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特集『ルイ・アームストロング生誕120年・没後50年』InterviewsNo. 280

Interview #226 オノセイゲン(録音エンジニア・プロデューサー)
Seigen Ono (Recording engineer/Producer)

オノ セイゲン(小野誠彦) 1958年生まれ。録音エンジニア、ミュージシャン。『真夏の夜のジャズ』2021バージョンのマスタリング・エンジニア。 1978〜80音響ハウス在籍。1982年以来、坂本龍一、渡辺貞夫、、ビル・フリゼール、ジョン・ゾーン、 マイルス・デイヴィス、キング・クリムゾン、マンハッタン・トランスファー、デヴィッド・シルヴィアンなど多数のアーティストのプロジェクトに参加。1983年公開の映画「戦場のメリークリスマス」の音楽制作に録音エンジニアとして参加。1984年、『SEIGEN』(JVC)でミュージシャンとしてデビュー。 1987年、コム デ ギャルソン 川久保玲から 「誰も、まだ聴いたことがない音楽を使いたい」「洋服がきれいに見えるような音楽を」 という依頼によりショーのためにオリジナル楽曲を作曲、制作。アルバム『COMME des GARÇONS SEIGEN ONO』を発表。1993年以来スイス、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルに4回、アーティストとして出演している。2019年度ADCグランプリ受賞。Blu-ray化など名作映画の音声トラックのリマスタリングも手がける。 ウェブサイトは https://www.saidera.co.jp/seigen.html

歴史的録音のマスタリングでは、決して色をつけず、デフォルメせずというポリシーで一貫

PART 1

JazzTokyo:「真夏の夜のジャズ」の 4K/5.1chブルーレイが8月4日にリリースされます。セイゲンさんは、5.1chのリマスタリングを担当されたわけでですが、従来はモノラルだったのですか?

セイゲン:今回、僕のところにきた素材が、擬似ステレオだったんです。擬似ステレオの前の段階、つまりモノラルに戻していいかを版権元に問い合わせてもらいました。そして最初にモノラルのマスタリングをしました。以前、『Oscar Peterson / We Get Requests』などヴァーヴを代表する10枚の名盤のSACD用マスタリングなどをやらせてもらいましたが、歴史的録音のマスタリングでは、決して色をつけず、デフォルメせずというポリシーで、録音現場で聞かれていた状態をリコールしたいわけです。

第5回ニューポート・ジャズ・フェスティバルは1958年ですから、当時ステレオ録音は始まったばかりです。録音を担当していたのはコロムビアのプロデューサー、ジョージ・アバキャンのチームだと思います。ライブ盤としてステレオのアルバムになっているアーティストもいますね。つまり録音現場のテープはステレオだったと推測します。

想像ですがおそらくバート・スターン監督が映画用にこの曲はだいたい何分にしてくれとリクエストして、曲のつなぎも含めて、ジョージ・アバキャンが短くコンパクトに、しかも緻密かつ大胆に、曲のつなぎを編集しているのです。トロンボーン・ソロを丸々カット、のようなことは簡単ですが、曲中のまったく別の部分からフレーズを持ってきて曲つなぎのようなこともしている。ライブ盤では同じ曲でも映画より収録時間も長いですから映画用に編集したんですね。

JT:モノのマスターは存在していなかったのですか?

セイゲン:レコード用に録音したままの未編集ステレオ・マスターを温存し、バート・スターン監督には映画用に使用許諾された曲を短く編集したモノラルのコピーが音楽マスターとして提供されたのです。つまり、映画の完成時点では全編(擬似ステレオではなく)モノラルです。

この映画の半分で、1958年当時28歳のバート・スターン監督が、ジャズをベースにアメリカズ・カップ(国際ヨットレース)や、ミュージシャンの演奏シーンよりもむしろ当時のアメリカの上流社会のリゾートの楽しみ、ファッション、ライフスタイル、おしゃれな観客たちを撮ったために大成功した映画といえます。ジャズファン、映画好きなら一度は観ている映画ですね。

JT:60年代中頃でしょうか、ステレオ当初はモノラル録音を擬似的にステレオ化した商品がたくさん出ましたが、擬似ステレオを簡単に説明してください。

セイゲン:その当時ステレオ・プレーヤーを売るためにモノラル信号を電気的に左と右チャンネルに分けて、片方を少し遅らせたのです。最初と最後は左寄り(Lch先行)、中盤は右寄り(Rch先行)なのです。(波形はこんな風に傾きます)

