。自分が死ぬときにあれこれ後悔するなら、恥をかいても何でもやってみればいい、そういう思いがあります。

JT:ピアノの木畑晴哉さんについてご紹介願います。

関根:ありきたりな言葉になってしまいますが、本当に素晴らしいピアニストさんなんです。
私自身がファンでもあります。初めてお聴きしたときに繊細で多彩な響きがあって、とにかく美しいなぁ!とうっとりしました。洗足学園短期大学JAZZ科に入学され、を始められてピーター・ワシントン、ケニー・ワシントン、ルイス・ナッシュ、エディ・ヘンダーソン、日野皓正さんなどのミュージシャンと共演されたりしています。演奏活動、さらに大阪音楽大学JAZZ科講師として教鞭をとっていらっしゃって、多くのプロ・ミュージシャンも育てていらっしゃいます。

JT:木畑さんから皆さまにひと言。

木畑:皆さま、ピアニストの木畑晴哉です。
今回このCDを手にとって聴いていただき本当にありがとうございます。大変な世の中になってしまいましたが、少しでも 音楽が皆さまの安らぎになれば幸いです。そしてライブハウスに足を運んでいただけるような平穏な日常が早く戻ってくるよう切に願っております。

JT:木畑さんはプロデューサーとしてどのようなアルバムを制作しようと?

木畑:みちこさんの穏やかで語りかけるような声をイメージして選曲しました。歌手との録音で修正できない状態で録音することは珍しいのですが、みちこさんなら大丈夫!と思ってトライしました。私自身の演奏はたくさん反省点がありますが、みちこさんの人柄が出た柔らかな優しいアルバムになったのではないかなと思っております。

JT:選曲はどのようにして?

関根:ほとんどが木畑さんの選曲です。半分は私のレパートリーには無く、レコーディングを機に覚えました。<People>という曲は恥ずかしながらこの時に初めて知った曲ですが、プロデュースして頂く楽しみって、こういう風に新しい曲との出会いがあったりして素敵ですよね!そしてシンガーの魅力を最大に引き出す木畑さんの魔法の力ってすごい!

JT:一発録音だったようですが、録音はスムーズにいきましたか?

関根:何しろ初めてのレコーディングというのもありますし、ライブとはまた違った緊張感がありますね。集中するのに少し時間を要しました。
「直しはしない」と言われていたプレッシャーがあり動揺していたかもしれないですね。

JT:いちばん難しかった点は?

関根:DUOは本当に難しいです。だからこそ楽しいとも言えますが...。
ドラムやベースなどのはっきりとしたリズムを刻む楽器がいるのといないのでは本当に変わってきます。ある意味いつもお任せっきりなのかもしれません。DUOはものすごく集中力が必要ですね。自分のメトロノームをしっかり刻まないと成立しなくなるというのが本当によく分かりましすし、歯車が全くかみ合わなくなります。独特の緊張感..だからこそお互いの波長が合うと融合するというか、一体感が生まれる気がします。リズムに関しては今後も課題のひとつですね。

JT:録音機材に「金田式」マイクやレコーダーを使われたようですが、「金田式」を選ばれた理由について説明願えますか?

五島:タイムマシンレコードは、究極の録音システムである金田式DC録音システムで収録したコンテンツを世界中の音楽ファンに届けることを主旨としたレーベルです。
オーディオDCアンプの神様、金田明彦氏が、最初の金田式DC録音システムを開発し
無線と実験誌に発表したのは、1978年の春でした。それ以来現在も進化しつづけています。
高音質であるのは勿論ですが、時空をそのままワープさせるような空間再現と活気と躍動感に溢れ、音楽を心の底から感動できる素晴らし録音システムです。

JT:仕上がりについては満足していますか?