確認できていないのですが、80年代のレーザーディスクの『真夏の夜のジャズ』はモノラルらしいのです。輸入版DVD(15年ほど前?)は、疑似ステレオと疑似5,1ch(爆笑)、最近アメリカで出た4K Blu-rayは、今年映画館で流れていたバージョンで、映像は8/5の日本版Blu-rayと同じマスターですが、音は疑似ステレオで、しかも何箇所もシンクロがひどくずれています(笑)。ここからは想像ですが、バート監督が80年から2000年のどこかのタイミングで全体をザクッと擬似ステレオにしたのです。

疑似ステレオのレコードが、各社からそれぞれの呼び方で出ていました。キャピトル・レコードは「DUOPHONIC」でビートルズを、CBSは「Electronically Re-channeled for Stereo」、マイルス・デイヴィスでさえ『Milestones』『ラウンド・アバウト・ミッドナイト(セロニアス・モンク作曲!)』をこの方式で出していたのです。いわゆるモノラルの時代のジャズの太い音が、擬似ステレオにすると軽〜い音で。

JT:具体的にモノの音源を5.1chにリマスタリングするというのは?

セイゲン:イマーシブ・オーディオという、NHK 22.2ch、AURO 3D、Dolby atmos、DTS、SONY 360 Reality Audioという言葉を聞いたことありますか?空間に包まれるような音を劇場やホームシアター、ヘッドホンで楽しめるオーディオ・フォーマットが登場しています。その技術で、既存のオーディオから残響を分けたり、IR(インパルス応答)、ディレイ、フェイズシフト、楽器を分離するスペクトラムなど、2021年現在のプラグインや信号処理技術を総動員しています。

JT:とくにポイントを置いた点は?

セイゲン:5.1chについては、ディレクターズカットを作ってるわけではありませんので、新たに何も音を加えたりしていませんが、映像を観ながら場面ごとに反射音を設定しました。パンニングで観客の拍手を後ろに持ってくるだけでも会場にいるような気分になります。野外のフェスティバルのステージ、観客席の大きさ、距離、室内、街角、ヨットのシーン、車上で演奏するバンドのシーンあれは音はフェスティバルで収録していますが、映像の場面をポイントにしています。

JT:5.1chのスピーカーのレイアウトはどうなるのですか?

セイゲン:ホームシアターの普通のセッティングです。正確にはITU-R BS.775-1という規定です。リスナー位置に対してフロントのLRと正三角形。センタースピーカーを0度とすると、LRはそれぞれ30度、後ろは100〜135度。

JT:5.1chを普通のステレオ・システムで再生すると?

セイゲン:フロントのLRだけの音が出るか、アンプによっては後ろの音やセンターの音を自動的に前のスピーカーにダウンミックスしてくれる機能がついてるのもあると思います。音楽のメインはLRにしていますから神経質にならなくても。後ろに2つのスピーカーがあると十分楽しめます。

JT:映画館で5.1ch で再生しているところはあるのですか?

セイゲン:このバージョンは、先日のKADOKAWAの試写会が初披露です。で、とても評判がよかったので4K擬似ステレオ版がロングランになってますが、新たな5.1ch版で映画館でもやってくれるかもそれませんね。

JT:Blu-ray Disc には、5.1chとモノの両バージョンが収められているのですね?

セイゲン:そうです。Blu-rayメディアは、日本語、イタリア語切り替えのように複数の音のレイヤーをハイレゾで入れられます。96KHz24bitモノラルと、5,1chは48KHz24bit PCM(非圧縮)の両方が収められてます。

1987-1989 コムデギャルソンのショー用の音楽を制作、『COMME des GARÇONS SEIGEN ONO』としてCD化

PART2

Jazz Tokyo:セイゲンさんは、そもそも録音エンジニアとしてスタートされたのですよね?
僕は、近藤等則の『チベタン・ブルー・エアー・リキッド・バンド』(DOMO) のリミックスをお願いしたのが最初でしたが。

セイゲン:近藤等則さんに初めて会ったのは『Tibetan Blue Air Liquid Band – 空中浮遊』(1983年)のリミックスでしたね。Jazz Tokyoの Kenny Inaoka さん(当時はトリオレコード)に会ったのもその時ですね。帰国後初のレコーディングでミックスも終わってカッティングの段階で、コンちゃんが「俺の音はこんなんじゃない!」とNGを出して。渡辺香津美さんの推薦で急遽、僕がリミックスすることになったのが出会いでした。

JT:チベタンはトリオ内に新設した香津美さんのレーベルDOMOでリリースしましたから。他に、菊地雅章さんのブルクッリンのスタジオで「リアルタイム・シンセサイザー・パフォーマンス」のライヴ・ミキシングがありましたね。

セイゲン:あれは面白かったですねえ。急に年末にニューヨークに呼ばれて。グラマシーパークホテルから、ブルックリンのPOOさんのスタジオに通って。すごい数のキーボード、シンセサイザーを一人で演奏するPOOさんの音を目の前でライブ・ダイレクト2chミキシング。確か大晦日から正月にどこか日本食レストランに行ったような記憶が。あれは発表されていないのですか?聞いてみたいですね。

JT:あれは、三菱のデジタルレコーダーを倍速で回して、1本で15分弱しか録音できないからみるみるテープの山が。当時、LDとビデオで商品化され、その後、頼み込んでCDも6枚商品化しました。それから、ベルリンの「Hansa By The Wall」で Buck-Tickのシンフォニック・バージョンの録音。あの時は「ベルリンの壁」崩壊直後でスタジオが壁際にあったもので緊張感に富んでましたね。

セイゲン:僕はハンザトンスタジオには、その前にも何度も行ってたんですが、チェックポイント・チャーリーを通って東ベルリンに観光に入るのがすごい緊張感ですよね。ベルリンのあの空気は今は、全く違うんですけど。

JT:就航したばかりのヴァージン・エアに乗ってみたくて、わざわざロンドン周りで行きましたね。それから、近藤等則の「Tokyo Meeting 1985」のPAエンジニアの仕事。立川の昭和記念公園のアウトドア・フェスでした。他でも PAは担当しましたか?

セイゲン:あまりに印象深いのが1986年5月、近藤等則IMAバンドのヨーロッパツアー。ドイツを中心にスイスなど40日間30コンサート。「Tokyo Meeting 1985」は、その前だったんですね。その頃、IMAバンドのライブPAもスタジオ・レコーディングも全部やってましたね。『China Boogie』『大変』『Metal Position』(発売:1986 Epic)まで。

https://jazztokyo.org/issue-number/no-271/post-58426/

JT:あれは、ブレーメンのJAROからIMAのレコードがヨーロッパ発売され、そのプロモ・ツアーでした。次いで、ミュージシャンとしての活動に入りますが。最初はクラムド・ディスクの「NekonoTopia NekonoMania」でしたか?『コム デ ギャルソン』のパリ・コレの音でしたか?

セイゲン:近ちゃんと入れ替わりに、僕は東京に住んでいながら年の半分はNYCに行く機会が多くなって、The Lounge Lizardsの『Big Heart: Live in Tokyo』(1986)をプロデュースして、『No Pain For Cakes』(1987)と。アルバムのプロデュースなどで知り合った好きなミュージシャンにどんどん声をかけて作ったのが「COMME des GARÇONS SEIGEN ONO」(録音: 1987-1989)ですね。まさかのショーの音楽の依頼でした。

最初は1984年JVCレーベル『SEIGEN』、1986年Virgin U.K.『Green Chinese Table』、 クラムド・ディスクは『NekonoTopia NekonoMania』(1987)です。

JT:ブルーノート東京やスイスのモントルー・ジャズ・フェスにもバンドで出演しましたね?

セイゲン:モントルーの創始者のクロウド・ノブスさんが、制作中だった「Bar del Mattatoio」のカセットを気に入って「これでモントルーでライブやりなさい」と。僕は「これはスタジオ・レコーディングで、メンバー7カ国バラバラで、バンドではないんです」「スイスにみんな集めればいいじゃないか」と全員にホテル5泊、リハーサルルームまで用意してくれて、今思えば夢のような経験でした。ノブスさんは2013年スキーの事故で亡くなりましたが、93年94年は連続で都合4回も出演させてもらいました。RIP

『Montreux 93/94 Seigen Ono Ensemble』

「オノの音楽の魅力は言葉では表わせない。<聴く>ことによってのみ触れることができる。独創的感触、マジカルな雰囲気、デリケ-トなメロディ-、ミュ-ジシャンの質、それらすべて、オノセイゲンによりジェントルに指揮されるすべてのプロジェクトは、記憶に残る夜を作りだした。」とライナーノートまで書いてくれました。出演を売り込まれてくるアーティストより、自分で好きな音楽、まだ誰も知らない新人アーティストをフェスティバルでデビューさせるのもミッションなのです。モントルー・ジャズ・フェスでやるとヨーロッパのいろんなフェスからお声がけがあり、フィンランド・ポリ、イタリアのタイムゾーン、ドイツのライプチヒと90年代はヨーロッパでいくつかやりました。日本で初めてのアンサンブルのライブが全部新曲、日本人メンバーで 『at the Blue Note Tokyo / Seigen Ono Ensemble』と『Seigen Ono Septet 2003 Live 』です。98年にリハなしライブ録音の『DRAGONFISH LIVE / Seigen Ono Quintet』もありました。

JT:ギターとチャランゴの担当でしたか? 作曲も?