関根:無修正一発録りだけにライブ感たっぷりのCDになったと思います。木畑さんのピアノもプロデュースももちろんのこと、レコーディング・エンジニアの五島さんのおかげで素晴らしい音質の仕上りになりました。CDのデザインは売れっ子デザイナーのナカガワ暢さんに手掛けて頂いて、いつも皆さんの傍に置いて頂けるような眺めても楽しいジャケットに仕上げて頂けて本当に満足しています。

毎日聴いている、通勤の車でいつも流している、本当に素敵!美しいピアノとやさしい歌声がとても相性が良く、とても心地いい。などたくさんの声を頂いて私もとても嬉しいです。

個人的には聴くたびにあそこもここも...と反省点は尽きませんが、CDを制作した時点では等身大で精一杯の仕上がりになったのではないかと思っています。先輩方が仰るように本当に勉強になりました。



Part 2:

群馬でのOL生活を切り上げ、大阪でジャズ・シンガーに

Jazz Tokyo:OLから歌手に転向されたとのことですが?

関根:はい、音楽活動をする友人の誘いで地元での参加型ライブハウスへ付き合いで連れていかれた時に、マスターからの「歌ってみて!」のひと言が、シンガーとして出発するきっかけになりました。そこからOLの傍らイベントやレストランで歌い始めました。この時はポップスでも演歌でも与えられた曲はなんでも歌っていました。

まさかこの歳になってシンガーになるとは夢にも思いませんでした。

JT:OLと歌のレッスンを並行して続けてこられたのですか?

関根:二週間に一度、東京までレッスンに出ていました。OLの傍ら残業の多い職場で仕事をこなしながら、お風呂や食事、職場での休み時間などの隙間時間を利用してレッスンの録音を聞き、毎日ボイストレーニングをしました。私はジャズの知識も皆無、そもそもどうやったらジャズを勉強できるのだろう?どこで教えているんだろう?どんな人に教わったらいいのだろうか?そこからのスタートでしたから大変でした。今思うと本当に恥ずかしいです。ジャズに精通している人はどんな学校を出て活躍しているのか。そこから調べ始めてやっと見つけたキーワードが「バークリー」でした。なんとも短絡的ですが間違っていなかったみたいです(笑)

このキーワードを見つけてからは一気に情報が加速しました。

JT:OLをやめて歌手に専念しようと決断したのは、いつ何がきっかけでしたか?

関根:私の仕事はとにかく残業が多く、特に繁忙期の四半期締めのひと月は帰りが22時を回るなんて日常茶飯事でした。徐々に練習量も学びたいことも増えてきていたのもあって、練習時間の捻出や出演スケジュールの調整に限界が来ていました。残業で一人職場に残りながらこのままでは歌も仕事も中途半端になってしまう。そんな事をふと思いました。私は自分の気持ちに正直に悔いのない人生を生きていく、父が亡くなってからそう決めていたので、次の日に上司に退職の報告をしました(笑)

2015年の4月でした。まったく迷いはなかったです。

JT:歌手デビューはいつ、どこで、どのような形で?

関根:ステージ・デビューは2015年1月の稲垣次郎さんプロデュースのボーカル・ショーケース(汐留ブルームード)でした。埼玉新都心ジャズ・コンテストで審査員をしていた稲垣さんから出演してみないかと電話を頂いたのがきっかけでした。

その一年前ほどから地元群馬でもちょこちょこ歌ってはいましたが、それはまたちょっと違う気がするので。

JT:現在は関西圏で活動されているようですが、群馬からいつ大阪へ?どのようなきっかけでしたが?

関根:関西にはジャズを育む何かがあるのでは?初めてそう感じたのが新都心ジャズ・コンテストの最終予選でした。予選出場に残ったボーカルの7~8割が関西から来ていたこと、東京のライブハウスに出演している関西出身の素晴らしいミュージシャンが多くいらしたこと、当時、外国人ジャズ・ミュージシャンのワークショップが東京より大阪で遥かに多く行われていたこと。これは行くしかない、そう思いました。武者修行ですね。それから憧れのシンガーさんもいらしたこともあったので、指導頂けるメリットがありました。

ですので、仕事を辞めてから迷うことなくすぐに関西に移り住みました。

JT:関西ではどのようなところで歌っているのですか?

関根:大阪、兵庫、京都、あちこち、至る所に出没しています(笑)。望まれればどこへでも飛んでいきます!出演依頼も受付中です!

JT:OL時代に想像していたこととのいちばん大きな違いは?