セイゲン:そうです、ギターとチャランゴ。自分のアルバム45枚はほぼ全て作曲とプロデュースしてます。

JT:バンド演奏は、ひとやすみですか?

セイゲン:6年前に脳卒中で右半身付随、車椅子からの復帰なんですが、早いフレーズはまだ弾けません。スタジオ・ミュージシャンだったら失業でしたね。サポートメンバーは優秀な方ばかりなので、機会を見つけてまたライブもやりたいです。

JT:仕事には差し障りがないような奇跡的な回復力に驚きましたが。

セイゲン:幸い、言語中枢はやられていないので会話は以前と変わりはありませんが。外からは見えませんが、後遺症で右手、右足、力が出ません。縄跳び二重飛びが一回もできなくなってしまった。前は50回くらいできてた。重たい機材は持てない。マイクスタンドのネジとかギュっときつく閉められない。

JT:サイデラ・マスタリングとして独立して青山にマスタリング・スタジオを開設したのはいつですか?

セイゲン:1996年秋、翌年会社にしました。会社を始めると自由に動けなくなりますね。

JT:このスタジオでいちばん思い出に残る仕事は?

セイゲン:『メモリーズ・オブ・プリミティヴ・マン / オノ セイゲン&パール・アレキサンダー』(Memories Of Primitive Man / Seigen Ono & Pearl Alexander /SICX10001)、コントラバスの全てのパートとギター、ほかレコーディング、2chステレオと5.1chサラウンドのミキシングからマスタリングをこのスタジオ(サイデラ・マスタリング)で行いました。今進行中なのは、サイデラ・レコード原盤の450曲を、イマーシブ・フォーマットへのリミックスです。

反射音や響きとは、本来サラウンド、全方向からなんです。

PART 3:

Jazz Tokyo:生まれはどちらですか?

セイゲン:本籍は東京です。父親が住友金属鉱山のエンジニアで転勤ばかりだったのです。僕が生まれたのは福島の銅山。2歳までで場所も何も記憶にありません。

JT:音楽的な家庭でしたか?

オノ:ぜんぜん。父は趣味でチェロを持っていたかな。母親はバイオリンを趣味でやってたのかな。どちらも聴いた記憶はないです。レコード・プレーヤーは子供の頃からありましたね。小学校4年まで愛媛県新居浜市。兵庫県加古川市で高校卒業まで。そして東京に戻ってきた、といっても自分は関西人ですね。東京生活が長くなったわけですが故郷はどこにも感じません。

JT:音楽に興味を持ち出したのは?

セイゲン:自分自身の小学生以下、子どもだったころの記憶があまりないんです。覚えてないですが、中学生の時には確実に興味はもっていましたね。

JT:楽器を始めて手にしたのは?

セイゲン:中学生のときにフォークギターからかな。

JT:音、あるいは録音に初めて興味を持ったのはいつ、どんな理由でしたか?

セイゲン:たぶん、中学生の時、放送室の当番だったかもしれないです。その頃の記憶もあまりなくて、こないだ偶然にも同じ中学の人に会うことがあり聞きました。

JT:専門教育は?

セイゲン:ないんです。アルバイトで音楽教室のフォークギター講師をやるときに、そのための専門トレーニングを受けました。コードやアルペジオ程度の初心者コースですよ(笑)。高校時代に大学生や社会人の人とバンドを組んでいて、8.8Rockday (ヤマハ主催のアマチュア・ロック・コンテスト)に出ていたんです。その関係で神戸のヤマハのLMスタジオにも通うようになったり。夏のバイトはビアガーデンで演奏とか自分たちでPAもやりましたね。むしろそこですね、録音というよりPAに興味持ったのは。専門教育より現場の経験の方がぜったい大切だと思います。

JT:セイゲンさんがサラウンドに力を入れている理由は?

セイゲン:作曲家がメロディを作るにも、ミュージシャンが演奏するにも「音色」が一番大事だと思うんです。音色というのは、楽器が音源とすると、それに付随するその場の反射音や響きを合わせたときに聞こえる音です。反射音や響きとは、本来サラウンド、全方向からなんです。それによって音と演奏者のエモーショナルな表現が決まります。逆にいうと、静寂で美しい響きの空間で楽器を触るだけでメロディが生まれてくる。ミュージシャンなら楽器がいい音で鳴れば、最高の演奏が引き出されます。

JT:サイデラ・レコードではハイレゾの配信もやられていますね?

セイゲン:ミュージシャンのライブ会場ではCDは売れます。しかし、ずいぶん前から在庫を置く場所もないし、もう何年もレコード店ではCDは売れないという経験をしてきて休止してます。ハイレゾ、とりわけDSDはマスターテープのクローンです。音楽ファンというよりオーディオファンが買ってくれるのか、実はサイデラ・レコードではマーケティングがぜんぜん見えていません。数は売れませんが、3重にバックアップしているマスターのハードディスクより安心感があります。クラウドかどなたかがマスターを預かってくれてる安心感。商売としてはぜんぜんダメですね。

JT:パッケージ・メディアはなくなると思いますか?

オノ:いずれなくなると思います。

JT:最近、巣篭もり中の Youtube再生に秘密兵器を紹介されましたが?

セイゲン:ちょうどコロナ禍に入る前ですけど、KORG Nu Iの開発協力でプロデュースしたのは「S.O.N.I.C.」です。音楽をスタジオで聴くのは仕事ですけど、仕事以外で音楽を聴く時に、一番多いのがYouTubeです。コロナ禍でライブ・ストリーミングが世界中で増えましたが、YouTubeに次々と上がってくる海外の未発表だったライブとかNBCのテレビ番組とか、もういくら時間があっても足りない。YouTubeの音質(AAC)は悪いと思っていませんか?「スマホで聞くんだから十分だよ」というのが世の中の95%の意見であることは承知の上で「もっとよくなります。」と断言します。ライブ・ストリーミングはもちろん、YouTube、Netflix、 パソコンを通して聴く音は、リッピングしたCDでさえKORG Nu Iを使用してリアルタイムで11.2MHzにアップコンバートして楽しめるのです!YouTubeなんか信じられない最高の音質で聞けるのです!ライブ・ストリーミングが普通になってきましたから、各チャンネル最適化も加えた「S.O.N.I.C. バージョン2」にアップデートしたいんですけどね。

JT:話は変わりますが、「戦場のメリー・クリスマス」のサントラ録音は大きな仕事でしたね。

セイゲン:1982年、YMOを散解した坂本龍一は映画に俳優として出演、その条件が映画の音楽を担当することだったんですね。ビートたけしはその後、映画監督北野武としても大活躍。デヴィッド・ボウイは2年間スケジュールを空けて待っていた。ニュージーランドの自治領であるクック諸島のラトロンガ島での撮影が終わってすぐに坂本は音響ハウスでサントラの作曲をしながらのレコーディングでした。映画のラッシュを見ながら、Prophet-5で音を作っていく。スタジオ空間に音を出してルームマイクでアンビエンスを加えたり、何種類かの音を組み合わせてひとつの音色を作ったり、テーマ曲は音色決めや構成など何度も練り直していたと思います。今から思えば、結果的にあのテーマ曲「Merry Christmas Mr. Lawrence」を含むサントラ全てが作曲される現場に、僕24歳のフリーランス録音エンジニアとして参加して、その後『音楽図鑑』『ラストエンペラー』まで携わったのは今になって重要なマイルストーンだったことがわかります。

JT:ADC大賞を受賞されていますが、これは何を対象に?

セイゲン:ADCグランプリ受賞者にアーティストが一緒に入るのは異例なことだそうです。「COMME des GARÇONS SEIGEN ONO / 日本コロムビアのポスター、ジェネラルグラフィック」の井上嗣也(art director)、稲垣 純(designer)、吉田多麻希(photographer)、オノ セイゲン(artist)。


https://www.fashionsnap.com/article/2018-12-07/comme-des-garcons-seigenono/

JT:最後に夢を語ってください。

セイゲン:コロナ禍2年目の今、スタジオを継続するために大変な借り入れをしてしまいました。これは夢ではないのです。好きな音楽制作だけをやりたいですね。また自分のグループでスイスやイタリアでライブしたり、心の余裕のためには1日も早く無借金経営にする。夢のスポンサー探しです(笑)

いえいえ、外からは見えませんが、後遺症で右手、右足、力が出ません。縄跳び二重飛びが一回もできなくなってしまった。前は50回くらいできてた。重たい機材は持てない。マイクスタンドのネジとかギュっときつく閉められない。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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