関根:やはり経済面でしょうか。組織に守られる安定感。あれは本当にありがたい事でした。毎月決まった額が決まった口座に入金され、冷蔵庫、洗濯機、レンジもベッドやテーブルも全て会社が貸してくれ、至れり尽くせりの生活だったとしみじみ思います。

シンガーに転向して決して安定しているとはいえませんが、とはいえ、まったく後悔はありません。今、自分の好きな仕事をして生き生きと過ごせていますから。

JT:歌手を断念しようと思ったことはありますか?

関根:考えたことがないです!(笑)

でも、ジャズを習い始めたころ先生に「全くスィングしていない」と言われたときは絶望的な気持ちになりました。スィングしてないってジャズは無理!と宣言されたようなものですよね。でもそんな事で諦めたりしないんです。じゃ、スィングするまで練習すればいいんでしょ?そう思いました。

JT:現在でもレッスンやトレーニングを続けていますか?

関根:はい。海外からのアーティストがワークショップを大阪で開催すると出席したり、オンラインで受講したりします。ティアニー・サットンやシェリル・ベンティーン、ミッシェル・ウエア、キャシー・シガールなど、その他にもたくさんのアーティストのワークショップやプライベート・レッスンを受講しています。今は歌というより楽器(ピアノ)に力を入れています。私の先生が「楽器をやったら歌の世界がもっともっと広がるよ」と仰ったことがきっかけです。

もちろん、練習もボイストレーニングも欠かすことはありません。

ジャズは奥が深くて学ぶ事が尽きないですし、スキルや感性を磨くことはもちろん声帯を若く保つためにも日々の練習やトレーニングは永遠に続くのでしょうね。

JT:コーラス・グループにも所属されているようですが、どのようなグループでどのような活動を?

関根:首都圏で活躍されている桃井まりさん(リーダー)と堀内実智代さんの3人で「マイグラントシスターズ」というコーラス・グループをやっています。

お二人は大先輩であり、普段からとても親しくして頂いている素晴らしい実力派シンガーさんなんです。首都圏の方はご存知な方も多いと思います。

馴れ初めは先ほどお話しした稲垣次郎さんのボーカル・ショーケースから意気投合し、それぞれが地方から集まり首都圏で活動することから「出稼ぎ労働者」ならぬ「出稼ぎ三姉妹」というユニット名でした。しばらくしてファンの方からもう少しお洒落な名前に改名するようにとのご指摘がありまして、マイグラントシスターズ(渡り鳥三姉妹)になりました。普段仲のよい3人ですが一年に集まる機会がほとんどなく練習もろくにできないのですが、本番前日のリハでピタッと息が合うんです。これはまさに仲がいいからできることですね。

活動が年に数回なので、ライブ遠征の時はお客さまが「ライブのはしご」をするほど楽しみにしてくださっています。昼会場→(夜までどこかで休憩暇つぶし)→夜会場へ、といった具合に。3人それぞれ個性が違うのに本当に美しいコーラスなんですよ。ぜひ皆さまに聴いて頂きたいです。

首都圏のライブハウスやイベント、雪村いづみさんや渡辺真知子さんなどとも共演したりしました。

Part 3:

誰もが音楽には力があるってわかっている

JazzTokyo:お生まれは?

関根:かかあ天下で有名な群馬県沼田市出身です。生粋の上州っ子です。沼田は城下町で、美人が多い町として群馬では有名なんですよ。(笑)

JT:音楽的な家庭でしたか?

関根:全く縁がなかったです。

今自分の周りを見渡すと幼少期から音楽をされている方、専門的に学校で音楽を学んでいらっしゃる方、そういった環境に身を置かれていた方ばかりで何というか自分が場違いなところにいる気さえします(笑)

音楽を学べる機会がもう少し早かったらまた違った歩みがあったかもしれないと思うことも多々あります。でもそんなことを今さら振り返っても仕方ないのでその分の時間を取り戻すために一分でも一秒でも音楽に没頭したい、そう思います。

自分が歌うと皆が喜んでくれる、笑顔になってくれる。子どもの頃から自分はおとなになったら歌う仕事をすると何となく意識していました。

音楽の道へ進みたい…そのためには高等な教育を受ける必要があるのだと幼いながらにも漠然と感じていて、 両親に相談したこともありましたが猛反対だったのでそれからは音楽の事には一切触れませんでしたね。

今になると親の心配も少しだけ分かる気もします。

JT:音楽にはいつ、どんな音楽に興味を持ちましたか?

関根:幼少期にヤマハオルガン教室に2年ほど通ったことがありました。その頃から歌うことが大好きでした。演歌には全く興味がありませんでしたがクラシックも童謡でもメロディのあるものはジャンルを問わず好きでした。

振り返ってみると幼い頃から、その日の気分に合わせてよく即興で歌ったりして遊んでいました。即興音楽、まさにジャズですね!

小学低学年の頃は、リコーダーを学校で渡されてからはうれしくて30分の帰宅の道のりを黙々と毎日吹きながら帰宅していました。はたから見たらすごく変な子ですね!

家でも暇さえあれば吹いていたので「うるさい!」と年中怒られていました。練習量が功を奏したのか学校代表でリコーダーの大会に出場したこともありました。(笑)

JT:ジャズに興味を持ったのはいつ、どんなきっかけでしたか?

関根:地元で歌の活動を始めた時に、バンドリーダーから渡された課題の中に <イパネマ> が入っていたんです。わぁ、素敵な曲!と思いました。引き金はボサノヴァでしたがジャズは一つの曲をスィングしたり、ボサノヴァにしたり、ワルツにしたりとても自由で。創造性に溢れていたんです。演奏者や歌い手によって全く違うものに聞こえたりもする。

ジャズ!すごい!!そう思いました。そこからはもうあっという間に引き込まれてこんな感じになっております。(笑)

JT:好きな歌手やCDをあげてください。

関根:カーメン・マクレエ、アニタ・オデイ、シャーリー・ホーン、チェット・ベイカー、ナット・キング・コール、 セシル・マクロリン・サルヴァント

Songs of Lost Love Sung By Shirley Horn
The Great American Songbook
For One To Love
You Must Believe In Spring

JT:目標とする歌手は?

関根:やぱり、シャーリー・ホーンやカーメンでしょうか。目標を設定するのは私の自由ですものね。(笑) 彼女たちはシンガーであり素晴らしいピアニストでもあるんですよね。

あんな風に話すように自然に歌い、粋で、いつまでも色褪せることないシンガーになりたいです。

JT:コロナ禍の中での毎日の生活は?

関根:とにかく時間さえあればピアノを弾きまくっています。この時期を練習のチャンスと気持ちを切り替えてピアノに向かってはいますが、なかなかうまくならないのが悩みの種です。でも、楽しいですね!ピアノを弾くようになってシンガーとはまた違う角度で音を意識する自分がいることに気が付きました。

JT:コロナ禍が終息したら真っ先にやりたいことは?

関根:そうですね、まずはクラウドファンディングのご支援者の皆様へ向けてのレコ発ライブの予定を立てたいところですが、こういう状況なのでなかなか目途が立たずにいます。申し訳ない気持ちでいっぱいですが、やはり時期が時期ですので。とにかく一日でも早く楽しみにしてくださっているご支援者様に私たちのライブをお届けしたいです。

JT:最後に夢を語ってください。

関根:今日は聴きに来て本当によかった。そう思って頂くこと。
私の歌を聴きにきてくださったお客様にハッピーな気持ちで家路について頂くこと。
音楽には素晴らしい力があります。共感し、癒し、励まし、祝い...。

確かに、音楽ではおなかが一杯にはなりませんし、聴かないからといって緊急を要するものではないとは思います。でも誰もが音楽には力があるってわかっていると思います。

贅沢なひとときだったなぁ。癒されたなぁ。多くの方にひとときの安らぎを届けられる、そんなミュージシャンになりたいですね。

そして一人でも多くの方にジャズを好きになるきっかけを作る事ができたらいいな、そんな風に思っています。というのはもちろん私がジャズが好きだからです(笑)

でも、どこに行ってもジャズは流れています。焼き鳥屋さんでも、美容室でも。皆さんの周りにあまりにも身近にジャズがあるんですよね。せっかくならぜひライブハウスに足を運んで生演奏の素晴らしさ、楽器の奏でる響きや振動を体感してほしいです。

ジャズにご興味のない方々にジャズって素敵!そんな風に感じて頂きジャズを好きになってもらえたら。そのためにどんどん発信していきたいです。たくさんの皆さんにジャズをもっともっと身近に感じて頂きたいですね。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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